プロレス人間交差点 鈴木修☓安部潤 前編「プロレステーマ曲の巨匠対談」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

ジャスト日本のプロレス考察日誌

プロレスやエンタメ関係の記事を執筆しているライターのブログ

ジャスト日本です。



「人間は考える葦(あし)である」



これは17世紀 フランスの哲学者・パスカルが遺した言葉です。 人間は、大きな宇宙から見たら1本の葦のようにか細く、少しの風にも簡単になびく弱いものですが、ただそれは「思考する」ことが出来る存在であり、偉大であるということを意味した言葉です。


プロレスについて考える葦は、葦の数だけ多種多様にタイプが違うもの。考える葦であるプロレス好きの皆さんがクロストークする場を私は立ち上げました。



 

さまざまなジャンルで活躍するプロレスを愛するゲストが集まり言葉のキャッチボールを展開し、それぞれ違う人生を歩んできた者たちがプロレス論とプロレスへの想いを熱く語る対談…それが「プロレス人間交差点」です。

 
 
 

 

これまで3度の刺激的対談が実現しました。




プロレス人間交差点 棚橋弘至☓木村光一 


前編「逸材VS闘魂作家」  

後編「神の悪戯」 



プロレス人間交差点 木村光一☓加藤弘士〜アントニオ猪木を語り継ごう!


前編「偉大な盗人」 


後編「闘魂連鎖」 


プロレス人間交差点  佐藤光留☓サイプレス上野 


前編「1980年生まれのプロレス者」 



後編「幸村ケンシロウを語る会」 





4回目となる今回は作曲家・鈴木修さんと作編曲家・安部潤さんのプロレステーマ曲の巨匠対談をお送りします。

 

 

 

 

 



(写真は本人提供)



鈴木修

作曲家、ギタリスト。1965年静岡県出身。

1986年よりTV番組や舞台音楽制作者として活動。三冠王者、IWGP、GHC、G1 チャンピオンなど多くの選手達に楽曲を提供。、プロレスファンの間では「ミスター・プロレステーマ曲」と呼ばれている。現在はプロレスや舞台の創作を中心に、放送関係出演、個人様御依頼の制作や演奏といった多岐に渡る音楽活動を行っている。


主な楽曲提供選手:遠藤哲哉、藤波辰爾、武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、船木誠勝、佐々木健介、小橋建太、越中詩郎、小島聡、秋山準、潮崎豪、ジェイク・リー、グレート・ムタ等。


X(Twitter)https://x.com/OTOSAKKA56



 




(写真は本人提供)


安部潤

3歳より、ピアノ講師である母のもとピアノを始める。92年より上京、作編曲家・サウンドプロデューサーとして、J pop、Jazz Fusionシーンにおいて数多くのレコーディング、ライブツアーに参加、また映画、イベント、またテレビやラジオのCM音楽など、多岐に渡るジャンルの音楽を幅広く手がけている。「初⾳ミク」のLA公演、タイのジャズフェスへの自己グループでの出演、中国の国民的アーティストの楽曲の編曲など、海外での活動もめざましい。LAやNYレコーディングを含むJazz Fusion系のソロアルバムを3枚リリースしている(最新作、「Walk Around」Sony Music)。昭和音楽大学非常勤講


オフィシャルウェブサイト

https://junabe.jp/


X(Twitter)https://x.com/JunAbe_JunAbe2





新日本プロレスの数々のオリジナルテーマ曲を世に生み出した「ミスタープロレステーマ曲」鈴木修さん。ウッドベル時代の新日本プロレスのオリジナルテーマ曲を制作された「インストゥルメンタル・アーティスト」安部潤さん。プロレステーマ曲の巨匠二人による対談はおおいに     

 お二人のテーマ曲との出逢い、テーマ曲の作り方、思い出のテーマ曲など対談は大いに盛り上がりました。


 

是非ご覧下さい!




プロレス人間交差点 

鈴木修☓安部潤

前編「プロレステーマ曲の巨匠対談」









プロレステーマ曲巨匠二人の想い

「鈴木修さんが新日本で作られてきたテーマ曲を作り変えるという話がきて、そこで僕はテーマ曲制作に携わることになりました。僕も含めてプロレスファンには鈴木修さんの作品が根付きまくっていて、リニューアルすることには抵抗がありました」(安部さん)

「安部さんは音楽家として実績を残されているので、この対談でお話をお伺いして勉強させていただきます」(鈴木さん)




──鈴木さん、安部さん、「プロレス人間交差点」にご協力いただきありがとうございます!今回は数々の名プロレステーマ曲を作曲された音楽家対談を組ませていただきました。テーマ曲マニアにとっては夢のマッチメイクだと思います。よろしくお願いします!


