新潟日報から新潟昭和新道を読む | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

新潟市唯一の特殊浴場街(旧トルコ風呂街、現ソープ街)たる新潟昭和新道に関して。

 

帝都吉原、岐阜金津園、名古屋中村等々の遊廓赤線を経た後に特殊浴場を形成している街の歴史、それらは比較的容易に窺い知れることが可能であります。

 

しかし乍、過去に色街を形成していない地方中小規模特殊浴場の歴史的背景を識るには、幾許かの労力が必要となりましょう。

 

 

※新潟昭和新道にて

 

 

 

 

 

 

此度は新潟昭和新道の歴史を紐解くに辺り、大変興味深い資料を発掘致しました。拙記事が、好事家諸兄並びに新潟昭和新道に所縁のある諸賢の新潟色街探究の一助となれれば幸甚です。

 

 

かかる資料は新潟のローカル新聞新潟日報昭和五十八年十二月二十六日号であります。「トルコ条例、行政権の乱用 ―県・市は365万円払え― 新潟地裁、土地業者の訴え認める」との見出しで掲載された記事から特殊浴場街としての昭和新道構成の流れの一端を窺えます。

 

 

長文になりますが、以下に全文引用してみましょう。猶、引用文中一部を伏字とさせて頂きます。ご了承下さい。

 

 

 

 昭和五十一年、新潟市でトルコぶろの開業を目的に土地の買収契約を済ませ、同市に建築確認申請をしたところ、地元の反対運動を受けて受理せず、開業を全面禁止とするための県風俗営業等取締法施行条例の改正へと動き、開業を妨害したとして二業者が県と市を相手どり、両者合わせて三千万円余の損害賠償金を求めていた裁判で新潟地裁第二民事部(豊島利夫裁判長)は、「被告らは○和土地に対し、共同して三百六十五万円余りの損害賠償金を支払え」とし、○本貸工場倉庫に対しては、請求を棄却する判決を言い渡した。

 

 

 

 同裁判長は判決のなかで「児童公園は設置の必要性もなく、また設置に必要な市の条例の制定も怠っており、建築確認申請書の受け付け拒否、つまりトルコぶろの開業阻止のためにのみ制定したのは行政権のいちじるしい乱用であり違法である」と述べた。

 

 

 訴えていたのは同市西堀通五の○和土地株式会社(H社長)と、神奈川県川崎市幸区南加瀬の○本貸倉庫事業協同組合(M理事長)。

 

 訴状によると、両者は五十一年一月前後、当時トルコぶろの営業禁止区域外であった新潟市東堀通五の通称「昭和新道」にトルコぶろ建設用地をそれぞれ買い求め契約を結んだ。そして同年三月初めから五月中旬にかけ、前者は三回、後者は一回、同市に建築確認申請を行ったが受理されず、前者は六月二十二日、後者は七月七日、再申請してようやく受理され、両者とも七月十五日確認申請を受けた。

 

 

※昭和五十年代の昭和新道ゲート(にっぽん全国盛り場ガイド ヨリ)

 

 しかし、その時点ではすでに、同市西堀通四の「新生公園」が市条例により児童遊園地に指定され、同園から二百メートル以内にある「昭和新道」でのトルコぶろ開業は出来なくなっており、次いで同月二十五日には県風俗営業等取締法施行条例が一部改正されて施行され、トルコぶろの開業は県下全域で禁止されてしまった。

 

 

※新生公園と昭和新道の位置関係を地図にて明記す

 

 

 これらはすべて、同年二月町内会から起こされたトルコぶろ反対運動を受け、県と市が原告らの開業阻止のみを目的として行ったもの。風紀上などの点は行政監督で十分対応出来るのに原告らはなんら補償もなく開業を阻止したのは、営業の自由を認めている憲法に違反しており、開業出来なくなったことに伴う設計料などの損害を賠償せよと要求している。

 

 これに対し被告・県と市は、①児童遊園の設置や条例改正で営業出来なくなるのを知りながら、原告らはあえて計画を進め、土地を購入していた②建築確認問題は再検討を指導しただけで、原告らもその時は了承している③たとえ最初に受理しても、当時建築予定地には建物があって売り主も住んでおり、県条例施行時までに、営業どころか建物の完成すら不可能だった―などと反論していた。

 

 

※昭和五十年代新潟プレイマップ昭和新道付近(にっぽん全国盛り場ガイド ヨリ)

 

 

 

 

・・・・・・・・如何でありましょうか。小生は凡そ四年前に新潟昭和新道の件について再び・・・・・・ と言う記事を記したのでありますが、記事中に昭和新道某店舗店長のブログを引用させて頂きました。

 

店長氏による昭和新道の沿革を更に肉付けした内容が、上記に引用した新潟日報昭和五十八年十二月二十六日号であります。店長氏のブログ、新潟日報掲載の所謂新潟昭和新道トルコぶろ訴訟、双方の文脈より、かの地でトルコ風呂開業を意図する複数業者の申請が相次いでいたことを読み取れます。

 

司直の判断は、数十軒に及ぶトルコ風呂が新潟市に開業するのを慮り公共施設を大慌てで設えた行政、対するトルコ風呂業者、両者の言い分を聞き入れた大岡裁き的な結果だったのでありましょうか。現在も新潟昭和新道では当時と変わらず八軒の店舗が営業を行っております。

 

 

引き続き、新潟昭和新道に関して資料を発掘調査中であります。

 

 

 

 

 

 

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本記事を以て本年度の拙ブログ納めとさせて頂きます。自己満足、誤字脱字を晒している拙ブログであるのにも関わらず、ご愛読頂いている読者様には只管感謝する次第であります。親愛なる読者諸兄に於かれましては、良い御年をお迎え下さい。

 

 

猶、本記事へ資料として挙げた文献は「にっぽん全国盛り場ガイド 昭和五十七年一月十五日初版」。言わずと知れた伝説のトルコ風呂情報誌「月刊ミューザ―」別冊であります。編者名は「おおとり出版」。蓋し一年を締めくくる鳳(おおとり)に相応しい社名でありましょう。