變態集團と談奇黨 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

数百種類に及ぶと言われているカストリ雑誌。購読者の目を引き付けるため、正に百花繚乱と言うべき凝りに凝った表紙の数々。カストリ雑誌と言えば真っ先に独特な表紙デザインを思い浮かべることでありましょう。同様に其の雑誌名も一度聴いたら脳裏から離れぬ強烈なタイトルが命名されております。
 

 
 
 
 
時を超えて今なお、群を抜いたインパクトをカストリ史を紐解く人々へ与えているのが、昭和二十二年十二月に大雅社より発行された「変態集團」ではないでしょうか。下記画像は創刊号。猶、カストリ雑誌のセオリーに反して?三号(三合)を待たずして、二号(二合)で廃刊となる憂き目に・・・・。

 
 
大雅社は大阪に発行所を設けていたようです。大阪産カストリ雑誌の一つですね。

 
 
 
 
創刊の辞を以下に引いてみます。
 
跋!(屁の如き)
 
 漢にては放屁と謂ひ、上方にては屁をこくと謂ひ、関東にてはひると謂ふ。女中は都でおならといふ、其語は異なれども、鳴きと臭きは同じことなり。
 
 その音に三等あり。ブツと鳴るもの上品にして其形圓るく、ブウと鳴るもの中品にして其形飯櫃形なり。ス―とすかすもの下品にして細長くして少々ひらたし。
 
 抑、一心に努れば本誌また奇々妙々天下に鳴ん事、屁よりも強く其功大ならん。
 いふも又屁理屈臭しか?予が論屁の如しとはばいへ。

 
 我も亦屁ともおもはず。(N生識)

 
 
 
 
・・・・・・・大凡、「屁」で始まる雑誌など古今東西の雑誌史を俯瞰してもレアなケースでしょうね。長谷川卓也さんは著書「カストリ文化考(三一書房 昭和四十五年五月十五日発行)」紙面にて「変態集團」に関し、『巻頭の「耽奇夜話」は、実は昭和六年九月発行の「談奇黨」第二号に掲載された「談奇黨夜話」を丸写ししたものなんです』と綴っております。
 
 
「変態集團」目次ヨリ。長谷川卓也さんの指摘する「耽奇夜話」が特別読物として取り扱われているのを確認出来ます。タイトルもさることながら「秋譜」執筆者の「砂洞丸喜」も気になるところであります。明らかに「丸木砂土(=秦豊吉)」を意識してますね。更には「秋譜」本文中では「胴砂丸喜」名に・・・・・。

 
 
本文「耽奇夜話」ヨリ。永戸正治と言う作者名が。

 
 
 
 
実際に「談奇黨第二号」を手元に置き検証してみました。

 

 
 
 
 
「カストリ文化考」にて長谷川卓也さんは『(原文に)その爛熟の〇〇を惜し気もなく御〇〇に及び、これは亦南無三、大事な〇〇〇〇〇〇〇で焼いて居る処をムザと拝見した事があつた』とあったのを「これは・・・・・焼いて居る」まで惜し気もなくカット』と、「変態集團」サイドが「転載」するに辺り、やや文脈が通らなくなるような文字削除を行っていることに対し突っ込んでいます。
 
 
そして「引く」作業を行うに際して、カットを行うに留まらず、地名を大阪のそれに置き換えている箇所を幾つも発見致しました(元ネタたる「談奇黨」発行所は東京、対する「変態集團」は大阪が発行所)。
 
 
「談奇黨」ヨリ。五行目の「帝都防火の警備に任じつゝ~」に御注目頂きたい。


 
 
「変態集團」ヨリ。七行目には「大大阪防火の警備に任じつゝ~」と、「帝都」が「大大阪」へと変換されております。

 
 
 
 
「談奇黨」ヨリ。六行目「お茶の水を卒へた~」に注目。

 
 
「変態集團」ヨリ。「今春大手前を卒へた~」と、昭和二十一年に大阪城前に創立された名門女子学校大手前文化学院へ変換。

 
 
 
「談奇黨」ヨリ。三行目から四行目にかけて「彼女の前身は十二階下の女だつたとの噂だが~」とあります。(十二階下=大正~昭和初期の浅草に於ける私娼窟の意)

 
 
「変態集團」ヨリ。最後の行には「彼女の前身はPの女だつたとの噂だが~」とあります。(P=ピー、売笑の隠語)


 
 
 
 
 
 
地名を置き換えることで丸写しではないところをアピールしていた、と考えられます。