鈴木さん よろしくお願いいたします!


安部さん よろしくお願いいたします!


──まずはお二人のプロレステーマ曲との出逢いについてお聞かせください。


鈴木さん やっぱりアントニオ猪木さんの『炎のファイター』ですね。あとアブドーラザブッチャーの『吹けよ風、呼べよ嵐』は素晴らしいですね。私がプロレスを見始めたのが新日本プロレスと全日本プロレスが旗揚げ当初だったので、アントニオ猪木VS大木金太郎の喧嘩マッチ、アントニオ猪木VSストロング小林での猪木さんのジャーマンとか鮮明に覚えています。テーマ曲がない時代からプロレスを見てますが、なんとなく自然にテーマ曲に馴染んていけましたね。


安部さん 猪木さんの『炎のファイター』は知らず知らずのうちに聴いていて、テーマ曲を意識して聴くようになったのはミル・マスカラスの『スカイ・ハイ』です。中学校の時に吹奏楽部にいて『スカイ・ハイ』をよく演奏していたんですよ。



──ちなみにお二人がお仕事でプロレステーマ曲と接点を持たれたのはいつ頃でしたか?


鈴木さん 新日本の1986年10月9日・両国国技館大会ですね。アントニオ猪木VSレオン・スピンクス、前田日明VSドン・中矢・ニールセンが行われた興行で、「お前、プロレス詳しいからやってみろ」と言われて、テーマ曲を現場で出す仕事に携わりました。本当に新人で機械の扱いは慣れてなかったので緊張したのを覚えています。


安部さん 僕の場合はウッドベルの鈴木敏さんから依頼がきたのがきっかけです。確か1997年くらいだったと思います。鈴木敏さんは若くして亡くなってしまい本当に残念です。



──ウッドベル代表でプロレステーマ曲のプロデューサーとして活躍された鈴木敏さんは2007年に54歳の若さで他界されました。



安部さん 鈴木修さんを前にして言うのは大変おこがましいのですが、長らく鈴木修さんが新日本で作られてきたテーマ曲を作り変えるという話がきて、そこで僕はテーマ曲制作に携わることになりました。僕も含めてプロレスファンには鈴木修さんの作品が根付きまくっていて、リニューアルすることには抵抗がありました。でもそこに挑んだので責任重大だったと記憶しています。


──鈴木修さんが手掛けたテーマ曲は定番であり、スタンダードになってましたよね。


安部さん そうですよ。僕も作り手ですけど、ファン心理がわかるので「いいのかな?」と思いながら制作しましたから、ちょっと心苦しかったですね。だから今回の対談でお会いできて本当に嬉しいんですよ。


鈴木さん 安部さんは音楽家として実績を残されているので、この対談でお話をお伺いして勉強させていただきますよ。



テレビ番組での選曲について

「例えば何かしらで闘う場面があった時に映画『ロッキー』のテーマ曲を使うのは、全国ネットの番組でそれは安易だから使えない。だからプロとしてこのフレーズを使っていないけどイメージに合う違う曲を探してくるという作業を日々、やってました」(鈴木さん)




──今回の対談はテーマ曲マニアからすると奇跡の遭遇ですよ。元々、鈴木さんはオリジナルテーマ曲を制作する以前は既存曲をテーマ曲として選曲されていたんですよね。



鈴木さん はい。当時私がいたTSP(東京サウンド・プロダクション)は代々、新日本プロレスの選曲に関わっていて、前任が引き継ぐ形で選曲するようになりました。これはなかなか説明にくいのですが、テレビの音響効果とか選曲はTSPがやっていて、新日本の選曲=テレビの選曲だったので、番組の担当者と一緒に選んでました。『ワールドプロレスリング』が1987年に「ギブUPまで待てない!」に改編してスポーツ局から編成局制作3部(主にバラエティー番組を手掛ける部門)に変わって、またスポーツ局に戻りかける過度期に番組の担当になって、選曲にも携わるようになりました。


