一月から放送スタートした「アイドルマスターシンデレラガールズ」と、「艦隊これくしょん」がともに三話まで終了した。
この二つはともに人気のソーシャルゲームがベースになっており、「艦これ」はユーザー数250万人、「シンデレラガールズ」は500万を超えるユーザーがいるとされる、この分野ではおそらく最大規模のヒットを記録したゲームだろう。
しかし、現時点までの放送を見ると、アニメの評価としてはいささか差があるように思う。
シンデレラガールズはここまでtwitterの反応を見てもゲームユーザーにもかなりの高評価になっているのがよくわかるが、艦これアニメは賛否両論になっており、どうもあまり芳しいとはいえない。
私も現在両方を視聴しているが、こうして評価が分かれているのには概ね賛成できる。
では、どこでその差が生まれたのだろうか。
この二つのゲームの共通点は、どちらも登場キャラ数が膨大なことにある。
艦これのヒロインである全艦娘はおよそ150人。
シンデレラガールズの登場アイドルは180人を超えている。
当然ながら、これだけのキャラクターをアニメに登場されるというのはほぼ不可能だ。
例え出たとしても背景にほんのわずかというのがせいぜいだろう。
そうなると、ストーリーもまた誰を中心にするのかがまず問題になる。。
シンデレラガールズの場合、定期的に「シンデレラガール総選挙」というキャラの人気投票を行っており、そこで上位に入ったキャラクターには「声がつく」、「オリジナルソングが出る」などの優遇があり、それはアニメ化にも反映されていた。
主人公に選ばれた島村卯月、渋谷凛はいずれもこの総選挙で上位に入っている人気キャラクターだ。
これに対して艦これはもともと最初から主人公が決まっていた。
第三水雷戦隊に所属する特型駆逐艦「吹雪」だ。
しかし、なぜ「吹雪」かというとよくわからない。
ゲームのサービス開始当初から、確かに吹雪が主人公だとアナウンスされていた。
だが、そもそも「艦隊これくしょん」が大東亜戦争をベースにしていることを考えれば、吹雪はそれほど終盤まで生き残った艦ではなかったし、最初に秘書に選べる初期艦の中でも人気とはいえなかった。
何より、ゲームのサービスが開始されてからの人気投票でもほとんど上位にランクインしたことがないのだ。
そのため、駅で見られるDMMの宣伝ポスターにも長いこと「島風」が使われていた。
もちろん、吹雪が所属する第三水雷戦隊に目を向ければ「夕立」や「神通」、「那珂」など、人気のある艦娘も少なくはない。
また、人気が高い島風や金剛は出番が多く与えられている。
とはいえ、やはりシンデレラガールズと艦これにはすでにかなりの相違点があったというのは間違いない。
シンデレラガールズはあくまでも、ファンであるユーザーを念頭に置き、そこからアニメを作りはじめていたが、艦これの場合は最初から開発側にある程度のプロットがあり、それをアニメ化したように思われる。
シンデレラガールズの主人公は島村卯月だが、彼女はあくまでも主要キャラ三人の中心的な人物という位置づけだ。
しかし、登場キャラクターの多さもあり、彼女一人では十分に人間関係を見せることはできない。
そこで重要になのがキャラクターたちの仲立ちをしている「もう一人の主人公」ともいうべき「武内プロデューサー」の存在だろう。
その独特の風体からすでに第一話にしてtwitterの話題を独占した彼だが、アニメでも中心メンバーの三人をサポートしつつ、他のアイドルたちにもアドバイスを送るなど、いい味を出している。
これに対して艦これアニメでは、現在のところ艦娘たちをまとめているはずの「提督」は一度も画面にまだ登場していない。
本来なら、こうした女の子が中心のアニメにプレイヤーの代理人である提督や、プロデューサーが出てこない方がいいのではないか? と思われがちだが、これは必ずしもそうでもない。
