私とプロレス 佐野和哉さんの場合「第1回 きっかけはウルトラマン」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 

 今回のゲストは、ホラー作家の佐野和哉(ダイナマイト・キッド)さんです。

 

 
 



(画像は本人提供です) 

   


佐野和哉(ダイナマイト・キッド)

1986年7月18日生まれ。

170センチ100キロ。


本名の佐野和哉名義での活動のほか

TBSラジオ「伊集院光 深夜の馬鹿力」にも時々、投稿しています。

御用の方は

Kazuya18@hotmail.co.jp

までどうぞ。


(プロモーション情報)

普段は小説を書いています。ネット小説大賞11で拙作

タクシー運転手のヨシダさん

が2次審査を通過しました!

ホラー、SFバトル、そのほか不思議な話なども。

よろしければご覧ください。


小説家になろう

https://mypage.syosetu.com/mypage/top/userid/912998/


アルファポリス

https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/376432056



私は以前から「小説家になろう」「アルファポリス」で書かれている佐野さんの文章が好きで、過去にこのような記事を書かせていただきました。


キッドさんの味わい~「僕の好きな職人レスラー」&「王道プロレスとストロングスタイルと」レビュー~ 


佐野さんは元々闘龍門に入門した経歴を持つプロレスラーの卵でした。しかし、プロレスラーになれずに挫折した過去があります。恐らくそんな自分がプロレスについて書くことにどこかしらの恐縮さと慎重さも感じるのです。

あと佐野さんはプロレスが好きだけど、それを他人と分かち合うことが少し苦手という印象もあり、だから佐野さんが書く「自分みたいなものがプロレスを書いてすいません」という一種の腰の低さが伝わるんです。

そんな佐野さんとは3時間、ズームでインタビューさせていただきました!



 
是非ご覧ください!
 
 
私とプロレス 佐野和哉(ダイナマイト・キッド)さんの場合
「第1回 きっかけはウルトラマン」
 


佐野さんがプロレスを好きになったきっかけ


──佐野さん、このような企画にご協力いただきありがとうございます!今回は「私とプロレス」というテーマで色々とお伺いしますので、よろしくお願いいたします。
 
佐野さん こちらこそよろしくお願いします!

──まずは佐野さんがプロレスを好きになったきっかけについて語ってください。

佐野さん 僕は、プロレスより前にウルトラマンが好きだったんです。ある日もおじいちゃんに連れて行ってもらったんですけど、円谷プロのウルトラマンとルチャリブレのウルトラマンを間違えてビデオを借りてしまったんです(笑)。


──ハハハ(笑)。

佐野さん 近所のビデオ屋は特撮とプロレスのコーナーが近くて、ウルトラマンがあって仮面ライダーがあってシャイダーとかギャバンとかあるじゃないすか。その隣にタイガーマスクのビデオがあったんです。初代タイガーマスクの試合が収録されたVHSのパッケージにウルトラマンと書いてあったのを見て、「ウルトラマンが出てくるのかな」と思って借りました。すると全然ウルトラマンが出てこなくて、代わりに出てきたのが銀色のマスクを着用した上半身裸の人で。実況の古舘伊知郎アナウンサーが「劇画の世界から登場した夢のヒーロー対決!」とか言っていて。それがルチャリブレのウルトラマンだったんです。



──ちなみに何歳の時ですか?

佐野さん 5歳でした。ちょうどテレビで仮面ライダーBLACKをやっていて、特撮にハマっていたんですよ。


──初代タイガーのVHSはレンタルビデオ屋で借りて何度も見ましたけど最高ですよね!そこからどのようにプロレスを好きになったのですか?

佐野さん 初代タイガーのVHSに出ていたダイナマイト・キッドの試合を見てハマっちゃったんです。初代タイガーのデビュー戦の相手がキッドで、ライバルとして抗争を繰り広げていたじゃないですか。ほかにも対戦相手はブレット・ハートとか男前もいれば、華麗なマスクマンもいて、渋い寺西勇さんもいる中で、ダイナマイト・キッドは仮面ライダーに出てくるショッカーの怪人みたいだったんです。筋骨隆々で顔もカッコよくて怖い。初代ブラック・タイガーやスティーブ・ライトは試合が丁寧ですよね。でもキッドはすぐ殴って蹴ってボコボコにして場外に行ってフェンスに叩きつけたりするので、僕には怪獣に見えたんですよ。最初は借りるビデオを間違ったことがきっかけでしたが、キッドの試合からプロレスというものが僕の中にしっかり入り込みましたね。

──いい出会いじゃないでしょうか。もし初代タイガーVSウルトラマンだけ見たら、プロレスを好きになっているか分からないですよね。

佐野さん そうですね。


初めてのプロレス観戦

──ちなみに初めてのプロレス会場観戦はいつ頃ですか?