──『ワールドプロレスリング』が放送時間や番組内容が変わったり、何かと混沌としていた時期ですね。


鈴木さん 番組の音響効果を2年くらいやりましたね。


──当時のテレビ番組ではシンプルな選曲をあまりしなかったという話を聞いたことがありまして、例えばタイガーを伝える話題に対して、タイガーという曲名が入ったものを使うとかはご法度だったとか。


鈴木さん そうですね。やっぱりテレビ番組は毎日色々なジャンルが放送されていて、例えば何かしらで闘う場面があった時に映画『ロッキー』のテーマ曲を使うのは、全国ネットの番組でそれは安易だから使えない。だからプロとしてこのフレーズを使っていないけどイメージに合う違う曲を探してくるという作業を日々、やってました。番組の選曲に関わった皆さんは探し当てる作業に苦労されていて、本当にプロフェッショナルなんですよ。



──最適な1曲を探すのに1日かけて行う場合もあると聞いたことがあります。


鈴木さん やっぱりそういう場合もあるし、とことんこだわる人もいましたね。私はそこまで時間をかける方ではなかったのですが、やはり慎重にやらなきゃいけないところがあって、その時はあの先輩から何度もダメ出しを食らってから選曲したこともありました。番組の選曲や音響効果に関わった皆さんは本当に苦しい想いをしてやってたので、なかなかその現場にいないと分からないかもしれません。  




ウッドベル時代のテーマ曲制作体制

「プロデューサーの鈴木敏さんとディレクター、作曲家の古本鉄也さん、そしてギタリストであり作曲家のVEN(戸谷勉)さんらとの3、4人のチームで制作しておりました。一人でいくつかのペンネームで書いてた作曲家もいたりしましたね」(安部さん)



──安部さんは元々ミュージシャンをされていて、既存曲ではなくオリジナル曲を制作する側として、テーマ曲に関わりますよね。


安部さん はい。前にいた事務所の人と鈴木敏さんが知り合いで、そこからテーマ曲制作に関わりました。プロデューサーの鈴木敏さんとディレクター、作曲家の古本鉄也さん、そしてギタリストであり作曲家のVEN(戸谷勉)さんらとの3、4人のチームで制作しておりました。一人でいくつかのペンネームで書いてた作曲家もいたりしましたね。


──ウッドベル時代のテーマ曲は平田淳嗣選手のテーマ曲『ミッドナイト・ロード~迷信~』や大谷晋二郎選手のテーマ曲『キャッチ・ザ・レインボー~流星~』は”N.J.P.UNIT”が演奏されています。それが安部さんや古本さんたちのチームだったわけですね。


安部さん そうです。テーマ曲のレコーディングに関わるエンジニアには後にMISIAやゴジラ、ウルトラマンの音楽に関わる川口昌浩さんが合流して、みんなで一緒にテーマ曲を作ってましたね。 



藤波辰爾選手のテーマ曲『RISING』誕生秘話

「これは藤波さんを鼓舞するような力強いテーマ曲を作らないといけないなと思いまして、最終的には『変わっていくんだ』と藤波さんと話ながら制作していったのが印象に残っています」(鈴木さん)




──数々のウッドベル時代の貴重な話をいただきありがとうございます。ちなみにお二人はどのようにしてプロレステーマ曲を制作していくのか、テーマ曲の作り方についてお聞きしたいです。


鈴木さん 元々私は自分のバンドがあって、既存曲を選びながらも作曲思考が強かったんですよ。私たちの周りにでは音楽制作に力を入れている人も多くて、当時在籍していたTSPの中でも「既存曲で行くのか、オリジナルで行くのか」というせめぎあいがありました。そこを最初は上から指示されたことをやりながら、テレビ朝日の番組の中に少しずつ許可を得ながらオリジナル曲を制作して使ったりしてました。テーマ曲の作り方について結論から言いますと、決まりとかないんです。自分で頭の中で思い描いたメロディーをずっと溜めて、それを何かの形で音にしたり、ギターを弾きながら「これ、いいな」とか、鍵盤を鳴らして「このフレーズに合った曲ができたからこうしよう」とかケースバイケースですよ。


──決まったパターンでテーマ曲は生まれていないということですね。


鈴木さん プロレスの場合は選手と一緒に同行することが多いので、テレビや試合以外の彼らと接してきたので、その関係性やコミュニケーションからヒントを得た部分もあったかもです。



──鈴木さんが初めて手掛けたオリジナルテーマ曲は藤波辰爾選手の『RISING』です。この曲はどのようにして誕生したのですか?


