友達の子供たちも一緒に出産祝いに行ったんだ。
5歳「Aemiちゃん、これなぁに?」
って聞いてくるから
Aemi「おむつケーキ。お祝いだから病院に着いたらプレゼントするんだよ。」
5歳「へぇ、おむつぅ?ケーキ?おむつで出来てるの?まずそう~。」
Aemi「ははははは!」
なんていう会話をして病院に到着。
お祝いを渡して、話に花が咲いて、楽しい時間はあっという間。
帰ろうと身支度を始めると…
「ちょっと!Aemiちゃん!おむつケーキ食べてないのにどうして帰るの!?ケーキ食べたいよ!」
と…
( ゚д゚)ふぇ?
.....。
あ、あぁ。そうか。
そうだ、そうだ。
5歳ってそうだ。
おむつが何なのかがわかっていても
おむつで出来たケーキ=食べられない
とはならない。
大人が「おむつで出来たケーキ」だと言えば、「おむつって食べれるんだ!」って答えに辿り着いたりする。
私もそうだった。
幼い頃は毎日わからないことだらけで一日が終わっていった。
知りたいのにイマイチ理解出来なくて、何でも一人でやりたいのにどうも身体が思うように動かない。
自分で服を着たくて、むやみやたらに頭を突っ込んでみるけど出口は一向に見つからない。
窮屈になって泣くと、お母さんが手助けしてくれる。
悔しいけど、そんな風にして一日が終わる。
5歳ってそんなんだった。
そして、この感覚は28歳になった今でも体感することがある。
私は日本語教育と韓国語を勉強している訳だけど、テキストを一回読んだだけじゃ到底理解できない。
すごいもどかしいんだけど、泣いたところでお母さんは助けには来ないし、(こう言っちゃ悪いが)来てくれても解決はしないだろう。
でも、わからないまま終わりたくない。
せっかく生まれてきたんだ。
より多くのことを理解したい。
人より少し多く学んで、学んだことを伝えたい。
あ!もしかしたら、学んだことを誰かに教えることが人間の生きた証なのかも。
だから、子供を産んで育てるのかも!?
あれ、急に哲学っぽくなった。
とにかく!何が言いたいかというと!
私よ!
勉強しろ!
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Read by all means.
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