感状山城(相生市矢野町瓜生・森)
別名:瓜生城・下原山城
この城は下原山城または瓜生城とも呼ばれている。鎌倉時代に瓜生佐衛門尉がはじめてここ山に城を築いたという。瓜生城の名はここから生まれた。また円心の三男赤松則祐が始めに築いたとも云われている。ここでは後者の説を取り上げて築城年代を建武三年(1336)とした。足利尊氏が宮方の軍勢に追われて西国に落ちていったのを追って、建武三年新田義貞は播州へ軍を進めた。この時義貞は徳力三河守秀隆ら三千余騎をもって感状山城を攻めた。則祐の軍はよくこの城を守って徳力の軍勢を撃退した。義貞が白旗城を包囲するのはその後の事である。日を経て、足利尊氏が上京、天下を統一するや、則祐の活躍を讃えて感状を授与した。以来この城を感状山城と呼ぶようになったという。その後、岡豊前守や赤松義村が居城し、次いで晴政、義祐を経て則房に到った時、すなわち天正五年(1577)、羽柴秀吉の攻略に遭い落城した。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)