中国の反日デモと尖閣諸島とのこと | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

中国の次期最高指導者とされる習近平氏が、領土問題で対立しているフィリピンとの関係改善を望んでいるというニュースがありました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120922/k10015204321000.html


つい数日前、「日本の尖閣国有化は茶番」と、アメリカ政府に強い態度で介入しないように求めたのに比べますと、わずかの間に何があったのだろうと不思議に思えてきます。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120919/k10015140461000.html


いえ、それよりも今回の尖閣諸島をめぐる一連の事件や、反日デモの様子などを見ていても、いまだにその背景がどういうものだったのか、非常にわかり難いといった方がいいかも知れません。


そこで、今回はボクなりに集めてみたそのあたりの話しを一連の出来事から少し推論をしてみたいと思います。もし、よろしければお付き合いください。


これも昨日のニュースになりますが、中国政府が今回の件に関連して「共産党高官」を日本に派遣する、という発表をしました。中でも、とくに強調されているのが「代表戦を終えた自民党とのパイプを強めたい」という意思を中国側が示していることにあります。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date2&k=2012092100634&j4


「どうして民主党じゃなくて自民党なの?」と、思われる人もいるかも知れませんが、これは単純に次の政権を自民党がとりそうだからとか、そういった理由だけではないと思います。


ネットの情報や今の代表選を見ていますと、自民党の方がやや中国に対しては強硬な主張をしているのでわかり難い部分もありますが、実際には自民党の方がもともと「中国とのパイプ」は深いものがありました。


これは、そもそも日本と中国(中華人民共和国)が「国交正常化交渉」を行ったときの与党が自民党だったからです。


当時の象徴的な場面として、日本の田中角栄首相と中国の周恩来首相が会見をしている写真などもありますが、この頃の中国はいわゆる「東側陣営」の中でも様々な衝突が起きていた時期でもあり、中国もまた日本との国交樹立を強く望んでいたといわれています。

同じように、日本にとってもまたソ連と中国というとなり合った共産主義陣営の間に楔を入れる、絶好のチャンスという思惑があったのかも知れません。


そのため、日本と中国の国交樹立後の日中関係は、基本的にこのときの人々やその周辺実物が中心になって作られていくことになりました。

ですから、それ以来のパイプが今でも自民党には「若干」残っているとされています。習近平氏としては、こういった議員を中心にしての関係構築を望んでくるだろうと思われますし、そうなると自民党の方が交渉のしやすい相手だと考えているのではないでしょうか。


日本からすれば都合のいい話にも思えますが、それが実現できれば、確かにお互いに「配慮」をした以前のような日中関係に落ち着くことはできる可能性はあります。


毎年、夏になりますと首相の靖国神社参拝問題がよくテレビでは騒がれていますが、ここにもある次期の日中関係を象徴する出来事がありました。

1985年、当時の中曽根総理が靖国神社への公式参拝を行った翌年から、しばらく公式参拝が行われなかった期間があります。

実は、この参拝中止の理由の一つに、当時中国の親日派として知られていた胡耀邦首相の立場を考慮したものだったのではないか、といわれているといいます。



結果的に、この日本の配慮もあまり意味はなかったといえるかも知れませんが、このあたりを調べながら、今回中国の望んでいた「配慮」というのを考えてみますと、中国側としては日本が国有化するにしても、今この時期にされては困る、という思惑があったのではないかと思えてくるのです。


中国は以前、日本が尖閣諸島を国有化した場合、開発などをしないなら中国政府も強硬な対処はしないと発表していました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012090102000125.html


ところが、実際には日本政府が「急いで」国有化の交渉をまとめたにも関わらず、中国ではとてつもない反発が起こってしまったわけです。

日本政府としては中国の望んでいる形での国有化、つまり東京都による購入の阻止が成功したのに、なぜこんな結果になったのかと、こちらはこちらでまたかなり困惑した部分があったのが正直なところかも知れません。このあたりは玄葉外相と、中国外相のやり取りにも表れているように思います。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120920/t10015169471000.html


日本政府としては確かに中国に対する配慮はしていました。

そのために、慌てて尖閣諸島の購入では東京都に横槍を入れたような形になったわけです。

ところが、中国側はそのときにはもう考え方を変えていたために、またそこで行き違いが生じてしまったのかも知れません。

これが、中国としては「配慮不足だ」といいたかったのではないでしょうか。

もちろん、日本としては、「何を勝手なことを思ってるんだろう」ともいいたくはなりますが。


さて、それはともかくとして、こうなると次に気になるのが、どうして中国がそこまで態度を変えてしまったのかという部分です。


これに関しては現在、対日強硬路線を煽動していたのは習近平氏ではないのか、という話しが出てきています。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120919/chn12091911090003-n1.htm