佐野さん 13歳、中学1年の時です。1999年7月、エンターテインメントプロレスを突き進んでいた頃のFMW豊橋大会を見に行きました。当時は田中将斗さん、邪道さんと外道さんもいて、あとスーパー・レザー(オリジナル・レザーフェイス)もいて、アルマゲドン1号とアルマゲドン2号がいました。

──アルマゲドンズは後にWWEでジャマール(アルマゲドン1号)とロージー(アルマゲドン2号)の「スリー・ミニッツ・ワーニング」で活躍してます。

佐野さん ミスター雁之助さんと金村キンタロー(当時は金村ゆきひろ)さんと邪道さんがトリオを組んで入場口でブリブラダンスを踊っていたので、一緒に踊ってました(笑)。

──ハハハ(笑)。

佐野さん 母親に誕生日プレゼントだからといって頼み込んでリングサイドの最前列の席のチケットを買ってもらって。で写真を撮ってたらスーパー・レザーにチェーンソーで追っかけまわされて。あの時は本当に「殺される!」と思いました。


──怖い体験をされましたね。

佐野さん ちなみに第1試合がリッキー・フジVSフライングキッド市原で、これは忘れられない試合です。生まれて初めて目の前で観たプロレス…それがリッキーさんと市原さん。チケットを握りしめて、買ったばかりのパンフレットを持って観たこの試合は5分くらい投げ技もなくてずっと腕や足を取りあいで、リングのキャンパスをシューズがキュッキュッとこする音と、リッキーさんと市原さんの息遣いだけが聞こえてくる。最初にリッキーさんがボディスラムで投げたんですけど、あの一発で僕の心を持っていかれました。ただ勝敗は覚えていません。

──プロレスのお手本のような試合だったんですね。

佐野さん はい。あとリッキーさんのカミカゼを生で観れて感動したんですよ。あの頃の僕はFMW一直線でしたね。


「エンターテインメントプロレス」FMWの凄さと魅力


──佐野さんは好きなプロレス団体のひとつにFMWを挙げています。FMWの凄さと魅力について語ってください。

佐野さん 僕が見ていたFMWは人間でいえば晩年だったと思うんですよね。2002年に団体は崩壊してますから。従来のデスマッチ路線からエンタメ路線になって、ハヤブサさん、田中さん、黒田哲広さんといった大仁田厚さん時代のFMWで育った選手たちがめちゃくちゃすごい試合をするようになって。ハイレベルな攻防にプラスして後楽園ホールの通路の階段からフランケンシュタイナーをやったり破天荒な動きもあって。ハヤブサVS田中なんてメジャーと見劣りしないほどハイレベルな攻防をしてきたFMWなんですが、この境地に達するまでには、それこそ大仁田さん時代の泥臭さがあって。でも、そこから激変した。よくあそこまで変わったなと。


──言われてみればその通りですね。

佐野さん あのまま大仁田さん一代で1995年にFMWが終わっていたら、今のプロレスはガラッと変わってるはずなんです。2000年代に入って誕生したゼロワンやハッスル、FREEDOMSとかはなかったかもしれません。あの頃、FMWで育ってそこから巣立っていった人材は離れ離れになりましたが、その結果さまざまな団体で活躍したわけです。

──確かに!

佐野さん 僕は創世記のFMWをリアルタイムで見たかったです。リーガクスーがいて、ロシアのグリゴリー・ベリチェフがいて、アミーゴ・ウルトラがいて、松永光弘さんやミスター・ポーゴさんがいて。クセの強いジプシーが集結したリングを大仁田さんがどうにか形にしちゃっていた、あの胡散臭い場末感がたまらなく好きなんです。

──確かに!

佐野さん FMWは創世記の胡散臭い歴史と新生以後のハイレベルで素晴らしい試合のあった歴史とを、長い年月を経て一緒に持っている稀な団体だと思います。それがFMWの凄さと魅力です。今でも一番好きなプロレス団体はFMWです。

──1990年代後半のFMWの試合はレベルが高くて、今の時代でやっても通用するくらいなんですよ。

佐野さん FMW後楽園ホール大会のシングルマッチは絶対に外れがなかったですよね。あと田舎の第一試合からビッグマッチのメインイベントまで、ちゃんと序盤でレスリングの攻防をやってくれるのも魅力ですね。


「応援したくなる団体」愛媛プロレスの凄さと魅力


──ありがとうございます。では佐野さんの好きなプロレス団体・愛媛プロレスの凄さと魅力について語ってください。

佐野さん やり方は幾分かスマートになったかもしれませんが、昔、僕がハマっていたインディープロレスの世界観を持つのが愛媛プロレスの魅力かなと思って注目しています。松山勘十郎さんが何年か前から松山座の各公演にライジングHAYATOさんを筆頭に色々な愛媛プロレスの選手を呼ぶようになったんです。そこにイマバリタオル・マスカラスという今治タオルがモチーフの覆面レスラーがいて、ドラゴンゲートのしゃちほこマシーンさんと対戦した試合が凄くよかったんです。イマバリタオルさんは、ドラゴンゲートに憧れてプロレスラーにたったそうで。爽やかで人気が出そうだなと思いまして、彼の試合を見て愛媛プロレスが好きになりました。