鈴木さん  メインのフレーズを当時色々なものを自分の中で蓄えてまして、あの頃の藤波さんがビッグバン・ベイダーとか怪物と相対していて、「もっと力強い試合をしなければいけない」とおっしゃっていた時期で、色々とお話をさせていただき、これは藤波さんを鼓舞するような力強いテーマ曲を作らないといけないなと思いまして、ビクターレコードさんからCDを出しましたが、最終的には「変わっていくんだ」と藤波さんと話ながら制作していったのが印象に残っています。


──『RISING』はこれまでの藤波選手のイメージを一変させたテーマ曲でしたよね。


鈴木さん 藤波さんのテーマ曲といえば『ドラゴン・スープレックス』が一番華やかですごく人気があったんですけど、『RISING』をやる時の年齢は立場や状況も変わってきていたので、それを踏まえて制作させていただきました。


──1988年12月9日・後楽園ホールで行われたケリー・フォン・エリック戦(IWGP&WCCWヘビー級ダブルタイトルマッチ)で『RISING』が初披露されました。


鈴木さん あの時はプロトタイプの『RISING』が会場に流れましたね。



ウッドベル時代の秘話公開

「(小川直也さんのテーマ曲)『S.T.O.』は最初は風の音だけ流れて、そこから宇宙戦艦ヤマトっぽい曲調で仕上げたあのテーマ曲は僕が制作したもので、橋本(真也)さん向けに作ったつもりが結果的に小川さんのテーマ曲になったんですよ」(安部さん)



──ありがとうございます。安部さんはどのような形でテーマ曲を作成していくのですか?


安部さん 自分からこんな感じを作るのではなく、ウッドベルの鈴木敏さんから「こういう感じで作ってほしい」という明確なビジョンを聞いてから制作してました。以前、橋本真也さんの新テーマ曲を制作したことがあったんです。橋本さんのテーマ曲といえば鈴木修さんが制作した『爆勝宣言』があまりにもハマっていたので、「やり変えていいのか」という葛藤があったのですが、作ってみると橋本さんよりも小川直也(当時、プロ格闘家として新日本に参戦)さんの方が合うということで小川さんのテーマ曲として採用されたことがありました。


──それが小川直也さんが主に新日本参戦時に使用していたテーマ曲『S.T.O.』だったんですね!


安部さん 『S.T.O.』は最初は風の音だけ流れて、そこから宇宙戦艦ヤマトっぽい曲調で仕上げたあのテーマ曲は僕が制作したもので、橋本さん向けに作ったつもりが結果的に小川さんのテーマ曲になったんですよ。テーマ曲は個性がはっきりわかる選手は作りやすいですよね。


──個人的には安部さんが制作された『S.T.O.』が小川さんに一番合ったテーマ曲だと思います。


安部さん ありがとうございます。あと長州力さんの『パワー・ホール』も作り直したことがあって、曲調は同じなんですけど、音とかを新しくしたんですよ。でも作業をしながら「これは原曲を超えるものにはならないな」と。頑張って作ったんですけど案の定、僕が作り直した『パワー・ホール』はあまり使われなかったですね。


──確立された原曲をリニューアルすることはなかなか難しいですよね。では今まで制作された曲の中で思い出に残っているテーマ曲についてお聞かせください。


鈴木さん 橋本さんの『爆勝宣言』、武藤敬司さんの『HOLD OUT』、蝶野正洋さんの『FANTASTIC CITY』、佐々木健介さんの『POWER』、越中詩郎さんの『SAMURAI』は特に印象に残っています。あと全日本で小橋健太(現・建太)さんのテーマ曲作成依頼を受けた時に、小橋さんからもかなりご指摘をいただき、意向を取り入れて『GRAND SWORD』という曲を作りました。作成に時間をかかりましたし、自分の中では初めての体験ができたテーマ曲でした。結果的に私が制作したテーマ曲の代表作になりましたので、小橋さんには本当に感謝しています。


──小橋さんの『GRAND SWORD』は素晴らしい名曲ですよね!


