女子柔道と桜宮高校でのバスケ部の事件で
パワーハラスメントや体罰がクローズアップされているので
少しばかり指導というものを考えてみようかなと思います。

日本は幕末に欧米文化に触れるまで
日本には明確に「スポーツ」に当たるようなものは
ほとんど無かったように思います。
それまでの日本人は体を動かすとなれば
必然的に『武道』をやることになります。
武道は人を殺傷・制圧する技術に、
その技を磨く稽古を通じて
『人格の完成』をめざす『道』の
面が加わったものですから
精神力を鍛えなくては武道にはなりません。

日本人は長く道を追求してきた
人種なので武道ではないスポーツにも
無意識下に『道』と結びつけ
精神の成熟という価値を見出しているのです。

成熟過程には必然的にドラマが生まれます。
儚く散る美しさ。努力の美しさ。涙の美しさ。
そのような美しさが涙を誘い
渦中にいる人々はそのドラマが
人生の根幹として形成されるのです。

指導者は当然そのスポーツをある程度精通してから
指導者に転身することになります。
つまり、彼らは一度ドラマを
味わっていることになります。
指導者にとって自分自身の人生の根幹となったことを
生徒にも感じて欲しいと思うのは当然です。

それが脈々と受け継がれてきたのが
日本のスポーツ界なのではないでしょうか。

また精神力というものは精神の成熟意外に
結束力というものを生み出すことにも
大きなチカラを発揮します。
結束力がある弱いチームと
結束力の無い強いチームが戦った時に
一つのことを目指し結束している前者が
勝つということはどの世界でもよくあることです。

したがって、単純に勝つということのみに
フォーカスを当てた時にも
精神力は必要であるように思えます。

しかし、その結束力と精神力というものに
犠牲となった人が多くいることも確かです。
桜宮高校の生徒が自殺したという事件で
初めてこの『精神力至上主義』な指導法が
疑問視されただけであって
それまでの犠牲者たちはただ
泣き寝入りしていただけなのではないでしょうか。

発展途上の団体には脱落者や犠牲者は
付き物なのかもしれません。
だからといって彼らを無視し
この指導法を手放しに推奨することも
難しい世情にあります。

指導者は以前よりも
人間力が試されているのではないでしょうか。

最後に女子柔道の問題について
さらに考えてみようと思います。

バスケなどは海外から持ち込まれた
れっきとした『スポーツ』です。
しかしながら柔道は日本では
古来から受け継がれてきた『武道』なのです。
それがいつしかオリンピックの正式種目になり
『スポーツ』として変わっていきました。
日本人の柔道は「組み合う」「技をしっかりかける」柔道ですが
それに比べて外国人柔道は「双手狩り」や「掬い投げ」
などという相手と組みあわずにスキをつき
強引に巻き込み倒すような技を中心としています。
柔道という武道は相手の勢いを利用して
投げるということを中心に技を考えられています。
「掬い投げ」などという力ずくの強引な技は
「柔道の理念に反する」といわれ
柔道発祥の国である日本の選手は実際にあまり使っていません。

スポーツになってしまった柔道界において
理念というものに縛られ弱体化してしまった日本。

しかし、多くの日本人は柔道発祥の地である日本に強さを求める。

勝てなければ責められるのは指導者です。

指導者たちは当然焦ります。

焦るとどうなるか。
冷静さを失い論理性抜きに経験則のみで
物事を進めることになります。

『人よりも多くしごかれ叩かれた』
というかつての自分が受けた指導法を
彼らにもするようになります。
しかし勝てない。
そうなるともう歯止めは利きません。
『しごきが足りなかった』ということで
さらに過度なしごきになるのです。

女子柔道の件で
他のスポーツをやってらっしゃる方々で
過去の自分と照らし合わせ
指導者を叩くことに対して
疑問視している人もいるかもしれません。

しかし、格闘技とスポーツにおける
「しごき」のレベルは明らかに違います。
なぜなら、他のスポーツの試合では
実際に暴力を振るうことはありませんが
格闘技は「暴力」というものが
その競技における主であるからです。
つまり暴力の更に上をいく暴力が
「しごき」となるのです。
暴力をうけるということは
その競技に精通した人々は慣れたもので
ある程度のしごきという名の暴力は
当たり前だと感じている者がほとんどです。
そのような環境で長年しごかれ続けて
世界の一線で活躍している武道家たちが
勇気を持って告発したということは
もはや僕たちが想像できるような
「しごき」ではないのではないでしょうか。

他者にばかり多くを望むことは
あまり良くないことなのかもしれません。
ですが指導者は生徒のレベルアップばかりに
目を向けるのではなく
一度自分の指導力に
目を向けてみてはどうでしょうか?