──ライジングHATATO選手ではなく。

佐野さん はい。確かにライジングHAYATOさんは愛媛プロレスと全日本プロレスの二団体所属レスラーなので有名ですが、イマバリタオルさんもそのうち有名になってメジャーに出れます。ご当地レスラーで人気が出るのはほっとけないレスラーだと思うんですが、まさにイマバリタオルさんはほっとけないレスラーなんです。ほっといても人気が出そうな人がメインストリームに駆け上がると、みんなそこに群がるように行くでしょ。でも同じ仲間だから盛り上げようとするけど、脇にいる人たちだって心中は複雑だと思うんです。でもその脇にいる人たちを応援するファンこそが実は団体を支えていたりするんですよ。

──確かにそうかもしれません。

佐野さん イマバリタオルさんは運動神経もよくて、カッコいいし、ファン対応も素晴らしくて、自分のことをよく分かっているんです。そう考えた時にHATATOさんやイマバリタオルさんのような優秀なレスラーを育成できていて、次の人材も輩出しているローカル団体というのが愛媛プロレスの凄さです。人材育成の循環がよくて、次々にスターが現れる団体というのは世の中が変わっても残っていくような気がします。そのサイクルが途絶えた時に団体の勢いが途絶えてしまってやがて崩壊していくわけで……何が原因でそうなるのかはまだ考え中ですが、愛媛プロレスを見ているとそれがよく分かるんです。


──なるほど。

佐野さん 愛媛プロレスは、これからの日本のご当地プロレスのあり方としてひとつのモデルケースになっていると思います。団体の代表のキューティエリー・ザ・エヒメさんは松山市の市議会議員もされていて、発信力と行動力があるのも凄いところです。やっぱり愛媛プロレスはほっとけない団体で、頑張ってるし、応援したくなるんです。



「ルチャリブレの正道」CMMLの凄さと魅力


──ありがとうございます。次に佐野さんが好きなプロレス団体CMLLの凄さと魅力について語ってください。

佐野さん CMLLは100年近くの歴史があって、栄枯盛衰をずっと見てきた団体で、いろんな選手が現れては消えて、潰されてはまた上がってきたんです。この団体の凄さと魅力は、伝統と進化です。アレナ・メヒコ(「ルチャリブレの聖地」と呼ばれるメキシコシティにあるCMLL所有の屋内競技場)を持っているだけでCMLLの勝ちです!あの会場ほど美しいプロレス会場はないですよ。

──アレナ・メヒコはCMLLそのものですよね。

佐野さん 闘龍門の練習生だったころ、アレナ・メヒコで自主興行がありまして。メキシコの有名な選手や初代タイガーの佐山聡さんも参戦した大会だったんですが。僕は手伝いでリングの周りを走り回っていたんです。客席の間の通路には白いペンキで塗ったすのこが敷いてあって、メキシコ人がいい加減なモップをかけていたからなのかびしょびしょに濡れてて、用事で呼ばれてそこを走った時に思いっきり滑って、すのこの上で受け身を取ったんです。


──えええ!!

佐野さん 仰向けにひっくり返ったままで受け身の「バシーン」という音を聞きながら、アレナ・メヒコの天井がグルグル回っていたんですけど、あの高い天井を見上げて「なんて美しい場所だろう」と。
たった数秒の出来事ですが、本当に尊い時間でした。アレナ・メヒコは外から見ると古びたコンクリートの建物で、子供が覆面を被って走り回っていて、選手もウロウロしていて、急斜面の客席にはメキシコ人がわんさか並んでいて、試合になるとお客さんが大挙して来場するわけで。あれこそが歴史の産物であり、ルチャリブレの歴史そのものなんです。そして、アレナ・メヒコを持っているCMLLこそ、ルチャリブレの正道であり、伝統なのかなと思います。


──確かに!

佐野さん 夢や希望だけじゃなくて、情念、怨念、嘘、人間の醜さとかも渦巻状にグルグル巻いているのがアレナ・メヒコで、その会場を所有しているCMLLこそ、僕にとってのルチャリブレそのものです。


──ちなみにCMLLの進化はどのようなところに感じますか?

佐野さん 最近、僕が面白いなと思ったのがInstagramで、選手がパッと飛んだり、飛びついたり、技を仕掛けたり、受けたりする様をスローで撮っていて、腕や足の筋肉の動きや目線とかが全部じっくり見えるし分かっちゃうんです。ひとつひとつの身体の動きを熟知し、かつ洗練されたスキルがあるからこそできることで、ごまかしがきかない。配信時代だからこそ堪能できるルチャリブレの進化じゃないでしょうか。

──それは分かりやすいです。飛び技ひとつでも1ミリのズレがないから芸術品になるんですね。

佐野さん スマホで見てる今の人たちにどういうふうに楽しんでもらうか、をよく考えてますよね。スローで見てもCMLLの選手の動きには粗が少ないんですよ。ひとつひとつは絵画のようでもちゃんと通常再生すると技が鮮やかに決まっているんです。常に見せ方や見え方を考えているのが所作で伝わるんですよね。それを分かりやすく我々に提供しているのも、CMLLの進化のひとつじゃないでしょうか。

──素晴らしいです。その視点で語ったのは聞いたことがなかったので、勉強になりました。

佐野さん ありがとうございます。それは恐縮です(笑)。

(第1回終了)