性獵奇と談奇黨 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

先般はカストリ雑誌「変態集團」が、昭和初頭エログロ誌「談奇黨」を如何に意識(模倣・・とも云ふ・・・・・)していたかについてしたためてまいりました。

 
実は「変態集團」を出していた大阪の大雅社は、予てから「性獵奇」というカストリ新聞とカストリ雑誌をミックスさせたような雑誌(?)を出しておりました。長谷川卓也さんは「カストリ文化考」にて、その手の雑誌が出ていた頃を指し「カストリ紙誌の石器時代」として、主として関西製の雑誌を数種類取り上げています。
 
 
 
下記写真は「性獵奇№4(昭和二十二年十月十日号)」。長谷川卓也さんの言うように「タブロイド紙と週刊誌の合いの子みたいな妙な・・・・」造り。この号から改題し「フェニックス 不死鳥」として新たに生まれ変わることを宣言しております。
 
 
カストリ雑誌の出版元は離合集散が激しく、雑誌を新たに造っては廃刊(休刊)し、また新たに出版社を立ち上げ雑誌を造る・・・・・。同様に雑誌名も改題するケースが非常に多いですね。カストリ雑誌の系譜(出版社も然り)を辿ってゆくと枝が色んな所へ分かれていることが分かります。
 
 
 
 
 
 
背表紙に載る「編集MEMO」ヨリ。読者への泣き落としとも受け取れる購読継続の陳情を綴った後、最終行には「感あり、本號から改題しました」との一文が。改題の理由に関しては特に触れていませんね。推測するに「フェニックス 不死鳥」の如く永遠不滅の雑誌にしようとの願いが込めてあったのでしょうか?
 
 
しかし改題した筈なのに次号№5号からは元の「性獵奇」に戻っているようですね。「変態集團」掲載広告ヨリ。
 
 
 
裏表紙には「変態集團」新発売を謳った些か大言壮語気味な広告が掲載。
 
 
 
 
 
性獵奇№4ですが、頁を捲ると「変態集團」同様にやはり「談奇黨」から転載していた箇所を相当数確認出来ました。
 
 
 
 
「談奇黨第二号(昭和六年十月一日)」ヨリ。「便所落書名所案内」と題された都内の公衆便所各所に書いてある便所の落書きを一つ一つ紹介する悪趣味な閑人的文章。
 
 
 
性獵奇№4には、なんと「便所落書名所案内 大阪の巻」として、出だしから文末までそっくりな文章が掲載されております。
 
 
また、東京の地名を大阪の地名に変換するなどの手直しが何カ所も施されています。読者諸兄の皆々様に読み比べて頂きたく思います。
 
 
 
 
 
 
便所の落書を紹介して行く本文は、ランダムに順番を入れ替えておりますが「談奇黨」にある落書と同じものが使用。例「シクロはなかなかききます」
 
 
 
 
 
更には挿絵に至るまで忠実に「復刻」されております。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「〆」の一文もご覧の通りであります。
 
 
 
 
 
 
 
 
「談奇黨」と「変態集團・性獵奇」を読み比べて行くと当今に於ける所謂、悪意に満ちたパクリや転載とは全く異なる「温もり」に似たものを感じ取れるのです。勿論、戦後のドサクサの中で生まれたカストリ雑誌は、昭和初期のエログロ誌からの引用、転載など謂わば何でもありのフリーダムな状況だったのは確かでありますが・・・・・。
 
「談奇黨」から大雅社大阪カストリ雑誌の時代とでは、凡そ十六年程の差異が生じているのであります。これは憶測ではありますが、一見転載に見える諸所・・・・、これらは若きカストリクリエーター諸氏が、偉大なる先人たる「談奇黨」を筆頭とした昭和初期エログロ誌への「敬意(オマージュ)」の現われの一つだったのではないでしょうか。
 
若しそうであるならば七十年を経て、世紀の大発見也!と言わんばかりに大喜びし、ウェブに駄文をあげてる小生を、若きカストリクリエーター諸氏は草葉の陰から腹を抱えて大笑いしていることでありましょう。