何よりも出さないことのデメリットはかなり多いのだ。
昨年、同じく人気ソーシャルゲームの「ガールフレンド(仮)」がアニメ化されたが、ここでは作中で完全に主人公である男子キャラクターは排除されていた。
その結果、ガールフレンドというタイトルながら、女の子たちが「ちょっと変わっただけの」日常を淡々と送るだけのアニメになっており、とくに目新しさもないまま終了してしまった。
こうしたタイプのアニメは、確かに女の子を見て「かわいい」と思っているだけならいいのだが、ストーリーとしてはやはり退屈になりやすいという面もある。
艦これに寄せられている否定的な意見を見ても、どうもこうしたものが原因になっているように思われる。
吹雪は主人公として、他の艦娘たちのもとで成長し、奮闘してはいるが、そこにはどうもメリハリがない。
それはたぶん作中での目標などが見えないためだろう。
艦これという作品のテーマとして「人類を襲撃する深海棲艦と戦う艦娘と、それを指揮する提督」というものが前提になければならないのだが、全体の戦局であるとか、そもそも艦娘や深海棲艦とは何であるのか、ということが語られず、何よりもどんな作戦が動いているのかがアニメでは非常にわかり難い。
これはおおよそ提督の視点が欠けているせいに思う。
もちろん、長門や陸奥といった「秘書艦」が艦娘たちのまとめ役を担っているが、それはあくまで上司であって、リーダーではない。
おそらく、こうしたことを考えれば提督はアニメに出した方がよかった。
それはキャラクター同士の絡み方を見ていてもそうで、吹雪はまだ新米のため他の艦娘たちのサポートを受けているということもあり、人間関係の中心には立てていない。このため視点がどうしても吹雪とそのまわりだけに限定されている。
ようするにそれぞれのグループごとの集まりでの人間関係は見えても、全体を見る横の目がないのだ。
だが、そうだとしても提督のような「プレイヤーの分身」をアニメに登場させ、艦娘たちと絡ませたら原作ファンが怒るのではないか? と思われるかも知れないが、過去の作品を見るとむしろ男性キャラの主人公が原因でファンが減ったというケースは少ないように思われる。
こうした「ギャルゲーの主人公」として上手くいったものの代表格をひとりあげるなら「サクラ大戦」の大神さん(大神一郎)だろう。
サクラ大戦の魅力といえば、やはり登場キャラの女の子たちとその個性だが、主人公の大神もけしてそれに負けてはいなかった。
海軍士官学校を主席で卒業し、抜群の剣の腕を持ちながら、人柄もよくみんなに愛され、上官や部下からの信頼も厚い。
今でいえば「完璧超人タイプ」のラノベ主人公だ。
普通ならこんなキャラが自分がゲームで「嫁」にしている艦娘たちと絡んでいたらファンは嫉妬するんじゃないかと思うだろうが、これはそうではない。
大神さんは非常に人気のある「キャラクター」だった。
ここに大きな誤解があるが、男性キャラクターの登場がすぐに恋愛に結びつくというわけではないのだ。
事実、大神さんは「隊長」、「指揮官」としても優秀だった。そして、その隊長としての頼りがいこそが彼の持ち味でもあった。
仮に男性キャラが美少女ゲームには雑音であるにせよ、その個性を活かせばいいアクセントになることをよく示してくれている例だろうと思う。
この主人公=ヒロインと恋愛するキャラクター という図式はどうも疑うべきもののように思う。
シンデレラガールズの武内Pも、アニメ版アイドルマスターのプロデューサーも、作中では存分に活躍していたが、けして「ヒーロー」ではない。
むしろ、役回りでいえば「アイドルたちを見守る保護者」という方が近いといえるだろう。
艦これの提督もまたこうした「アイドルのプロデューサー」に近い部分がある。
戦場に出て戦うのはあくまでも艦娘だが、提督には彼女たちの日常のフォローから、戦場に出る際の作戦立案までが役割になる。
では、それが不在となるとどうだろう?
