今年の正月に書いたものです。まぁ、駄文なのですが気に入ってもらえたら幸いです。




『二十二年目の墓参』


 冬休みでも学校には先生がいるんだなだな、と思った。
 北海道は岩見沢と江別の中間に位置する住宅地、札幌からJRなら四十分、車なら一時間くらいかかるだろう。国道十二号線から五十メートルほど南に入り込むとぼくが通っていた中学校がある。
 三階建て鉄筋コンクリートの校舎。ぼくらの通っていた時の木造平屋建ての校舎は、地元のコミュニティーに使われていた。
 冬真っ盛りのグラウンドは厚い雪に覆われている。グラウンドの周りを囲うように足跡の輪が出来ているのは、部活動などで持続走をした証だろう。
 職員玄関から校舎に入り、来客用の塩ビのスリッパに履き変えたところで、在学中に英語を教えてくれた女教師に会った。とても綺麗な先生だったが二十五年の歳月は彼女の若々しさを奪い、そのかわりに品性を授けたようだ。
 ぼくは、先年ガンで亡くなられた女流作家の妹さんのお悔やみを言い、職員室に向かう。

 冷え切った廊下のリノニウムの床に、ペタペタとスリッパの音が響き渡る。ぼくは職員室に入り、事務員の女性に校長との面会の旨を告げる。女性はもう聞き及んでいるのだろう、校長に伺いをたてるわけでもなく、ぼくを真っ直ぐ校長室に案内した。

 校長室に通されると、柴田校長は窓から外を眺めていた。
 「やっと来てくれましたね……」
 「……はい」
 少し重たい沈黙が辺りを包んだ。柴田校長は昔、国語を教えていた。ぼくも彼女も、彼には教わっていない。親子に対する学校側の配慮なのだろう。
 柴田校長はぼくに向き直り、
 「随分と探しましたよ。ずっとね……」と言った。
 とくに言下に非難めいたものを感じなかったが、それでもぼくはとても済まなく思った。
 「すいません。どうしても踏ん切りがつかなくって」とぼくは積年の非礼を詫びた。
 柴田校長は優しい顔で、うんうんと頷き
 「じゃあ、行こうか」とぼくを促した。
 柴田校長は職員室に出て、外出を告げる。数名の職員が、ぼくの噂話をしていたのだろう。ハッとした表情で読み取れた。

 校舎をあとにし、校長の車に乗り込む。余計な話をしないところに、ありがたさを感じる。五分もするとこの町の寺に着いた。
 この寺の長女は、ぼくらの一つ下で婿をとって三人の子持ちだ。親子ともども三姉妹なので、また跡取りのことで心配が絶えないと聞いたことがある。ぼくらの来訪を出迎えたのは、その長女だ。
 「マコちゃん。来たんだね」
 思い出した。この子は軟式テニス部で彼女の後輩だった。彼女から主将を受け継いだのも、この子だ。
 訳知り顔で微笑まれ、少し居心地が悪かったが余計な説明を挟まないぶん助かるともいえる。
 寺からスコップを借り、長女がどうしてもと言うので婿さんの長靴に履き変えて、校長と二人で墓に向かう。今年は雪が少ないと言うが、墓の半分以上は雪の中だった。

 二人で殆ど会話を交えずに雪を掻いていく。ザクザクッという雪を掻き出す音と二人の呼吸の音だけが、真っ白な墓地の中に鳴り響く。きっと何もしないと真っ白な世界に取り残されそうになるだろう。

 二十分もすると、ようやく墓参りが出来そうな形になった。持参した花を添え、線香をあげる。二人とも終始無言のままだ。そして、そのまま墓を見つめる。
 やはり、実感がわかない。本当なんですか、なんて聞きたくなる。
 どちらからともなく立ち上がり、
 「行こうか」の校長の声で寺に向かう。
 寺で長女に礼を言い、後にする。
 「マコちゃん。またきてね」とウィンクされたのが気恥ずかしかった。

 校長の車に乗り込んだ時、
 「うちに寄って行かないか。見せたいものがあるんだ」と校長は静かな口調で諭すように言った。
 逃げたかったが固辞するわけにもいかず、頷いて返事の代わりにした。

 数分後、校長の自宅に着いた。昔と変わらない。ぼくの兄の家とそんなに離れていない場所だ。わざわざ遠回りして下校していたのを思い出す。

 出迎えたのは、彼女の母親と三つ下の妹の聡美だ。
 「マコちゃん。待ってたよ」
 聡美は、ぼくが本当にだめになりそうになった時、一生懸命励ましてくれた。甘酸っぱくて苦いものが胸に広がる。
 やっと待ち人が来たような、そんな安堵にも似た雰囲気があった。そう、ぼくが一番最後だったんだ。

 「どうぞ、こちらへ」校長がぼくを促す。その後に母親と聡美が続いた。
 階段を上って右側の部屋が彼女の部屋だ。

 部屋に通されてぼくは、驚いた。すべてはあの頃のまま。時間がこの部屋だけ、止まっているようだ。裕美の香りがする、とぼくは思った。
 そして、愕然ともした。ぼくは、この家族がもう既に立ち直ったものと思っていた。でも、ちっとも立ち直ってなんかいない。自分だけが取り残されているように感じてたぼくは、なんて甘いのだろうと心の中で自分をなじった。
 ベッドの前にある折りたたみの卓を囲み、聡美が数冊の日記をぼくに手渡す。「読んでも?」と校長を見ると、黙って頷いた。
 中を開くと甘い香りが辺りに広がる。ぼくらの交換日記の時のように、いろとりどりの香り付きインクで書かれていた。丸まった字体が裕美の自筆であることを主張している。
 そこには、日々の治療やお見舞いに来てくれた友達のことの他に、ぼくに関することが多く書き込まれていた。大学のレスリング合宿所の寮母さんから事情を聞いたこと、ぼくが自衛隊に入隊した後も大学生の芝居を続けてること。

 何もかも知っていながら彼女は芝居に乗ってくれていたのか。ぼくは、つくづく自分が嫌になってくる思いだった。
 彼女に余計な心配はかけたくない、そんな思いで続けた猿芝居。かえって彼女に気を遣わせる結果になっていたなんて。
 涙が頬をつたい、肩が嗚咽に揺れた。
 何か言わなきゃと思うのだが、言葉は何も出てこなかった。
 「お姉ちゃん。ありがとうって言ってた。最後まで気遣ってくれて、ありがとうって」ぼくを制するように、聡美が言った。
 それから、しばらくの間ぼくは裕美の甘い香りに包まれて泣きながら時を過ごした。




 「お兄さんの家には寄って行くのかい?」校長が聞いた。
 「いえ。あそこには、ぼくのいる場所はないですから」そう言うと、校長はゆっくりと頷いた。
 「じゃあ、駅まで送って行こう」
 ぼくは裕美の位牌に一礼し、柴田家を後にした。

 「また、来てくれるね」駅に着くと校長はそう尋ねた。
 「えぇ。必ず」ぼくは、そう応じる。
 「その時は、ホテルなんぞ取らずに真っ直ぐうちに来なさい。酒でも飲もうじゃないか」



 札幌行きの列車の中で考えた。二十二年もの間、娘の恋人を捜しつづけた胸の内はどうだっただろうかと。
 ぼくとあの家族の中で止まっていた時間が動きはじめたような気がした。
 数日後には、三学期の始業式を控えているのだろう。校長は、ぼくを送ると真っ直ぐ中学校に向かった。
 ぼくはお盆の墓参りより、ああして雪を掻き分けながら墓参りすることを毎年の行事にするのも悪くないな、なんて思ったりもしていた。



                              (了)