鈴木さん ありがとうございます。それから潮崎豪選手の『ENFONCER』、ジェイク・リー選手の『戴冠の定義』も印象に残っています。ジェイク選手に関してはサウンドからどんな風に作るのかということも確認しながら制作するという初めての手法でした。あと近年ではDDTの秋山準選手ご本人から直接ご依頼を受けて、テーマ曲『FINAL EXPLODER』を手掛けました。曲のベースにイントロとか最初の部分の激しさとかはすごくリクエストをいただいて、この部分を盛り上げていくのかという付け足す手法で挑みました。



新日本・テレビ朝日側にいたテーマ曲担当の本音

「日本テレビさんが手掛けた全日本のテーマ曲がクオリティーが素晴らしくて、当時テレビ朝日側にいた私は『完全に負けたな』と思ってました」(鈴木さん)




──鈴木さんは近年は全日本、プロレスリング・ノア、DDTといった団体の選手のテーマ曲制作に関わってます。以前、ジャイアント馬場さんのお別れ会(1999年4月17日・日本武道館)で馬場さんのテーマ曲『王者の魂』ギターバージョンを演奏されました。これはどういった経緯で決まったのですか?


鈴木さん これはお別れ会の2~3日前にご依頼をいただきまして、ベースだけ作っておいて、あとは本番で演奏させていただきました。実は私は猪木さんの30周年記念大会が横浜アリーナ(1990年9月30日)で開催されたときに猪木さんのかつてのライバルが登場したセレモニーがありまして『炎のファイター』スローバージョンの作成依頼が来まして、制作したことがありました。そのイメージがあったようで馬場さんのお別れ会の時に全日本からご依頼を受けたということです。



──猪木さんの『炎のファイター』スローバージョンを作られたことがあったんですね。


鈴木さん あとジャンボ鶴田さんのテーマ曲『J』スローバージョンにも関わりました。私はジャンボさんの『J』がプロレステーマ曲の中で一番好きなんですよ。とにかく日本テレビさんが手掛けた全日本のテーマ曲がクオリティーが素晴らしくて、当時テレビ朝日側にいた私は「完全に負けたな」と思ってました。だから『J』をカバーすることになった時は安部さんのように「私が触っていいのだろうか⁈」という葛藤はありました。



nWoJAPANテーマ曲誕生秘話

「あの前奏の『エヌ・ダブリュー・オー』は鈴木敏さんの声なんです」(安部さん)




──『J』スローバージョンは個人的に鶴田さんのレスラー人生に凄く合っていて、いい曲だと思います。安部さんは今まで作られた中で思い出のテーマ曲はありますか?


安部さん 小川さんの『S.T.O.』と後年、藤田和之さんが使っている猪木さんのテーマ曲『炎のファイター 』オーケストラ・バージョンですね。あと白使VSアンダーテイカー(みちのくプロレス1997年10月10日・両国国技館)で白使のテーマ曲を作るために新崎人生さんにイメージを聞きながら、一緒に付きっきりでテーマ曲制作したことは印象に残っています。人生さんは素晴らしい方で人格者でしたよ。



──安部さんはnWoジャパンのテーマ曲や前奏にも関わっているんですよね。


安部さん そうなんですよ。あの前奏の「エヌ・ダブリュー・オー」は鈴木敏さんの声なんです。プロレステーマ曲を制作させていただいて嬉しかったのはレスラーの皆さんの素顔を知れたことですね。蝶野さんや天山さんのヒロ斎藤さんに対するリスペクトとかザ・グレート・サスケさんがエレクトーン5級を持っていたとか、佐々木健介さんが息子さんを連れてレコーディング現場に来られたりとか、中西学さんはコスチュームに着替えて「こういうイメージなんです」と言われたときは面白かったです(笑)。



──ありがとうございます。ちなみに個人的にお聞きしたかったのが鈴木さんは後藤達俊さんのテーマ曲『Mr.B.D.』を制作されていますが、この曲はどういうイメージで作られたのですか?


鈴木さん 私はよく新日本の道場に行って、橋本さんと遊ぶことが多かったんですよ。テレビ解説でお世話になり可愛がっていただきました山本小鉄さんもよく道場に来られていて、小鉄さんが道場にいると緊張感が走るんですよ。隅っこにいると小鉄さんから「こっちに来なよ」と言われてセンターを座らせてもらうと、横から後藤さんの影が見えたんですよ。小鉄さんが退席された後に後藤さんから「俺の曲はまだなのか」と言われて、これがいつもの恒例みたいになってきてたんですよ(笑)。


