神美市場城 豊岡市 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

市場城(豊岡市市場字松原)

市場城は穴見川右岸、市場集落北側、標高約165mの山頂に所在する。集落との比高は約137mある。城域は東西約280m・南北約280mを測る大規模城郭である。
城主は、山名宗全の家臣茨城甚太夫であるという(『神美村誌』)。
ところで、天文四年(1535)山名祐豊が願主となって造立した総持寺十一面観世音菩薩観音の奉加帳の中に、三宅豊後守の名が見える(「百疋、為宗中・理慶、三宅豊後」)。永禄十一年(1568)、室埴の御出石神社での野芝居・能を鑑賞した山名氏家臣の中に三宅豊後守がいる(『御出石神社文書』)。また、伝承では三宅主計は穴見城主であり、三宅氏は恐らく三宅・市場を本領とした人であろうという(『神美村誌』)。城郭規模が穴見谷の中で群を抜いていることから、この三宅豊後守の穴見城を市場城にあてる考え方もある(『兵庫県の中世城館・荘園遺跡』)。
(※豊岡市の城郭集成Ⅰより)

南十六郭

南十五郭

南十四郭

南十三郭

南十二郭

南南西堅堀オ

南十郭東腰曲輪

南十一郭(曲輪15)

南十郭(曲輪14)南下段
南十郭(曲輪14)中段

南十郭(曲輪14)北上段

南十郭の東通路状帯曲輪

南十郭の西通路状帯曲輪

南九郭

緩傾斜の南十郭西帯曲輪

帯曲輪の中ほどの西堅堀エ

南八郭(曲輪13)

南七郭(曲輪12)

南六郭(曲輪11)

南五郭(曲輪10)

南五郭の東土塁

南五郭の西土塁

南堅堀カ

南四郭(曲輪9)

南西堅堀ウ

南西四郭(曲輪7)

南西四郭の北土塁

南三郭(曲輪8)

南西三郭(曲輪6)

南二郭南東腰曲輪

南二郭(曲輪5)

主郭

北東二郭(曲輪2)

北東堅堀

北東二郭と西二郭を繋ぐ通路状帯曲輪

西二郭(曲輪3)

西二郭北西腰曲輪

北堅堀ア


北西三郭(曲輪4)

北西三郭北西腰曲輪

北西堅堀イ

北北西堅堀

南二郭の南東下の通路状の曲輪

南東四郭(曲輪16)

南東五郭(曲輪17)

南東六郭

南東七郭

南東八郭(曲輪18)

南東八郭から南東五郭へ登る南通路状帯曲輪

南東九郭

南堅堀キ

南堅堀カ


東二郭南東腰曲輪

東二郭(曲輪19)

東二郭から東三郭への登り土塁

東三郭(曲輪20)

東四郭

東五郭

東六郭(曲輪21)北上段

東六郭(曲輪21)中下段

東六郭(曲輪21)南上段

尾根に沿って東へ落ちる北東堅堀ク


その北に、図に無い北北東堅堀

東七郭(曲輪22)

東七郭の北土塁

東八郭

東八郭と東九郭の北土塁

東九郭

東十郭(曲輪23)

東十郭の北土塁

東十郭南腰曲輪

その下には…
図に無い東南東十一郭 東南東十一郭の東土塁

さらに図に無い東南東十二郭

その西端には溜池のような窪み

この付近は図に無い遺構がいくつか見られたので、一部拡大の概略図を描いておいた

戻って東十郭東腰曲輪

東十一郭(曲輪24)

東十一郭の北土塁

東十二郭(曲輪25)

東十二郭の北土塁

東十二郭の南土塁

南東十三郭(曲輪26)

北東土塁

北東堅堀ケ

巨大な南東堅堀コ

再び南東十三郭(曲輪26)

東端には石礫の混ざった土塁

その西には、図に無い南西堅堀


さらにその南東下に、図に無い南堅堀


神美市場城遠望

軌跡ログ



旧豊岡市の城