イスラエル4日目は、北部のティベリアから死海のある南部のエン・ボケックまで移動しました。

今日の訪問先は4カ所。

まず最初はヨルダン川でイエスがはとこのヨハネから洗礼をうけたとされる場所を訪問し、軽く禊を!
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イスラエルとヨルダンの国境はヨルダン川なので、川の向こうはヨルダンです。
よってイスラエル兵が銃を持って国境警備をしています。海外では当たり前でも日本人には珍しい光景で皆さん写真を撮っておられました。
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2つ目のポイントはクムラン遺跡。
こちらは紀元前2世紀頃、クムラン教団と呼ばれるユダヤ教の一派が共同生活を始めた場所です。
ローマ軍が攻めてきた時に彼らは、壺に写本を詰めて岩の洞窟に隠しました。
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それが1947年に発見された「死海写本」です。600点を超える巻物は紀元前2世紀頃のもので、旧約聖書などもあるんですが、凄いのはその内容が今のものと一字一句違わないことだとか!
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次のポイントは、エン・ゲディ国立公園。
ここはイスラエル王国二代目の王のダビデが、初代サウル王から逃れて身を隠した場所とされています。
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また赤塚さんが、聖書の中のダビデとサウルのやり取りを詳しく話して下さり、皆さんのイメージが膨らみました。
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そして、今日のメインは、世界遺産にもなっているマサダです。
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この場所は、紀元前120年頃、要塞が築かれ、その後ローマ統治下でヘロデ大王が離宮兼要塞として改修した場所です。周囲は切り立った崖で、難攻不落と言われました。
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66年にユダヤ人がローマ帝国から独立しようと決起したものの70年に本拠地エルサレムは陥落。
エルアザル・ベン・ヤイルに率いられた967名がエルサレムから逃れ、マサダに立て籠もり、以来2年間、15000人のローマ軍と戦いました。
攻めあぐねるローマ軍はイスラエルの捕虜と奴隷を大量動員して土を運び、山の西側の崖をそっくり埋めて突入口の建設を開始。
こんな感じだったようです。
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勝敗がほぼ決したある夜、リーダーのヤイルは男たちを集めて、対応を話し合います。

選択肢はいくつかありました!
1.降伏してローマ人の奴隷になる
2.徹底抗戦する。敗れたら女子供は凌辱されて皆殺し。

ヤイルはこの2つを良しとしませんでした。
誇り高いユダヤの民は、ローマ人に屈することはしない、我々が屈するのは我々の神だけだと!

こう訴えたヤイルに従い、なんとまだ食料も武器もあったのに、960名が集団自決をします。
その方法は、陶片に名前を書いたものをクジとして引き、当たった者たち10人がそれぞれのグループの者を刺し殺します。そしてその10人がさらにクジを引き、当たった1名が他の9人を殺し、最後にその1人が自ら命を絶ったのです。

ヤイルらは証人として、2人の女性と5人の子供を残し、ローマに降ったヨセフスという者が、女たちから聞いた話などをもとに『ユダヤ戦記』として以上の話を書き残したのです。
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 この砦の攻防を最後に、ユダヤ人は国を失い、全世界へ離散していき、1900年後の1948年のイスラエル建国まで流浪の民となるわけです。

現在イスラエルでは、男子3年、女子20ヶ月の徴兵があります。
彼らはイスラエル軍に入る時、夜中自分たちの足でこのマサダ砦に上り、片手に銃、片手に聖書を持ち、このマサダ砦の戦いの歴史と大地に見える「マサダは二度と陥落させない」という火文字をしっかり脳裏に叩き込まれます。
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赤塚さん曰く、
戦闘機はやぶさなどを作った糸川博士は、
戦後魂を失い溶けて亡くなりそうな日本人は、「命にかえても守りたいもののあることの幸せ」を取り戻さねばならない、イスラエルに学べと、周囲の方に伝えられたそうです。

その思いを受けた赤塚さんが、我々をイスラエルに連れてきて下さり、今日の学びを与えてくださりました。

私は、マサダの戦いの歴史を改めて聞いて、
戊辰戦争の会津藩士の戦いと、大東亜戦争の硫黄島の戦い、沖縄の戦いを思い出しました。

会津若松の飯盛山には藩士を讃える碑がありますが、一部重要部分がGHQにより削りとられています。硫黄島には入れませんし、沖縄は左翼や反日外国人の溜まり場にされています。

どうも日本人に、「命にかえても守りたいもののあることの幸せ」は伝えたくないようです。

大和魂に火をつけては駄目なんですね。

しかし、私は敢えてそれをやろうとしています。
そのために政治家になったんですから。
議員のバッチが欲しくて、政治家になったわけではない。それはこれからも行動で見せていきます!

まさかこのツアーに来て、赤塚さんからこんなメッセージを受け取るなんて思ってませんでした。

私も近く仲間を連れて、再びイスラエルに来ようと心に決めました。