これは現在の艦これアニメを見ていてもそうだが、非常に司令部というのが冷たいものにしか見えなくなるのは確かだ。
現に艦これアニメ三話では、駆逐艦如月が轟沈するという悲劇の展開になったが、そこに指揮官である提督の姿がないことで、余計に司令部が冷酷だという印象を与えてしまっていた。
この如月の轟沈をめぐっては、今も色々と意見が分かれているが、作中でキャラが死ぬこと自体は必ずしも問題だとは思わない。
まして、艦これの場合は多少史実に即して展開されているため、轟沈する艦がない方が不自然といえば不自然なのだ。
しかし、そうした要素を差し引いても如月の轟沈は何かお約束要素の詰め合わせのように感じられた。
今回同じく「三話での退場」となったことで比較されている魔法少女まどか☆マギカの第三話での巴マミの死はこれとは大きく違っていた。
まどか☆マギカ、そして仮面ライダー鎧武でもそうだが、虚淵作品の中でのレギュラーメンバーの死は物語の区切りで行われることが多い。
まどかでいえば、巴マミの死は「魔法少女」というそれまでの明るいイメージを壊し、まどかに魔法少女になることを思いとどませ、さやかの悲劇をほぼ決定付ける役割があった。
こうしたように虚淵脚本のキャラクターの死は、その死によって悲壮感を強調させようとしたりはしない。
それとは反対に、戦争であることを強調するためにあえて唐突にキャラを死なせるという方法ももちろんある。ガンダムなどで知られる冨野監督などはこうした手法を最も効果的に使っている一人だろう。
だが、如月の死はそのどちらからしても不徹底だった。
まず彼女が本編に登場したのはこれまでほんのわずかな時間でしかなく、しかも吹雪とはほとんど会話をしていない。
仲がいいのはあくまで、吹雪の同僚の睦月で、それも三話でようやく背景が描かれた程度のものだ。
しかもそれは彼女のキャラが掘り下げられたのではなく、睦月の視点からの回想でしかなかった。
こうしたキャラにすんなりと視聴者が感情移入できるかといえばそれは難しいだろう。
そうした点で、艦これはどこか「原作を遊んでいる」というのが前提になっている感があるのは否めない。
だが、それでは原作のファンからすればそれは嬉しいことだったかといえば、それはそうでもない。
艦これも、シンデレラガールズもともに、もとが女の子を集め、コレクションしていくゲームである以上個別のファンがいる。
だが、それが登場早々に見せ場もなく死ぬとすれば果たして嬉しいだろうか。
これはそうとは思えない。
むしろ、原作でそのキャラが好きなファンの多くは、アニメ本編でそのキャラが元気に動いている姿を見たいとは思いこそすれ、できれば幸せであって欲しいと思っているものだからだ。
だからこそ、キャラを死なせるにはやはり相応の理由が欲しかった。
しかも、そうしたキャラへのケアがないことは残念でならない。
これが提督の不在にも共通して現れている部分といえる。
おそらくストーリーの大枠を優先しているため、キャラに対して冷たく見えてしまうのだ。
美少女ゲームのアニメ化は、これからもおそらくは増えていくに違いない。
しかし、そのときに問題になるのは、作り手がそのゲームの登場キャラクターにどのような思いを抱いているか、ということにあるように思う。
よく、オタクは「俺の嫁」という言い方をするが、これはおそらく創作でも同じで、好きなキャラクターにはやはり作り手も愛情を込めようとする。
「スタッフに愛されている」とでもいうのだろうか。
そうした「愛」に恵まれたキャラは、アニメでも大体人気になる。
おそらく、そうした愛されるキャラがこれから艦これアニメの中できちんと描かれるか。
それがひとつのポイントになるだろう。
シンデレラガールズはこれまでのアイドルマスターシリーズの経験などから、そうしたものをよく把握しているのがわかる。
そのために余計に艦これのアニメは比べられやすい。
これは良いか悪いかではなく、同じ美少女ゲームという土台に立っている以上は仕方のないことだろう。
まだまだどちらもはじまってから間もないアニメではあるが、これからの展開で評価がどう変わっているのか。ゆっくりと見守りたいと思う。
今回も読んでいただき、ありがとうございました。