やってられっかい! | るるる de スピ・コチ!

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魔法のスピリチュアルコーチング

自己開示し始めると

あいつなにやってんねん?とか、

なんか変なことやり始めなとか、

そんなことよくやるわ!とか、

やめとけ、やめとけ…とか。

 
 
いろんな人や所から、批判やブロックが出てきます。

 
かく言う私も新しい分野に挑んだら、
こんなようなコメントをいただきます(。-_-。)


あざーす(^○^)


でもね。

それは自分の中にある
自分への恐れや疑いが
誰かの口になって出てきるだけ


これ、ほんま。



そんな声なんて無視してやればいいんでしょ?
それくらい私は強い信念を持って…


ちょっと待った!




そのとき起きる感情(声)は、無視したらアカンのです。


だって、あなたの耳に入る誹謗 中傷 批判は、
あなたが周りの人の口を借りて言われてる自分の声。


そんな自分の声を聞いて


どんな感情が湧いているか?

を、丁寧に感じて、それに向き合うことが大事。

そこでわかったふりして、
信念とかという
一見かっこいい言葉にすり替えて
オトナになったふりしたらあきません。
 

元の木網。振り出しに戻る。

ちーん。



どんなときも湧いてきた感情を押し殺したらあきません(。-_-。)


湧いてきた感情はどんなんか、

冷静に自分をみるだけ。


批判されて

悲しいのか?…なんで悲しいの?

腹が立ったのか?…なんで腹が立つの?

虚しいのか?…なんで虚しいの?

死にたくなったのか?…なにがそんなに辛いの?


人の言葉を借りて、湧いた感情を見る。


その先にある自己開示は

ずっと押し殺してきた自分の中の自分との再会!

後回しにしてきた自分への仲直り♡

許せなかった自分への許し…

だったりする

大切なこと

自己表現


そうやのに、
信念という一見それらしいものに置き換えてしまうと

単に
いままてま殺している自分とか

外に出せない自分を

出すための外に出すためのさらなる言い訳
にしてしまう。

なんでそれがアカンのかって?

信念という言葉に置き換えてもでも、
自己開示できるんやったらええやん!

て?


うーん。それってね。

内なる素直な感情の解放じゃなくなるよねー。


やりたいから…やる。

言いたいから…する。

そこに理屈はないの!

だから、一見整合性がなくなる行動になるときもあるでしょうね。

これがもし、信念という言葉にとらわれてくくられてしまったら…

信念から外れたらいけない!と自分の中で

「これは私の信念に反する」

とか何とか言うて、
知らないうちに、行動と信念の整合性を取ろうとして
内なる声や感情と反したことをしてしまう危険性があると思うの。

 

あくまでもまずは、

自分の中から湧き上がる
突き上げられる想いが大切。

そんな想いと、自分の行動に整合性があればいい!


これこそが

自分に素直になっている

という整合性。

自分に素直に生きるという感覚。
 

そんな感覚は他人が尺度で測れないし、
測られても気にすることはない。

あなたが

自分が良ければそれでいい!

という整合性があるとき…


他人が計った言葉はおさまってきます。


おさまった…はないか(笑)

言い方を変えれば、
おさまるというよりは、


どんな声も氣にならなくなる…というのがいいのでしょう。


 

大丈夫。あなたがあなたである限り。


自分の想いと自分の行動に整合性がある限り
批判や誹謗というものが、

意見や改善策というものに

自ずと変化するのです。



だから…

(嫌われることを)怖がらずに自己開示しよ(^○^)!



☆☆☆☆☆☆☆


ありのままでいたいあなた!


で、自分を楽しくワクワク見つめなおしてみませんか?