難易度★★★★★

globeの9枚目のシングルFACES PLACESは、同名のアルバム『FACES PLACES』の先行シングルとして、FACEに次いで発売されました。

$90年代J-POPの世界へいざなおう!

1997年3月発売 シングル売上40.4万枚

売り上げ枚数こそglobeとしては平均的な部類に入りますが、サビのインパクトのあるパワフルな高音によって、印象に残っている人も多いと思います。

この曲の歌詞は、先に解説したFACEと比べても、かなり難解です。聴く人によっては、この曲の歌詞にはほとんど意味がないと思う人もいるでしょう。しかし、もちろんちゃんと意味があります。それどころか、思わず納得してしまうようなかなり深い意味があります。

歌詞の詳しい検討に入る前に言っておかなければならないのは、この歌詞には大きく分けて二つのテーマがあるということです。それらは相互に密接に関係しあっており、そのどちらに優位があるとも言えないものなのですが、それらは一見したところ異質であるために、かえって歌詞の内容が見えにくくなってしまっているように思われます。

まず、FACES PLACESの歌詞では、作詞者「小室自身の音楽人生」が深く関わっているように思われます。これが一つ目のテーマです。もっとも、これは私自身が考えた解釈ではありません。これについては、後で詳しく説明します。もう一つのテーマは「恋愛」です。詳しく言えば、10代から20代前半までの(おそらく女性目線の)恋愛がテーマとなっています。前回お話したように、FACEの主人公の想定年齢は20代後半でしたが、それと比較するとかなり若々しく、刹那的で奔放な印象を受けます。しかし、私の考えでは、FACEの歌詞とFACES PLCESの歌詞は密接にリンクしています。

さて、FACES PLACESの歌詞は次のような謎めいた場面から始まります。


  One more time ゲームやらせて
  今度は私にカード切らせて
  あなたは甘やかしてはくれない いつも
  ジョークでも 嫌いって言いたくはない


ゲームとは「恋愛」を例えたものです。「もう一度恋愛をさせて」と言っています。「One more time(もう一度)」というのがミソなのですが、それについての説明はここではあえて省略します。「ジョークでも 嫌いって言いたくはない」という最後の歌詞から明らかなように、主人公の女性は目の前の恋人に心底夢中であるように見えます。恋愛をゲームに見立てて、、「今度は私にカード切らせて」と言っているのは、ひとつには、恋愛における駆け引きを意味しています。しかし、彼女は恋人にあまりに夢中すぎて、押したり引いたりといった駆け引きすらできないほどです。「あなたはいつも甘やかしてはくれない」と言っていることから、おそらく恋人の男性はあまりベタベタするタイプではなく、彼女のほうが常に彼を追いかける格好になっている様子が浮かびます。


  Best of my life 愛して
  Best of my life 生きてる


私の読みでは、「life」は「love」にひっかけて用いられています(例によってマーク・パンサーが書いたと思われる歌詞には深くは立ち入らずに参考程度にとどめますが、マークのラップの歌詞には「BEST OF MY LOVE」という表現もみられます)。 主人公の女性は、目の前の恋人をこれまでの人生で一番愛していると考えています。つまり、これが人生で一番の恋であり、今が人生で一番の時なのだと歌っているのです。


正直これだけとって見れば、世にごまんとある恋愛をテーマにした歌詞とさほど大差はありません。目の前の彼氏のことがいかに好きなのか、その心情を吐露しただけの歌詞だったならば、私はたぶんこの曲にさほど興味を持たなかったでしょう。それでは、この曲の歌詞のどこがすごいのか?このことを明らかにするためには、歌詞のもう一つのテーマに立ち入る必要があります。


  Since 1970 lookin' for the FACE
  Lookin' for the PLACE
  Lookin' for the FACES
  Lookin' for the PLACES



私にとって一番謎だったのは、サビの歌詞に出てくる年号の存在でした。FACES PLACESの歌詞には、1970、1981、1984、1994、1997という合計5つの年号が登場します(ちなみに、サビの歌詞は、1997年の場合にSinceの代わりにInが用いられているという些細な違いをのぞけば、すべて共通です)。

私はそれぞれの年号自体には特に意味がないと考えていましたが、ウィキペディアの「FACES PLACES(シングル)」の項目をこのたび参照したところ、どうやらこれらの年号は作詞者である小室自身の音楽人生に由来するらしいということが分かりました。以下はウィキペディアの記事からの抜粋です。

・1970年-大阪万博にて富田勲のシンセサイザー演奏を聴いて衝撃を受けた年
・1981年‐SPEEDWAY(バンド)に加入
・1984年-TM NETWORKデビュー
・1994年-TMN活動終了
・1997年-本作のリリース

この年号の解釈はここでは正しいものとして受け取っておきましょう。してみると、先ほど問題になった「llife」という表現には、小室自身の「人生」という意味も含まれているということになります。その意味するところは少し難解ですが、先ほど「恋愛」というテーマに関して述べたことから類推すると、小室はこれまでの音楽人生の中でつねにベストを尽くしてきた、というメッセージが浮かび上がるでしょう。バンドを移籍したり、活動を終了したりといった転機はこれまでいくつかあったけれど、その時々の活動の各々すべてが小室にとってはつねに最善を尽くした活動だったのであり、単純な優劣をつけられるものではない。自分は常に全力を尽くし、ベストなものを生み出して続けてきたのだと・・・