──ハハハ(笑)。


鈴木さん 何度も「俺の曲はまだか」というのがいじりとかじゃなくて本当の「まだか」に気がついて急いで制作したのが『Mr.B.D.』なんです。


──この『Mr.B.D.』は基本的に同じメロディを繰り返すような構成をされています。後に中邑真輔選手の新日本時代のテーマ曲『Subconscious』が『Mr.B.D.』の曲調に似てまして、中邑選手自身がレイジング・スタッフが大好きで、「(レイジング・スタッフの選手のテーマ曲は)曲としては単調かもしれないけど、ベースがよくて、レスラーと相まって独特の味がしみ出てくる」と語っているので、後藤さんのテーマ曲から影響を受けていると思われます。


鈴木さん そうなんですね!ブロンド・アウトローズ(レイジング・スタッフの前身となるユニット)のテーマ曲『禿山の一夜』がイメージに合っていて素晴らしかったので、そこからの後藤さんの『Mr.B.D.』に繋がったと思います。    




二人の今後

「プロレスは以前に比べてファン目線に戻ってきていて、楽しく観戦しています。その辺をエッセンスとして取り入れて、今後もテーマ曲制作に携わりたいと思います」(鈴木さん)

「今後、あのようなイベント(『シンニチイズムミュージックフェス』)があれば参加したいですし、鈴木さんとも共演したいです」(安部さん)




──ありがとうございます。ではここからはお二人の今後の活動についてお聞きしたいと思います。


鈴木さん プロレスだけじゃなくてあまり知られてない部分だとかジャンルを問わずに活動しているので、これからも継続してやっていきたいですね。あとプロレスに関しては選手とか団体の関わりが近年大きく変わったと思います。若い世代の音楽家の皆さんとか感性の違う方々が今、すごくいい曲を制作されています。私も依頼を受けたテーマ曲はしっかりとやっていきます。あとプロレスは以前に比べてファン目線に戻ってきていて、楽しく観戦しています。その辺をエッセンスとして取り入れて、今後もテーマ曲制作に携わりたいと思います。


──鈴木さんのX(Twitter)を見ているとプロレス熱が戻ってきているなと強く感じますよ。


鈴木さん ありがとうございます。自分が少年時代にプロレスを見ていた時のように「やっぱりプロレスラーは凄いな」という見方が強くなってますね。


──プロレス熱が戻ってきた鈴木さんからまた名作が生まれるのではないかと期待しています。では安部さん、よろしくお願いします。


安部さん 僕はプロレステーマ曲に関しては20年くらい関わっていませんが、今までやってきた色々なアーティストのサポートや自分のライブとかを地道にやっていきたいと思います。でも現在でも唯一プロレスと接点があるのが、プロレスラーだけどバークリー音楽大学出身の矢口壹琅(雷神矢口)さんとすごく仲良くさせてもらっているんですよ。


──ええ!!そうなんですね!


安部さん 矢口さんがプロデュースしている怪獣プロレス(プロレスと怪獣と音楽が融合した総合エンターテイメント)で二回演奏する機会をいただきました。矢口さんは色々な団体と絡んでいてさまざまな経験をされていてお話もすごく面白いんですよ。先日私のライブに矢口さんに出ていただいたりもしました、とてもいい経験でした。


──素晴らしいです!


安部さん あと最近、松永光弘さんと仲良くさせていただいていて、松永さんと矢口さんが別々に出てるライブをち見に行ったりしましたよ。松永さんも謎の音楽活動をされてますよね(笑)。


──松永さんはオブジェなどを改造して作る自作楽器作りが趣味で、2019年のR-1ぐらんぷりアマチュア部門で古時計を改造した楽器で優勝しているんですよ。


安部さん 松永さんのライブを拝見しましたけど、何とも言えない凄いライブでしたよ。



──安部さんは著名なミュージシャンのアレンジに携わったり、作曲でご活躍されています。これは鈴木さんも出演された『シンニチイズムミュージックフェス』(2022年11月17日・国立代々木競技場第一体育館)という“奇跡のプロレス入場曲フェス”のようなイベントが今後開催されたら、安部さんは参加したいというお考えはありますか?


安部さん あれはちょっと悔しかったんですよ。親しくさせていただいている山本恭司さんや石黒彰さんが出ていたので、「残念だな」と思いながら見てました。だから今後、あのようなイベントがあれば参加したいですし、鈴木さんとも共演したいです。


──鈴木さんと安部さんの共演は見たいです!


安部さん 鈴木さん、よろしくお願いします!


鈴木さん 安部さん、こちらこそよろしくお願いします!


(前編終了)