正法寺城(豊岡市正法寺字山王)
正法寺城は豊岡市山王町の標高27.2mに所在する。現在日吉神社が祀られている。周辺市街地との比高は約23mある。
正法寺(城)が文献に初出するのは『伊達文書』である。延元元年(1366)六月北朝方の伊達真信らは、南朝方の一つの拠点「木崎性法寺」を攻撃している(伊達真信軍忠状)。この「性法寺」は「正法寺」のとこであろう。
また「蔭涼軒日録」によると、長享二年(1489)九月、播磨攻めに失敗した山名政豊が居住していた所が「正法寺」であり、木崎城から18町余り隔たる所に所在するという。そして政豊は、俊豊を但馬守護に擁立しようとする国人達に離反され、木崎城包囲攻撃を受けている。
寛永年間(1624~44)に著されたと思われる『豊岡細見抄』には、山王権現について、「今、領主京極家の産宮とす。往古は此山真言宗正法寺という小寺あり、小田井神社の供僧なりしか、天正中社領没収の後、寺坊荒廃して退展(退転)せり。寛文年中京極家丹後田辺より御入国の後、此の寺跡の鎮守を尊敬ありて、(中略)。今豊岡町の本居神とす。」と記されている。
(※豊岡市の城郭集成Ⅰより)
西二郭(曲輪6)
南二郭
日吉神社の鎮座する主郭
北二郭から伸びる東帯曲輪
なお、図では東側に四条の堅堀が記されているが、東側斜面は土砂崩れ防止でコンクリートが吹き付けられており、薮か激しい事もあって一条の堅堀も発見出来なかった
激しい薮に覆われた北二郭(曲輪1)
北二郭の北土塁
北三郭(曲輪2)
帯曲輪状の北西四郭(曲輪3)
帯曲輪状の北五郭(曲輪4)
北五郭北西帯曲輪
北五郭北帯曲輪
北西三郭(曲輪5)
北西三郭北帯曲輪
主郭西腰曲輪
南三郭
南四郭(山王公園)
南五郭
激しく改変を受けており、旧状の全てを窺い知る事は不可能となっている
正法寺城遠望
旧豊岡市の城