近代の終焉に向けて ~イスラムの復讐と欧州の衰退~ | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

以前、中東で現在勢力を拡大しているイスラム国(ISIS)が攻撃目標としてフランスの名前を挙げたときに、「なぜフランスなのだろう」と思ったことがあった。

それは少し調べてみればわかった。

実は、現在ISISが勢力を拡大しているシリアとフランスには深い歴史的な繋がりがある。


二十世紀の初頭、中東地域はオスマン・トルコ帝国が衰退していく中で、かつて「イスラム圏」を形成していた土地の多くは欧州諸国に統治権を割譲されていった。

その中で、シリアと現在のレバノンを含んだ地域を領有していた国こそフランスだったのだ。


日本人にとってこのあたりの事情はわかり難いことだが、中東地域のニュースを見ていると「国」という概念が希薄に思うことがある。

「民族」

「国家」

「宗教」

という連帯のうち、宗教と民族とは見られても「国家」というものの存在をほとんど感じられない。

しかし、それもこうした事情を読み解けば理解するのは難しくない。

現在のエジプト、シリア、レバノン、イラクなどの諸国家はいずれもみな「イスラム圏」というひとつの広大な集まりをわずか百年ほど昔まで長く形成していた。


そのためバラバラになってはいても、同じ「イスラムという集団」であったという意識が今もそこには生きている。

そうした彼らにしてみれば現代の国境線は、かつて自分たちを統治した欧米人が勝手に引いたもので、しかも近代の歴史を見れば、欧米による傀儡政権による支配か、独裁者による圧制を受けるしかなかったことから、国家というものへの帰属意識など高まりようがないのだ。


おそらく、なぜイスラム圏で「過激派が台頭するのか」という最大の理由もそこにある。


アラブの春の後、いずれも革命の起きた国々で勢力を拡大したのは「急進派」とされるイスラム勢力だった。

その中で唯一の「成功モデル」とされているのは「ジャスミン革命」の地となったチュニジアだが、チュニジアはもともと地中海の出入り口であり、首都のチュニスは古くからの観光地として知られ、ほとんどの貿易を欧州と行っているなどの事情から、伝統的に親欧米色が強く、革命の内容も「独裁者の追放」ではなくて「不正蓄財などの汚職から長期政権の大統領がデモによって追放された」というものに留まっていた。


こうしたチュニジアのあり方はリビアやイラクのそれとは大きく異なっている。

チュニジアが欧州サイドから見たときの「優等生」として、革命の前から高い評価を受けていたのに比べれば、その他の地域はいずれも多くの問題を抱えた「問題児」なのだ。


そして今急速に力をつけた急進派は、もともとこうした地域において「政府軍」と戦いを繰り返しながらその力を蓄えてきた集団だった。

彼ら急進派が目指しているものはかつてのイスラム圏という広大な地域を取り戻すこと。

そして自分たちを分断した欧州への抵抗というものがその根底にある。

これまでそうした急進派勢力を武力で押さえ込んでいたものこそが、ムバラクやカダフィなどの独裁者たちだった。

彼らはイスラム急進派が拡大することで、現行の国境線が消滅するという事態を警戒していた。

もしも、国境線がなくなれば、それはさらなる内乱にもつながり、権力者である彼らの地位を危うくする。

これは欧米にとってもまた、自分たちの意向に近い政権ならば独裁であろうとも黙認するという姿勢を長く続けている理由でもある。


ところが、こうした構図は先の「イラク戦争」と「アラブの春」という民主化、独裁者追放闘争の中ですっかりと崩れ去ったといえる。

その結果、これまでフセイン、アサド、ムバラク、カダフィという独裁者が治めていた地域に広大な「空白地帯」が出現した。


そこに浸透したのが急進派。

そして、現在世界を震撼させているあのISIS(イスラム国)だった。

ISISの中心にいるのはかつてフセイン政権時代にイラクの中枢にいたバース党の幹部たちだといわれる。


ここでイラクの歴史を振り返れば、フセインの率いるバース党をもともとイラクの政権にまで発展させたのはアメリカをはじめとする西側陣営の国々だった。

当時、最も欧米が恐れていたのはイラクの隣国イランで起きた「イスラム革命」であり、「王制の打倒と、独裁者の追放。そして欧米との対決」を掲げるホメイニ(イラン)の政策が周辺国にまで及ぶことであり、それにイラク、サウジアラビアなどの諸国はこぞって協力を申し出た。


イラクに住む人々の多くはシーア派に属しており、それを武力で支配するスンニ派。

そして、イスラム急進派が「イスラムという宗教への回帰」を掲げるのに対して「イラク国民」というナショナリズムで国を束ねようとするフセインの方針はこの点では概ね欧米の利害と一致していたともいえる。


このシーア派とスンニ派という対立軸は今もなお生きている。


ISISをめぐってイラクの現政府が「サウジアラビアが援助しているのではないか」と発言し、サウジアラビアや米国が即座に反論するという出来事があったが、これはISISの動きが単なる急進派の拡大ではなく、シーア派とスンニ派(イラクの現政権は多数派であるシーア派が掌握している)の対立にも繋がりかねない要因を持っていることを示したものだ。

