堤屋敷 旧東伯郡北条町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

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堤屋敷(北栄町北尾)

「伯耆民談記」によれば、北尾の八幡社について承平年中(931-38)石清水八幡宮を勧請したこと、堤の城跡は八幡社の辰巳(東南)の方角にあり、城の表門は東向、小城でその内に八王子大明神を祀っていたという。『北條町誌』に「伯耆民談記」の説を紹介した上で次のように記している。
堤城の所在については、一般には島(現北条町島)の「城ノ内」と呼ばれる地であろうと考えられる。城域の中心と思われる台地は「島」の東地氏の宅地となっていて、同家の西側に小社を祀る。この地は以前は小高い丘であったが、民家の埋めたて用として土
取った為、現状の高さに下げられたといわれる。
『山陰古戦史』には北尾(現北条町北尾)の東端の台地を「堤の城跡の台地」としている。展望の利く所で、「城ノ内」より高く城としても適地の一つである。北尾には「堤屋敷」という小字があり現在は宅地となっている。もともと「島」と「北尾」とは南北に続く狭長の一村で、その一部に堤城があったから「城ノ内」とか「堤屋敷」という字名ができた。
(※北条町誌より)

字名「堤屋敷」


旧川(通称おうべ川といい、大卑川の字を当てていたが、記録には大冷川とみえる。現在では北条川という『北條町誌』)は、島の「城ノ内」の東北面に沿って流れており、北尾の「堤屋敷」地区も同じように東側は旧川に沿っていた。昭和三十四年(1959)以降の土地改良、用排水事業により旧川の大改修となり、「城ノ内」「堤屋敷」のそれぞれの東の「御伊勢堂」「堤前田」の地に新川(現在の北条川)が開削されて流路が変わったので、往時の面影は失われている。旧川の状況からみて、川筋の一部は堀割りの用途があったと考えられる。
(※北条町誌より)


東伯郡北栄町の城