こんばんは。
もう十月ですね。
今年も残すところ後僅かというところです。

最近もっぱら
『カブトムシの角を折ったらどうなるのか』
ということばかり考えています。

角が折られたカブトムシのその後は
以下の三パターンが考えられます。

① 得体の知れない液体を
  噴き出しながら息絶える
② ①同様液体は出るものの
  ごく少量で痛がりながらも普通
③ 何も反応しない

①の場合、そんな角ごときで
死んでしまうのかという突っ込みが
どこからか聞こえてくるに違いありません。
角を折られても生物的な機能を
失ってなどいないのですから
死んでしまうなんて、
あまりにももったいない。
そんなの人生損しています。
角が無くたって生きていけるよ。
自身を持って。

さて、
②のような状況が最も想定される光景でしょう。
これは何かいたたまれない気分になるでしょうね。
痛がりながらも必死に生きようとする黒々しい生物を見て
心が痛まない人はいないでしょう。
このパターンだったら

だれだ!角を折ったのは!
こらしめてやる!
あ、俺だ。

と脳内でぶつぶつと呟きながら
キャッチ&リリースして
安堵しながら寝ることでしょう。

はてさて、一番僕の中で
興味をそそる状況は俄然③です。

カブトムシという名前を
象徴する長く伸びた角が折られても
それをまったく意に介さず
生きるなんて・・・。
お前は何故その名前を
つけられたと思っているんだ!
その角があるからじゃないか!
自己の存在を最も象徴しているモノが
無くなったのに死にもせず血も出さずとは。
カブトムシがカブトムシたるには
黒く長い角が無くてはならないのです。
それを折られても無反応であるということは
自己のアイデンティティを
否定しているようなものです。

③の状況が目の前で繰り広げられた場合、
極度の落胆から僕は何かしでかしてしまいそうです。

そんなこんなで一週間ほど
興奮覚めやらずという感じなので
来年の夏休みに自主的に自由研究と称して
『カブトムシの角を折るとどうなるか』
という研究をするつもりです。

ただ今絶賛土の中で
すくすくと育っているであろう
幼虫カブトムシたちの角を
来年の夏に折り
アイデンティティというものを
ずたずたにできるのだという
未来の希望を持ちながら
冬を乗り越えようと思います。