こうした警戒感から、中東におけるシーア派最大の国家イランもまた長く頓挫していた欧米との核をめぐる協議を再開し、イラクと急速に接近するなどの動きを見せはじめた。

さらに、シリアからイラクの北部に居住するクルド人の勢力もまたISISとの戦いに参戦している。

急進派、シーア派、そしてクルドと、それぞれが動きを見せている現状は、このわずか一年足らずの間に中東の内在していた問題がすべて表面化したといっても過言ではない。



だが現状で欧米のとっている方針は、皮肉にもシリアでいまだに支配権を持っているアサド政権を事実上容認して共闘するというものだ。

事実上、ISISという敵の前にアサドの延命を認めた形だが、そもそもシリアでここまで紛争が拡大した発端が反アサド政権のデモであり、それを支援したのが欧米諸国であったことを考えれば、これはISISにも属さないシリア人の感情を逆撫でするものだろう。

このため、反アサド政権を掲げていた勢力は急速に信頼を失い、ほとんどISISの拡大の前にはなす術もなくなっている。

そうした駆け引きに巻き込まれ、最も不幸な目にあっているのは「革命」に巻き込まれた市民たちであることは間違いない。


すでにシリアの難民は340万人を越え、隣国レバノンや、さらには地中海を越えてギリシャ、イタリアにまで流れている。

だが、今となってはいずれの国にとっても、終結の目処がつかず増える続ける難民の存在が「招かれざる客で」となっているのは事実だ。


「せめてあの革命がなければこれらの難民は発生せずにまだ済んだのではないか?」


現状を見ると、そんな考えも浮かんでくる。

だが、それは言論の自由と人権こそが何よりも尊いものという近代の理論に立てば、やはり必要だとしなくてはならない。

例え数百万人の犠牲が出ようと、内乱になろうとも自由にはそれだけの価値があるはずなのだから。

いくらおびただしい数の人間が犠牲になろうとも。


しかし、そんな断言は本当にできるのだろうか?


リビアでもまた多くの血が流れ、ついにカダフィ政権は倒れたが、その後にやってきたものは結局のところ新たな内戦だった。

カダフィという指導者が消えた今、リビアはカダフィがばら撒いた武器と、それぞれの勢力間での闘争が抑えられないものになってしまった。

それを思えば、例え独裁者の圧制に怯えながらにせよ、同じ民族での殺し合いがなかった時代の方がまだはるかに良かったのでないのか。

安定はどのような形でも、長期の内戦よりはマシというのも事実なのだから。


こうした革命にともなう混乱は何も中東地域に限ったことではない。

あのフランス革命でさえ王制の倒れた後にやってきたのは長期間の革命政府による恐怖政治と内乱、そして対外戦争であり、その終結には大ナポレオンの登場を待たなければならなかった。


欧州はそうした歴史を間近で見ていたにも関わらず、イスラム圏の革命に対してはあまりにも楽観していたように思う。それもただ楽観的であっただけでなく、自由の名の下に介入さえしてしまった。


フランスの風刺画の事件をめぐる銃撃事件を見るときに、気になるのはここなのだ。

こうした現在のイスラム地域の人々にとって、独裁と内乱と亡命に苦しんでいる人々にとって、最後の心のよりどころとはやはり宗教ということになる。

イスラムといえば「過激派の行動」だけが取り沙汰される一方で、多くの人々にとってイスラムという宗教はやはり救いなのである。

それを自由の国の、しかもあらゆる言論が保障された立場の人々から「嘲笑」を受ければ、いくら風刺とはいえ彼らは少なからず急進派でなくとも怒りを抱くだろう。

かつてのイスラム帝国を分断し、そしてまたときに独裁政権を援助しながら、この地に終ることのない内乱の種を撒き散らしたのは誰だったのか?

しかも、その彼らは今の状況すらも「野蛮」だと笑っている。

その上で、なぜ生きるより所である宗教すらも嘲笑されなくてはならないのか、と思わないはずもない。


すでにフランスでは、この銃撃事件に対して報復とも見られるイスラムのモスクなどへの襲撃事件が起こっている。

これこそまさにISISや急進派にとっては絶好の好機だ。

「やはり欧米はイスラムを弾圧することしか考えていない! 我々の真の敵は欧米と、その傀儡である独裁者どもだ」

と、彼らはいうだろう。

そのとき、欧州に住む数百万のイスラム教徒のうち、ほんのわずかな人々がこれに共感を覚えた時点で恐ろしい闘争が展開されるのは何よりも明らかだ。

言論の自由はこの上もなく尊い。

それは近代社会の信仰というべきものだ。

しかし、それをイスラムという異なる価値観の世界に向けたとき、それはどこか「支配」というものに似てくる。

その価値観の相違。

つまり「同じ地球上の中に近代と中世が混在してる」ことを忘れるべきではおそらくなかった。


では、欧州諸国はこうした事態の前にISISや急進派のイスラム勢力を封じることができるだろうか?現在の状況を打破し、この空白地域に西洋の秩序をもたらす唯一の方法は欧米諸国が直接的にこれらの土地を統治し、そして武力で急進派を滅ぼす以外にはすでにない。


仮に大規模な掃討作戦を実施したところで、混乱を長期化し、泥沼化することも容易に想像できる。

だが、そこまでしなければ彼らを倒すことはできないだろう。


しかし、現在の衰退してるEUにはそれをするだけの決断力もない。

経済の弱体化。

ウクライナ情勢。

今のEUにはあまりにも行き詰まりの要素が多過ぎる。

そのため、これら文字通りの「恐怖」を武器にするテロリストたちの前に、今後彼らは怯えるか、あるいはまたこれまでの拡大の路線を放棄することを迫れられることになるだろう。


このような現代の世界情勢はまさに「近代の終焉」に向っていることを示すものだ。


そして、この数十年間の世界秩序が壊れていく様子を、我々は今まさに目の当たりにしつつある。


理性の聖堂は再び血に染まり、夜明けはまだあまりにも遠い――。



今回も読んでいただき、ありがとうございました。