すると、今回の暴動を煽動していたのも習氏という可能性も出てくるわけですが、これについては見方次第でどちらともいうことができると思います。


一つには、確かにここで「強い中国」をアピールすることができれば、次期最高指導者となる習氏にとっては軍部などからの支持が期待できるでしょうし、また、習氏が最高指導者になったとしても、現在の胡錦濤国家主席の影響は残るのではないかといわれていますから、今回の暴動で面子を潰された現在の胡錦濤氏をはじめとした中国政府へのダメージを期待することもできます。


一方で、最初のニュースにあったように、習氏が様々に主張を変えている部分を見ると、ではそこから具体的に何をしたいのかが見えてきません。

さらに、今回の暴動を習氏が政治的に利用したとするのなら、これは中国にとって国際社会との関係ではマイナスとなったのも間違いにように思います。

すると、習近平氏を追い落としたい側が、意図的にこういった情報を流しているという可能性も考えられるわけです。


こういった理由から、暴動の先導者が誰だったのか、という疑問は今後もしばらくは様々な憶測が出てくると思います。


この現代中国という「極めてわかり難い国」と付き合うには、確かにパイプがあった方がいい。これは確かです。ですが、日本としてはどうするべきなのかといいますと、これはまた別の問題ではないかとも思うのです。尖閣諸島の問題に関していうのなら、これは当時の周恩来首相も「棚上げ」の方向が望ましいという考えで、日本との交渉に当たっていたとされます。


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111223/plc11122300040001-n1.htm


しかし、中国はこういった過去の交渉の積み重ねを反故にして、尖閣諸島の領有権問題を拡大させ、ついには尖閣諸島沖での海上保安庁の巡視船との衝突事件を起こしてしまいました。


こうなると、日本としても尖閣をどう管理するかという問題がやはり出てきました。これはある程度仕方のないことだと思います。
そこで「石原都知事のような強攻策ではいけない、あれが中国との関係を悪化させた」という意見が出るのもわかりますが、中国が今こうした「よくわからない状態」になってしまっている以上、ただ話し合いをしていれば相手も穏便に事を済ませようとしてくれるし、大した問題にはならないという楽観的な考えができる人もけして多くはないだろうと思います。



今回の暴動を煽動したのが誰かはわかりませんが、人民による暴力を政治カードにする、というのはけしていいことではありませんし、もちろん許されるべきものでもありません。ところが、そういったカードを利用する人間が、現在の中国にはいる。それも、上層部にということになります。これは中国にいる邦人を半ば人質にとったようなやり方ですから、日本としてもけして退くことのできない部分ですし、中国との話し合いの積み重ねをするだけでなく、それを国民へのしっかりしなくてはいけないことだと思います。


現に尖閣諸島問題が複雑になった一因には、当時の内閣が衝突時の映像を公開しなかったために、返って最悪の形で「流出」をしたことで内外の信用を同時に失うという事態が起こりました。

中国はともかく、日本はすでに情報伝達の速度が急速に上がっています。

そのため、ささやかな発言でもすぐに広まってしまうことになります。そこを踏まえたうえで、国民の理解を得ながら事を運んでいく良い意味での狡猾さも必要なのかも知れません。


今回は政治的な話の上に、ボクも日中の歴史や、中国の首脳陣、派閥争いなどにはけして詳しくはないので、断片的になってしまったと思います。

それにも関わらずここまで読んでくださり、ありがとうございました。

さらにいえば、こういったときに旧来の「パイプ」を通したやり方が通用するかも考えなくてはいけません。周恩来首相にしても、胡耀邦首相にしてもそうですが、日本は相手の「人物」に依存していたように思える部分があります。「この人物になら任せておいても大丈夫」と、そういった感じでしょうか。これが今の二国に果たしてできるのかといえば、やはりそれもなかなか難しいと思うのです。
中国では党内の権力闘争が熾烈ですから、「首相」といっても必ずしも磐石な地位にいるわけではありません。実際、胡耀邦首相もそれから間もなくして党内の批判によって失脚してしまいました(なお、学生の運動や、自由主義的な考え方にも理解のあった胡耀邦氏の死は、あの天安門事件の引き金となりました)。