平成二十八年度廓おさめ(於 静岡市 寿し國・旧二丁町遊廓)  | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

本年度の廓おさめと銘打ち、静岡市葵区馬場町の寿し國、そして旧二丁町遊廓を訪問。

 

 

 

 

 

 

寿し國は浅間様の鎮座する静岡浅間通り商店街に店舗を構えております。創業は慶応四年、百五十年余り六代続く大老舗。元は二丁町遊廓の廓内に店を構え、「台の物(廓用語で貸座敷へ仕出しされる料理の意)」を扱う所謂「台屋」でありました。

 

 

 

 

二丁町遊廓は、先の大戦末期の静岡空襲により焼失。寿し國が二丁町から現在の葵区馬場町にて営業を再開したのは昭和二十五年。この地で六十五年余り鮨を握られております。

 

 

 

 

 

今回は大握りを注文させて頂きました。美味しい鮨を暫し堪能。

 

 

 

 

 

寿し國の鮨に関して、小生が全く不慣れな食レポを展開するよりも、ずっと相応しい一文があるので、以下に引いてみましょう。寿し國が登場する作品は、昭和三十七年発刊有吉佐和子著「香華(こうげ)」であります。この作品は、大正時代の二丁町遊廓が舞台となっております。

 

 

 

 

「おかあさん、少し休みませんか」 二度目に声をかけると、ようやく郁代は手を止め、蒼ざめた顔で朋子を見た。

 

「お鮨です。白身のだけ、もらってきました。お茶は、今すぐ持ってきます」

 

「お茶はもう沢山だよ。水でいいから、薬缶に入れてきて」

 

「はい」

 

階段を駈け降りて、誰にも見つからないように急いで三階へ戻ってくると、郁代はもう大方の鮨は平らげてしまっていた。

 

 

「これ、すし国のかい」

 

「いいえ」

 

「道理でね、まずかったわ」

 

黙って水を茶碗に注ぎ入れながら、朋子は悲しくなった。 

 

 

 

 

・・・・・・・・二丁町遊廓の同じ妓楼で働く母娘、子を身ごもり身重となり妓楼の納戸に居る母へ、娘が鮨を差し入れる場面。娘が工面して差し入れた鮨を、二丁町遊廓では一流の寿し國が握った鮨ではないことに不満を漏らす母。斯様な一節です。

 

 

 

 

阿川佐和子「香華」に載るこの一節を抜き出し「すし国のすし」として原稿用紙にしたためたものが店内に飾られておりました。これを書いたのは静岡県出身の版画家小川龍彦氏。三十年ほど前に寄贈されたそうです。

 

 

 

 

寿し國にて、現在も現役で鮨を握る昭和十三年生まれのおやじさん。幼少の時分に見たナカ(遊廓)の在りし日の様子、等々を教えてくれました。

 

 

「新通りから今の駒形通りに抜ける辺りに、立派な大門があったけんね。煉瓦造りだったかな。そこから上之町、仲之町、この二本の通りがあることから二丁町と呼ばれたのだけん。この通りにずらりと豪華な遊廓が並んでいたよ」

 

 

「空襲の時に・・・・・・、確か小松楼があった辺り、半島から来た花魁さんが屯していたっけな。小松楼と言えば、北原白秋先生がちゃっきり節を作詞したところだら、私の親父がその場に立ち会ったと言ってたけんね(笑)」

 

 

 

「家康さんが吉原を造る時に、二丁町からそっくり移転させたらしいけどね、あれは実際どうだったのだろうね。二丁町よりも吉原遊廓の方がずっと規模も大がかりだよね」

 

 

 

 

寿し國の先代によって清書された明治十五年の二丁町遊廓一覧図。小長谷澄子著「静岡の遊廓 二丁町」に資料提供されたもの。本書を執筆するにあたり、二丁町の逸話や、資料を求め小長谷さんは幾度も寿し國へ足を運んだそうです。

 

 

 

 

 

美味しいお鮨を堪能させて頂きました。亦、寿し國のおやじさんのご厚情で貴重な二丁町遊廓のお話を拝聴、更には資料を幾つか拝見することが出来ました。此度は誠にありがとうございました。

 

 

 

 

寿し國 

住所:静岡県静岡市葵区馬場町54

電話番号:054-252-1392

 

 

 

 

 

 

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寿し國を後にし、駒形の二丁町遊廓跡へ。

 

 

 

 

小長谷澄子著「静岡の遊廓 二丁町」百八十六頁ヨリ。明治十五年の二丁町地図。「スシ国」を確認出来る。遊廓は店舗諸々の移り変わり、栄枯盛衰が激しいが、寿し國は昭和二十年の静岡空襲まで同一個所で営業を行っていた。

 

 

二丁町遊廓華やかなりし頃、下記写真付近に寿し國が店舗を構えていた。現在この地は紅灯の面影無く、静岡県地震防災センターの敷地となっている。

 

 

 

二丁町遊廓の大門が建っていた箇所。新通りを背にし、駒形通りに向かって撮影す。

 

 

下川 耿史・林 宏樹著「遊郭をみる」ヨリ。二丁町遊廓大門を背景にした絵葉書。門柱には、二丁町の通称でもあった「双街」と刻まれている。

 

 

 

新通りに沿い建つ真新しいマンション。此処には嘗て二丁町遊廓に関わる方を相手にした質屋があった。日本庭園を設えた豪邸だったそうだが、土地を手放したらしい。駒形で聞き取りを行った際、地元のご婦人が小さな声でそう教えてくれた。