第6回 犯罪・テロの背景の精神病理 コンプレックス | 上祐史浩

上祐史浩

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前回に引き続き、テロリズムの背景にある精神病理を理解する上で有益なのものとして、劣等感・コンプレックスに関する心理学を取り上げたいと思います。

 この劣等感・コンプレックスに関する心理学者と言えば、近年日本でも注目されているアドラーなどが代表的であり、欧米ではフロイト、ユングと並び「心理学界の三大巨頭」と称され、絶大な支持を誇っているそうです。

   これは、人間の多くの行動の原理は、劣等感にあるという考え方です。例えば、人間は自然界で、他の動物と比べ、大きな力や体を持っておらず、生物学的に 劣等性を持っており、これを補うために「集団」「社会」を形成し、防御・攻撃・生活のために道具を創造し、体力の代わりに知性を発達させたとします。

 さらに、大自然・宇宙の中で自分が無力で、死んでいくことに劣等感をもち、それを補うため、宗教・哲学・芸術を生み出したとします。

 この劣等感とは、他より劣っていて、負い目や恥ずかしさと感じ、無気力になったり、勇気をなくすことなどとされますが、どんな人にも程度の差はあっても、存在するものとされます。

   そして、劣等感は、神経症の原因にもなれば、それをバネに成長することもあるものとされます。例えば、劣等感を持った子どもに対して、その劣等性を批判 したら神経症になる可能性が高くなり、逆に、勇気づけると、劣等性に対処するための意欲と勇気を持つようになるとされます。

 さて、重要なのが、この劣等感への対処です。劣等感を感じた時に、私達が取る態度や行動には、以下のようなものがあるとします。

 第一は、鍛錬して劣等性を克服する。例えば、体の弱い人が体を鍛えて強くするとか、勉強ができない人が努力して出来るようになるなど。これは直接的な劣等感の解消です。

   第二は、劣等感を感じている部分とは異なる部分の自分の能力を使って、劣等感の補償を行う。勉強が苦手でも、スポーツを頑張るなど。これは間接的な劣等 感の緩和です。生まれつきの障害などがあると、第一の直接的な解消はできませんから、この観察的な解消・緩和が必要になってきます。

 第三に、最も好ましくない劣等性への反応として、自分で劣等性を克服したり補償することを諦めて、「自分を守ってくれる他者に完全に依存する」という ケースがあるとします。この場合には、社会適応性が著しく低くなり、他者に依存的かつ物事に消極的な性格・行動パターンが定着しやすくなるとされます。

 そして、劣等感がマイナスに作用して、自分が過度に劣っていると考える状態を「劣等コンプレックス」と呼びます。劣等感を受け入れられず、無意識に否定的な感情と結びつた反応です。

   例えば、「どうせ自分はだめだから」といった気持ちになってしまうものです。極度に恥ずかしがったり、臆病になったり、引きこもってしまうのも、この劣 等コンプレックスの現れとされます。これらは、自分の耐えがたい劣等性が人前にさらされる、笑われたり、傷つくことを避けるものです。

 仮に、人間が生物的な劣等性を補うために集団・社会を形成したと考えるならば、劣等コンプレックスによって、その社会への関わりを断つということは、何か重大な試練が、現代社会に訪れているように思います。

 自然の脅威の中で、生存の必要のために形成された社会が、心地よく生きるには逆に障害となり、コンプレックスのために、自殺や他殺を招くとするならば、これは、現代社会の大きな試練かもしれません。

 さらに、劣等コンプレックスの埋め合わせ(補償)として、自分が優れていると思う部分を強調し、心の安定を図ろうとする反応は、劣等コンプレックスとは反対に「優越コンプレックス」と言われています。

   これに関連して、自分を守ろうとする反応(自衛反応)として、「言い訳をいう」「失敗の原因を誰かのせいにする」「他人の劣っている点を見つけて見下 す」「相手にとって不必要な協力を自分から申し出る」「障壁を心の中に作る(引きこもる)」「自分がされた嫌なことを他の人にも行う」といった言動が行わ れると言います。

 そして、重要なこととして、この劣等コンプレックスと、それを背景とした優等コンプレックスの問題が、少なからぬ人々の精神病、日常生活の人間関係の問題、さらには、前回のパーソナルテロや集団のテロ・国家の戦争の背景として存在しているのではと思うのです。

 というのは、劣等コンプレックスを埋め合わせるための優等コンプレックスの一例が、自分が周囲に(社会で)評価されない場合に、周囲(社会)が悪いからだと考えることだと思います。

 もちろん、実際に、周囲(社会)が悪い場合はあると思います。地動説を唱えた際のガリレオのように、もしそうであるならば、その人は、社会に革新をもたらす先駆者となります。

 これは、前回の誇大自己症候群が良い形で現れた場合であり、高い自負心と共に、常識にはない発想を有し、後に偉人と認められる人であり、社会に評価されない中で、粘り強く努力し、評価される時を待つ人でしょう。