実に、成功者である小室だからこそ説得力のある内容だと思います。「だから何だ」という気はしないではないですが。しかし、この歌詞は小室のただの自慢話にはとどまりません。小室はここで、そのような自分自身の音楽人生における活動姿勢を、「恋愛」に、特に若者のあいだでの恋愛のあり方に重ね合わせたのです。ここがこの曲の歌詞の本当にすごいところです!すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、小室の「活動姿勢」と若者的な「恋愛のあり方」には、「今」というものに至上の価値を置いて「今」にとことん没入するという共通点があります。このアナロジーだけでも見事なものかもしれませんが、ここで重要なのはむしろ相違点のほうです。

音楽的な「活動姿勢」というテーマの場合には、そうした「今」への没頭は
おおむね肯定的な意味を持ちます。そして、これは何も音楽にかぎった話ではありません。目の前の課題に常に全力で取り組むという姿勢は、あらゆるジャンルにおいて共通するような見習うべき姿勢でしょう。

他方、「恋愛」の場合には、こうした「今」に没頭する姿勢は「刹那的な」という否定的なニュアンスを持つようになります。ミュージシャンがバンドを移籍することで新たなステージに上っていくように、恋愛においても人は出会いと別れを繰り返します。このこと自体はもちろんごく普通の現象でもありますが、FACES PLACESの歌詞では特に激情的な恋愛を好むタイプの女性が念頭に置かれていることに注意する必要があります。彼女は現在の恋人を「一番」愛していると思っています。しかし、よくよく考えてみれば、別れた過去の恋人たちとの恋愛においても、彼女はつねに彼らを「一番」愛していたと思っていたのではないでしょうか。


  One more drink 何か飲ませて
  明日につながるように うまく酔わせて
  どこかに泊まるのと 街をさまようのと
  どっちが悪いなんて 誰が決めるの?


人間の恋愛において、恋の熱が生涯ずっと続くということは、あったとしても非常にまれです。たいていは、時間の経過とともに熱は冷め、徐々に退屈を感じるようになります。激情的な人物ほど、そうした退屈には我慢できないものです。「One more drink 何か飲ませて 明日につながるように うまく酔わせて」という歌詞は、恋の熱が冷めることに対する恐れをうまく表現した歌詞だと思います。しかし、酒の酔いが時間がたったら必ず覚めるように、恋の熱も必ず冷めていきます。そして、新たないい人が見つかると、すぐに興味はそちらに移ってしまいます。「どこかに泊まるのと 街をさまようのと どっちが悪いなんて誰が決めるの?」という歌詞は、様々に解釈可能ですが、ひとつの解釈としては、「どこかに泊まる」という表現は「ひとりの恋人のもとにとどまる」という意味に、「街をさまよう」という表現は「恋人と別れて新しい恋人を探す」という意味に解釈できると思います。『ちょっとそれでは薄情じゃないか』という非難に対して、彼女は『それは本当に悪いことなの?そんなこと誰が決めたの?』と反論(逆ギレ?)しているのです。


  愛してくれてる あなたが決めるの?


おそらくここでは、現在の恋人に向かって『そんなことあなたに決める資格なんてあるの?』と困惑したふりをして冷酷に突き放しています。そして、彼女は新たな恋人を求めて飛び去っていくことでしょう。そうしてまた彼女は新たな恋人をつくり、これまでと同様に、新しい彼をこれまでで「一番(best)」愛していると考えます。なぜなら、彼女にとっては、「今」がつねに「一番」でなければならないからです。そして、「今」が「一番」であるためには、過去の「一番」よりも今の「一番」がさらに「一番」でなければなりません。
実際には過去において「今」が一番だったのとまさに同じ意味で「今」が一番なのであり、同じことをただ繰り返しているにすぎません。しかし、恋は盲目と言うように、恋をしている当人にとっては、「過去」以上に「今」がつねにベストであり、またベストでなければならないのです。

このように見ると、若者的な恋愛のあり方は通常の論理法則を無視しているとも言えます。というのも、ベスト以上のベストなどというのは、論理的にはありえないからです。ベストを超えるベスト、一番以上の一番・・・そのようにして、回を重ねるごとにつねにより過激に、より刺激的な恋愛を求めるようになります(サビの歌詞が最後を除いてつねにSince・・・、Since・・・で始まっていることに注意してください)。

最初は比較的静かな曲調で始まるこの曲ですが、サビのメロディーが年代を踏むごとに激しさを増し、終いには究極的な高音にまで劇的に高まっていく様子は、
比較を絶した「ベスト以上のベスト」の追求という無謀な試みが意味するものをしたたかに表現したものだと私は解釈します。


  〔途中略〕

  こうして歩いて
  いろんな顔して


曲名やサビにみられる「Faces」という表現は、彼女がこれまで数多の恋人たちに見せてきたそれぞれ違った顔を意味しているのかもしれません。「それぞれ違った」顔といっても、すでに説明した通り、本当は同じことを繰り返しているだけなのですが、論理的に見れば、彼女が反復した「ベスト」の数とちょうど同じだけの異なる彼女が存在することになるのです。

歌詞の詳し検討はこれくらいで十分でしょう。
私の拙い説明でどこまでお分かりいただけたか、正直心もとないです。しかし、この曲の歌詞が恋愛をテーマにした通常の曲とはまったく異なることはお分かりいただけたと思います。永遠のベストの追求という崇高な理想は、とくに恋愛においては曲者です。なにより、若さにはかぎりがあるのですから。マークが歌っているように、恋において「時間は無駄にはできない」のです。永遠に恋を繰り返しているだけでは、人は生き遅れてしまうでしょう。



  Mm…
  I'm still, I'm still, I'm stil
l


それを反映するかのように、この曲の終わりは、それまでの劇的な調子からは想像できないほど弱弱しく、どこか寂しげな調子で幕を閉じます。青春が過ぎ去ろうとしているのです。曲の発表の順番は前後しますが、こうしてシングル「Face」の世界観へとつながっていきます。