斉藤夜居著「カストリ考」「続・カストリ雑誌考」 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

カストリ雑誌については、斉藤夜居著「カストリ考」(昭和39年、A5判138ページ)と、その続編である「続・カストリ雑誌考」(昭和40年、A5判126ページ)という2冊が孔版の私家本で出ていますが、著者自ら「本書は戦後のカストリ雑誌の研究ではありません。カストリ雑誌を素材としたごく個人的な漫談に過ぎません」(「カストリ考」の後記から)と断わっています。いまでは、ちょっと入手困難かと思いますが、とくにもの好きな方には一読をおすすめします。


長谷川卓也著「カストリ文化考 変集好記」(昭和四十四年)ヨリ





・・・・・・・・長谷川氏言うところの「もの好きな方」たる小生は、此度斉藤夜居著「カストリ考」「続・カストリ雑誌考」を入手し読了。





「カストリ考」「続・カストリ雑誌考」共に函付で我が手元に。昭和五十年代に出た「艶楽書館」と言う赤線、パンパン及びカストリ雑誌を扱った雑誌を読み、「カストリ考」の存在を知りあれこれ情報収集。何とか入手出来ぬものかと模索検討。何と言いましょうか・・・・・、手に取り頁を捲り読了した時、「恋におちた」かの如き感覚に陥りました。正に小生にとっては好みのタイプど真ん中ストライクの本であります。










敗戦から二十年、三十年を数えた昭和四十年、五十年代・・・・・・。戦後の焼け跡に花咲いた数多の露悪趣味な文化をノスタルジックに紐解く意味合いで、数冊のカストリ雑誌考察本が発行されます。この時代は言わば「第一次カストリ雑誌懐古ブーム」だったのかと・・・・。


あるカストリ雑誌考察本は千種類余りに及ぶカストリ雑誌を学術的且つ真摯に検証し、ある本は出せば必ず儲かったと言うカストリ雑誌出版社の今だから言える業界暴露話、陳腐で子供だましな誌面へのツッコミをコミカルに、またある本は、貧弱で嘘くさいエロ描写を反芻し「自ら慰めて」いた識者の体験談を生々しく伝え・・・・・、各々の著者編者によるカラーを以てカストリ考察が展開されております。


これまで世に出た何れのカストリ雑誌考察本も「カストリ考」「続・カストリ雑誌考」の影響が色濃く反映されています。これは戦後の記憶がまだまだ強く残っていた昭和三十年代末に執筆にとりかかった背景も大きかったと思われます。しかし乍、斉藤夜居氏の執筆原動力は本を売らん哉とした商業主義に基づいたものではなく、自己満足に立脚したものであったが故に、後々のカストリ雑誌考察本・研究家に多大なる影響を付与したのかと。




二百部限定で知人など身内だけに配布していたのでしょうか。





斉藤氏独特の視点で数々のカストリ雑誌を紹介。「資料」として添付されているカストリ雑誌の写真等にはなんと生写真がそのまま貼り付けられております。小生のような素人目から見ても、余り上手い編集方法ではないと思う紙面でありますが、それ故に斉藤夜居氏の迸る執筆パッション、亦一頁一頁手造りで手掛けた愛情を今猶感じ取れるのであります。












それならば何故に「カストリ考」などという学的悪臭をおびた題名を選んだかと云うと、私の最初に企画した題名は、カストリ漫考であつた。この方が気楽な題名である。そのことを友人に語ると、おもしろいネだが漫考だの珍考だのというのは語感としておだやかではない。私家版だからと云つて、何でも書いたり喋つたりするべきではない。古本になつた場合、本屋に入つて、「カストリ漫考ください。」とは言いにくいよ、と云う。私も成程、お説の通りだと答えたのであつた。(本文ヨリ)










亦、「カストリ考」「続・カストリ雑誌考」は赤線青線、特殊飲食街の資料としての側面も備えております。本文中には赤線に関する斉藤氏の思い出語りも数々。「カストリ考」の口絵に起用されているのは、「立石カフエー街」の街並みと、恥ずかし気に照れ笑いするカフエー女給が三人写った白黒写真。昭和二十五年初夏に斉藤氏の知人が特飲街を撮影したものの内、写りの良くない写真を敢えて選んだ、と口絵説明に添えている。


そして現在でこそ、赤線マニヤ諸兄の多くに知られることとなった「立石カフエー街」。しかし当時はマイナーな遊里で、カストリ雑誌の風俗記事にも殆ど取り上げられることのなかった存在だっと言います。売防法とともにあっけなく消え去った「立石カフエー街」を、斉藤氏は敗戦後の仇花たるカストリ雑誌に擬えております。


本文中には売防法後赤線の灯が消えた街を歩く氏のノスタルジーに満ちた言葉の幾つかを確認することが出来ます。執筆当時が昭和三十年代後半だったことを思うと、この時代既に夢の跡たる旧赤線地帯を懐古する趣が漂っていたのかと感慨深くならざるを得ません。




私はカストリ考を書きながら、その後の赤線地帯を数カ所巡歴したが、其処にはもう何も夢が残つていなかつた。(本文ヨリ)




下記は「続・カストリ雑誌考」に添付されている付録「戦後東京歓楽地一覧早見表」ヨリ。カストリ雑誌の付録を復刻したもの。斉藤氏はこのような赤線青線情報が誌面に載ると、全て手帖に書き写し懐中に忍ばせ夜の街へ繰り出すのが楽しみだったと、斯く語るのであります。