イスラエル2日はガリラヤ湖畔でイエスの足跡を辿る旅でした。

昨夜はキリストが生まれ育ったナザレからすぐ近くのティベリアに宿泊し、今日の朝一番は、パンの奇蹟教会を訪問。
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キリストが自分の考えを伝道する折、5つのパンと2匹の魚を5000人以上の人に与えたという奇跡の場所で、

キリスト教についてほとんど知識がない私も知っているくらい有名な話しの舞台になった場所が今は教会になっています。
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昔は、食事を置いたとされる岩も触れたようなのですが、いまではもう柵ができて触ることはできません。何かがあったんでしょうね。


続いて行ったのは、カペナウム。
ここにはイエスの一番弟子のペテロの実家跡もあります。2000年前の家の跡が残っているのは凄い。
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また家の規模からペテロがそれなりに裕福な漁師であったことがわかります。そうした環境を捨てて、イエスの弟子になったわけですからかなりの想いがあったんでしょう。
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イエスはここを拠点に12人の使徒を集めていくんですね。
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次は、イエスが悔い改めない人々に怒りを表したコラズィンを通り、山上の垂訓教会へ。
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イエスがその教えの重要なものを語ったのがこの場所とされています。
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今でこそ立派な教会が緑の中に立っていますが、元々はコラズィンのような岩場であったはず。それを表した絵画もありました。
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イエスはこんな場所で伝道活動をしていたとは。全くイメージが変わりました。
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我々は、山上垂訓教会から少し山を降りた場所で赤塚高仁さんから、パウロがイエスを弾圧する側から回心したエピソードを聞かせてもらいました。
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場の力もあったのでしょう。情景が目に浮かび聖書の一場面が頭に刻み込まれました。
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そしてランチは、ガリラヤ湖で採れたセントピーターズフィッシュを頂きます。ペテロの魚という意味で、イエスが税を納める時にペテロに採らせたらこの魚が銀貨をくわえていたというエピソードがあります。

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ランチのあとは、ガリラヤ湖クルーズを楽しみました。
ここで感動したのは、船に君が代が流れて国旗掲揚をして下さったことです。

我々のチームは当然全員起立して国歌斉唱です。しかし、日本人のガイドのバラさんに聞くと、他の日本人を案内しても皆さん立ちもしないし、国歌斉唱しないんだとか>_<

皆さん、素晴らしいと言って下さったけれども、それが普通でできないのが、アンポンタンなわけです。
君が代の後はイスラエル国歌も歌われてました。当然こちらも起立して国旗掲揚です。
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ガリラヤ湖の向かい側は紛争地帯のシリアや自衛隊がいたゴラン高原です。
そんな場所で皆さんと国歌斉唱、国旗掲揚できるなんて、素敵じゃないですか!
何人か涙を流していらしたし、私も目頭が熱くなりました。
この思いは伝わるでしょうか?

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クルーズの後は、ペテロ首位権の教会へ。
ここは、イエスが初めて漁師をしていたペテロらに出会い、また受難後に復活してペテロらに再会する場所です。

ここでも赤塚さんが、イエスがローマ兵に連れて行かれ、処刑される場面から、ペテロらに再会する場面のお話をして下さりました。

研修2日目にして、私も聖書しっかり読んでみようかと思うほど、イエスと使徒たちのやり取りや人間性を感じるお話でした。

2000年前の物語をつい最近のことのように感じました。
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イエスとペテロの出会いの場所で足だけ禊です。

今日のテーマは、イエスの伝道の足跡を辿ることでした。
私のイメージは、イエスは何年もかけてイスラエル中を駆けずり回って布教したイメージでしたが、実際はわずか3年、狭い場所で行っていたんですね。しかも、丘の上や野外でです。

私は今日、イエスと弟子たちのやり取りを学びながら、吉田松陰先生と松下村塾の弟子たちのやり取りを重ねてしまいました。

松下村塾の教育も2年足らずのわずか期間で、場所は松陰先生の実家の杉家近郊だけです。
ほんのわずかな期間で弟子たちに想いを伝えるが、なかなか伝わらず、裏切られ苦悩しながら生きる姿。最後は「かくなるものと知りながら」命をかけて、信仰や想いを残した姿は2人をダブらせると私は感じました。

そして、弟子はローマ教会や明治政府をつくっていくんです。
似てませんか?

さらに私は今日生まれて初めて、イエスと弟子たちの話をしっかり聞いて、
キリスト教も神道や仏教に似ているなあと感じました。要は修身を問いているように私は感じます。

そして、イエスはローマ教会なんかつくって、十字軍を派遣したり、宣教といいながら、世界に植民地をつくることなんか望んでなかったんだろうな、とも感じました。

吉田松陰先生が、明治政府によるあのような維新政策を望んでいなかっただろうと思うのと同じように。

私も日本や世界が良く変わるようにと考えて毎日活動していますが、気をつけねば、人間というのは大きな組織をつくる過程でいろいろ変な考えや人が混じっていき、どこかでおかしくなるという可能性を頭に入れてやるべきだ、という教訓を得た1日でした。