感状山城 相生市 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

感状山城(相生市矢野町瓜生・森)

別名:瓜生城・下原山城


この城は下原山城または瓜生城とも呼ばれている。鎌倉時代に瓜生佐衛門尉がはじめてここ山に城を築いたという。瓜生城の名はここから生まれた。また円心の三男赤松則祐が始めに築いたとも云われている。ここでは後者の説を取り上げて築城年代を建武三年(1336)とした。足利尊氏が宮方の軍勢に追われて西国に落ちていったのを追って、建武三年新田義貞は播州へ軍を進めた。この時義貞は徳力三河守秀隆ら三千余騎をもって感状山城を攻めた。則祐の軍はよくこの城を守って徳力の軍勢を撃退した。義貞が白旗城を包囲するのはその後の事である。日を経て、足利尊氏が上京、天下を統一するや、則祐の活躍を讃えて感状を授与した。以来この城を感状山城と呼ぶようになったという。その後、岡豊前守や赤松義村が居城し、次いで晴政、義祐を経て則房に到った時、すなわち天正五年(1577)、羽柴秀吉の攻略に遭い落城した。

(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)

南西十六郭(物見岩)
南西十五郭
南西十四郭
南西十三郭
南西十三郭からの西帯曲輪
西十三郭(出曲輪)
搦手曲輪南東上段
搦手曲輪中段
搦手曲輪北西下段
搦手門跡
搦手曲輪北西下段の石垣
南西十二郭
南西曲輪群東帯曲輪
大手曲輪北西中段
大手曲輪北東上段
大手曲輪南東下段
井戸跡
大手門曲輪
大手門跡
大手門曲輪の石垣
南西十一郭
南西十郭
南西十郭東上段腰曲輪
西帯曲輪最下段の南腰曲輪
西帯曲輪最下段
西帯曲輪下段南部
西帯曲輪下段北部
西帯曲輪下段の西帯曲輪下段
西帯曲輪下段の西帯曲輪上段
西帯曲輪中段
西帯曲輪上段
南十二郭南東帯曲輪
南西帯曲輪
南門跡
南十二郭
南十一郭
南十郭
南九郭
南八郭
南七郭
南六郭
南五郭
南四郭
南三郭
西帯曲輪最上段
南二郭
主郭東帯曲輪
主郭
北二郭
北西三郭上段
北西三郭下段
北西四郭
北西四郭南帯曲輪
北西五郭
帯曲輪状の北西六郭
北西帯曲輪北上段
北西帯曲輪南下段
井戸跡
井戸曲輪

感状山城遠望
軌跡ログ