わたしがわたしであるために普通であることの大切さ。 | 一夫二妻『西山裕子』 〜『女』の欲望は発展繁栄のもと!〜

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お金もパートナーシップも家族も心も身体も全方位豊かに幸せになっていく人生を。

昔は

すごい人になったら


お金を稼げて

しごともわんさか入ってくると思ってた。


すごいことを

書かないと


人は観てくれなくて

観てくれなかったら


お金にならない。


だから

すごいことを


書かないと❗


って

いつも頑張ってた。


本当わたしって

お金にがめついなぁ🎵



笑うしかないな🎵


いまでも

まったくないわけではなくて


やっぱり

根っこにまだまだある。


うっすらとある❗


すごい人にならなきゃ

すごいコトをしなきゃ


普通なんかじゃダメ❗


そんなことを

無意識で思ってる。




すごい人になる前に

大切なのって


いかに

普通であれるか


なのかもしれない。


普通であることは

自分であること


誰かや何かになったところで


そこに

わたしらしさはないのだ。







一つ一つ

自分を生きるなかで


自分らしさって

なんだろう?


自分らしく

生きるって結局なに?


そんなことを

考えてもがいたときもあったけど


いま

言葉にするのなら


自分にとっての

普通であることを

表現しきれているか。


案外普通であることのほうが

難しいのかもしれないね。


だって

いままで


普通じゃない

誰かを生きようとしてきたんだから。




普通であったら

何がこわいんだろうね。


普通であったら

何がいやなんだろう。


普通だったら

いったいどうなるんだ❗


それって

本当に本当なのかな?


もしかしたら


自分にとって

普通でいれているとき


一番の発展繁栄の

スタートなのかもしれない。


普通であるわたしで

理想をカタチにしてもいいし


普通であるわたしで

幸せであっていい。


なんなら

本当の幸せって


普通の中にあるのかもしれない🎵




すごい人に

ならなくても


すごいコトを

やらなくても書かなくても


わたしが

わたしであるために


普通であることを

さらに許していけたらいいな。




すごくなくてもいい。


それよりも

普通であればいい。


世間や

世の中普通じゃなくて


わたしにとっての普通を。


わたしにとっての普通を


これからも

大切にしていきたいな。


自分にとっての

普通をどんどん許していこう。







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