昨日からヨルダンに入っており、今朝は5:30に起床し、世界遺産にもなっているペトラ遺跡を探索です。
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ペトラの地域は、1万年ほど前から人が住んでおり、紀元前6世紀ごろからアラブ民族のナバタイ人が住み始め、紀元前1世紀〜1世紀にかけてナバタイ人の首都として栄え、今に残る遺跡群を作り上げました。

2世紀初めにはローマ帝国に併合され、ローマ建築も花開きましたが、4世紀に大地震で崩壊し、7世紀には誰も住まなくなったといいます。

その後発見されたのは19世紀初頭です。
 
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ガイドブックによると、遺跡を見るには1〜2日は最低必要と書いてありましたが、今日私に与えられた時間は7:00〜10:30の3時間半。
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ゲートをくぐると皆さんに別れを告げて、ダッシュで、エル・ハズネに向かいます。 

インディージョーンズでも有名なこのお墓、なんと岩の上の方から削っていったそうです。
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時間がないのでそこから円形劇場や王家の墓、大神殿を超えて、スタート地点から5キロほど離れたエド・ディル修道院に急ぎます。
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800段の階段を登りきってエド・ディルに着いた時には、まだ8:35で、生温いコーラで乾杯する余裕もあったんです。

エド・ディルの先にはモーゼのお兄さんのアロンの墓もあるそうですが、その山まではとても行けそうになく、おとなしく引き返しました。
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帰りには美しいモザイク画の残るペトラ教会にも行き、ペトラ遺跡の主要どころはほぼ回りきりました。

2時間半でなんとかなるもんだと慢心し、もう一つだけ行けていなかった犠牲祭壇を目指したのが大失敗でした。

メインコースを外れたのが9:30。
サッと20分で見たら、10:30にはホテルに戻れる計算でした。

しかし、祭壇の方は足場が砂のため走る事難しく、案内板がないため、道に迷ってしまったのです。誰もいない場所に行ってしまいました。

するとそこに偶然、ロバに乗ったおじさんが。

私は残り40分しかなかったため、現在地を確認しようと道を尋ねると、私が行こうとした方向には道がないといいます。

仕方なく、来た道を戻ろうとしていると、入り口まで抜ける道があり、そこを通れば30分で入り口に戻れると!

案内をするから少しガイド料をくれるか、というので、ヨルダンディナールは無いから、イスラエルシュケルでもいいかと聞くと、人助けだからいいよ!といいます。

それにのったのが、ダメでした。

なんと案内されたのは断崖を登るようなコース。一つ目の山までは登って降りれましたが、二つ目の山で息切れします。

それを待ってましたといわんばかりに、おさじさんのロバに乗れと言われます。
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当然別料金です>_<

二つ目の山を超えたあたりで10:23。

目の前にはもう一つ山が!

「本当にこの先に入り口はあるのか?」
と何回も聞くと、その都度山の向こうだといいます。

すれ違う人はなく、ベドウィンが羊の群れを率いて歩いているだけ。
「俺、このまま知らないところに連れて行かれてベドウィンになるのかな」とすら思いましたが、

いかんせん時間がない。

とにかく登ろうと腹をくくり、またロバの背にまたがります。
そして最後の山の上に着いたのが10:32。

おじさんは、俺はここまでだからあとは自分でいけ、道は俺が山の上から指示するといいます。

一瞬殺意を覚えましたが、言い争う時間がない。

超高速参覲交代の映画のように、岩山を駆け下りていくと、朝通ったメインロードに辿りつきました。

しかし、水をしばらくのんでいないので、脱水気味で足が軽くつっています。

走れない。

皆さんのいるホテルまでは残り1キロの登り坂。

困っていたら馬を引いた兄ちゃんが、馬に乗れと言ってきます。
金額は7ドル。現金がないからホテルで払うと言って、馬に乗って暴れん坊将軍に。

すると兄ちゃんがついて来れないから、別のおっちゃんが別の馬で伴走。

ホテル近くについたら、おっちゃんはここまでしかいかないからここで払えというし、さっき交渉した兄ちゃんはいないし、時間は10:45になってるし。

仕方がないから、日本円で受け取れ!というとレートがわからないからダメだといいます。

最後はこっちもキレて、「俺は日本人だ。日本人は嘘はつかないから受け取れ!」と威圧したら、折れてくれ、結局2頭分で2000円を渡し、走ってバスまで辿りつきました。

9:40にロバのおっちゃんに出逢ってからバスに到着するまで約65分間。

何回も交渉させられるし、
水はないし、足は吊るし、
山を3つも越えさせられるし
ロバと馬を乗り継ぐしと
ハリソンフォードもびっくりの大冒険でした。

でもよく65分で帰って来れたと思います。
2時間くらいかかったように思いましたが、時間が少し止まってくれたようです。


ここまででこの日のパワーは全部使い果たしました。

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午後にはマダバの聖ジョージ教会に。

ここには紀元前6世紀に作られた「マダバ地図」がありました。
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もともとは21×7mの巨大なモザイク画でしたが、今は一部しか残っていません。
ただ、かなり正確な地図で、エルサレムの街には街道が2つか書かれていて、1897年にモザイク画が見つかった時にはエルサレムに街道は1つしか残ってなかったんですが、この地図を元に探したら、街道が出てきたそうです。
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そして今日の最終地はモーゼが無くなったとされるネボ山を訪問。
ここに来るためにヨルダンに来たようなものです。

昨日我々は紅海沿岸のアカバからはいり、ペトラを経て、ネボ山にきました。

これはまさにモーゼがエジプトを出てから、40年かけて歩いてきた道そのものです。

道中はほとんど砂漠の道でした。
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ネボ山からはパレスチナ自治区のエリコの街などが見えます。

エリコも1万年前から人が住むオアシス都市だとか。

そのオアシスをネボ山からみて、モーゼらが「約束の地」た取り着いたと感じたのが、ずっと砂漠をみてきたので、よくわかります。

ただモーゼは神に言われ、約束の地に入れずにこのネボ山で120年の生涯を閉じたと言われます。
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そんなモーゼは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖人であり、世界中からこのネボ山に人が集まります。

私は今回の旅で、聖書のことを少し学んだだけですが、何か少しモーゼの気持ちを感じれたように思います。

古事記の勉強もそうですが、やはり現地に行って感じて、学ぶことが本当に大切です。


ただ今日はメインのモーゼ以上に、朝の失敗から学んだ神谷でした。