 しかし、劣等コンプレックスに耐えかねて、客観的な視点を失って、自分が正しく、周囲・社会が間違っていると思い込んでしまう場合が、優等コンプレックスです。これは、被害妄想と誇大妄想がセットになった症状かもしれません。

 オウムの場合は、麻原が自分自身が、世紀末に現れ、悪の集団に弾圧されるが、最後は悪との戦いに勝利する善の集団を率いる救世主(戦う神の中心)であると考えました。

 ここには、客観的・合理的な視点がなく、粘り強く努力をし、社会の評価を変えようとはせず、終末の危機が近いという妄想の下で、暴力手段で問題を解決しようという性急さが特徴です。

   麻原が教祖になるまでの人生の過程を見てみると、コンプレックスの問題があるように思います。実際に、その初期の著作(生死を超える)の中には、麻原が 「解脱」したと称する前の話として、プライドとコンプレックスでひどく葛藤し、人生はなんとつらいのか、と思い悩んだことが率直に書かれています。

 実際に、彼は、幼少の際に、自分の意に反して親元から離されました。自分自身は全盲ではないのに、他の生徒は皆が全盲である全寮制の盲学校に入れられました。その後の学業でも、東大進学や医師志望といった高望みをしましたが、全くかないませんでした。

   その後の事業においても、薬局を経営しては保険の不正請求を指摘されて失敗し、漢方薬を売っては薬事法で逮捕される(略式起訴で罰金刑)など、挫折の連 続の人生を歩みました。こうして自尊心が高いにもかかわらず、それが満たされず、相当のコンプレックスに苦しんだのだと思います。

 しかし、その後、彼は、ヨガに巡り合い、自分自身で様々な神秘体験をして、1984年ごろから、ヨガの教師としてブレークしました。87年にオウム真理教を設立し、教祖となります。この神秘体験と、神秘体験に誘導する彼の技法は、彼のカリスマ性を形成しました。

   80年代には、健康目的のヨガではなく、瞑想体験・神秘体験・解脱を売り物として、激しい呼吸法等を用いるヨガ団体は、オウムの他には目立ったものはな く、それが魅力の一つとなって、人が集まったのだと思います(ここで注意すべきは、この神秘体験が過大評価され、評価を誤れば精神病理の一因になることが 認識されていなかったことだと思います)。

 加えて、自分に従う者に対しては、面倒見の良い彼の性格等もあったと思いますその裏には、自分と敵対する者に対しては激しい攻撃性を有していたことが信者には認識されませんでしたが、これも誇大自己症候群や、優等コンプレックスの症状の一つだと思います。

 こうした中で、彼は、85年に、神軍を率いて戦いの中心となる神となれ、という神の啓示を受けたと考えます。そして、修行をして超能力を得た民(神仙の民)の国を築くべきだとして、オウム神仙の会(オウム真理教の前身)を設立し、救済活動を開始すると主張しました。

 そして、88年末には、麻原は、終末戦争を説くとも言われる聖書のヨハネ黙示録を独自に解釈し、真理の世界が出来る前の起こる終末戦争において、悪の集団に弾圧される善の集団を率いる救世主と自己を位置付けました。

   このプロセスは、長い間非常に強い「劣等コンプレックス」に悩んだ麻原が、ヨガを始めた後に自分に起こった神秘体験・啓示体験のために、自分が長らく評 価されず批判されたのは、予言された「弾圧される救世主だった」からだという妄想的な「優等コンプレックス」を形成したのではと思うのです。

 また、刑事摘発されるという社会の底辺から、ヨガ団体のリーダーにまで、数年で急激に上昇したことも、麻原に誇大妄想を抱かせる要因になったかもしれません。

   イスラム国のリーダーとして、ムハンマドの代理人を意味するカリフを自称するバグダーディという人物にも、麻原と共通点があるかもしれません。彼は、投 獄中に、イスラムの過激思想に巡り合ったともされます。その中には、イスラム国に多くの若者を引き付けている終末思想も含まれていたと思います。

   出所後は、イスラム国の指導者の一人となり、彼が獄中で出会ったと思われる旧イラクのフセイン体制の幹部を取り込むなどして、イスラム国は、急速に勢力 を拡大しました。彼個人も、前任者が殺害されるなどして、トップに上りつめました。この急激な上昇は、彼が自己過信の陥る原因となったかもしれません。昨 年2014年に、自らを神の預言者の代理人であるカリフと宣言しました。

 今年、イスラム国が、ヨルダン人パイロットに対して、イスラム教において不信心者に対する神の裁きとされる火あぶり刑を行ない、厳しく批判されました。 しかし、バグダーディは、神の代理人として、神の裁きを代行したと考えているのかもしれません(本来のカリフにはそうした権限はないそうですが)。

 仮にそうならば、麻原彰晃が、神の化身として、様々な犯罪や教団武装化を指示したのと似かよった面があるのではないかと思います。

 さて、次回は、これまでお話しした誇大自己症候群や劣等感・コンプレックスに加えて、劣等感ではなく優越感による問題や、個人ではなく集団に働く精神病理(集団心理)にまで、話題を広げてお話しします。