インターネット政治運動の歴史4(日韓WCと嫌韓の拡大)インターネット上の壮士たち―― | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

 これまで見てきたように、2000年当時のネットでは北朝鮮や朝鮮総連に比べれば、韓国の存在はあまり大きなものとしては扱われてはいなかった。

 それどころか韓国の批判めいたことを書けば2ちゃんねるでさえ「差別主義者はハングル板に帰れ!」といわれるような有様だったともいう。


 これは当時日韓ワールドカップへの期待が世間で盛り上がっていたこともあり、ほとんどのネットユーザーも韓国に対しては友好的なムードがあったためだろう。
 しかし、物好きなハングル板の住民たちはこの頃からすでに韓国の話題にも関心を向けており、韓国社会の中にある不自然な論調にも気づきはじめていた。

 

 とくにこの時期、世間ではほとんど関心が持たれていなかったが、韓国の中の反日機運はかなり高まっていたのである。


 韓国の主要紙のひとつ朝鮮日報は、2001年に起きた九州南西海域工作船事件(不審船事件)に対して「日本の『過剰』と『傲慢』」と題した社説を掲載し。

 

 「我々はこの船舶が北朝鮮の工作船か否かという問題とは別に、日本当局が取った措置が日本の右傾化に対する懸念を増幅していると見る」


 「例え国際法に問題がなかったとしても、多国のEEZで、それも十分に拿捕が可能であったにもかかわらず撃沈したのは説得力がない」


 「日本は米国の9・11テロ事件以降、戦後56年間タブーとなってきた自衛隊の海外派兵を行っただけでなく、最近に入ってから軍事力行使に足かせになってきた要素の取り除き作業を始めている。その延長線上で出たのが今回の日本の行為である。日本は今回の事件に対する徹底した調査と共に、周辺国の「懸念」が日本の国益にもプラスにならないことを直視しなければならない」

 

  「朝鮮日報」社説 (2001.12.24)  

 参考: http://blog.goo.ne.jp/k-64/e/707cd28bf165755b1ade4a2424d10c0d 

 

 と日本政府の対応に辛辣な批判を浴びせている。

 

 これが日本の活動家や社民党などの北朝鮮よりの団体の発言なら、ある意味で「いつも通りのこと」に過ぎなかったのだが、韓国はそもそも事情が違う。


 韓国と北朝鮮は現在も事実上の「戦争状態」にあり、しかも1996年には北朝鮮の潜水艦が韓国の海岸線で発見され、韓国に潜入した北朝鮮の工作員と韓国軍が銃撃戦となった「江陵浸透事件」なども発生するなど緊迫した事件が続いていた。
 それだけにこの韓国のあまりにも強い論調での対日批判にはネット壮士たちも「何を考えているんだろう」と首を傾げざるを得なかった。

 

 実は2000年に行われた北朝鮮と韓国の南北首脳会談の後、韓国では次第に北朝鮮に親和的なムードが広がりつつあり、返って批判の矛先を日本に向けることが多くなっていたのだ。

 このあたりから韓国の主要紙などもチェックしていたハングル板の住民たちは、韓国は日本を友好国として見るのではなく、むしろ長年の宿敵のように扱う論調が強いことに気付いていくようになる。

 これは概ね今の日本と韓国との将来の関係をも先取りしていたものといえるだろう。

 つまり、いずれどこかで「日本にも韓国の論調がバレる」のが見えていたのである。


 そのため、韓国への注目が集まる2002年の日韓ワールドカップの開幕に際しては。

 
 「これで日本人の韓国に対する感情を一気に変わるだろうな」

 

 と、半ば「予言」めいた書き込みをしていたハングル住民もいたという。


 この「予言」はほぼ的中していたといっていいだろう。
 今もネットでは「なぜ嫌韓が広まったのか」というときに必ず話題に上るのは、この2002年に開催された日韓ワ―ルドカップだからである。
 
 この大会で共同開催国の日本と韓国はともにグループリーグを順調に突破し、初の決勝トーナメントへの進出を決めるが、韓国のトーナメントでの対戦相手は強豪イタリア、そしてスペインと厳しい試合が続くことになった。

 
 しかし、これら世界のトップレベルの国々を相手に韓国は次々に奇跡的な勝利を重ね、最終的にワールドカップ四位という輝かしい成績を残すことになる。
 この快進撃は韓国では「四強神話」などといわれ、韓国サッカー史上の一大快挙ともされているが、しかしこの神話はまた数々の「不可解な判定」に後押しされた、不自然な奇跡でもあった。


 これはすでにいくつかのサイトで解説されているが、その疑惑だけをいくつか見ておこう。

 

 まず、決勝トーナメント初戦のイタリア戦では、試合中終始韓国チームに有利な采配が見られ、イタリア代表選手のトッティが延長13分にゴール前で韓国の守備選手に倒されるが、
故意に倒れたものと判断されてシュミレーション(違反行為)をとられるなどの微妙なジャッジが見られた(このイエローカードによりすでに一枚イエローカードを受けていたトッティは退場処分となる)。
 さらに、延長20分にはイタリア代表がゴールを決めるが、これがオフサイドと判定され得点を取り消されてしまう。
 こして延長戦の末、韓国が終了間際にゴールを決め、ベスト8への進出を決めたのだった。
 またこの試合では他にも。

 

 「倒れていたイタリア代表選手の後頭部が蹴られる」
 「韓国選手のスライディングが刺さり選手が負傷する」
 
 などのラフプレーが韓国側にいくつもあったにも関わらず、これらが韓国側の反則としてとられることはなかった。
 このため試合終了後にはイタリア代表の監督が怒りをあらわにするなど、どうにも後味の悪いものだった。
 
 さらに続くスペイン戦でもやはりおかしなジャッジが散見され、スペイン代表が二度ゴールを決めるが、いずれもファール判定となって得点が取り消された末に、試合はドローのままPK戦に突入し、これに勝利した韓国がベスト4に進出を果たすこととなる。

 

 参考:http://ch.nicovideo.jp/ooguchib/blomaga/ar685279


 このあたりから韓国にばかり優位に働いていることに日本で試合を見ていたサッカーファンたちからも韓国への批判が起きはじめる。

 

 なお、こうした韓国の試合をめぐる一連の疑惑は2004年にFIFAが発売したワールドカップの100年を振り返るDVD「フィファ・フィーバー」に収録された「ワールドカップ史上の十大誤審疑惑」のうち、実に4件が2002年のワールドカップの韓国イタリア戦と、同じく韓国スペイン戦で起きたとされていることなどを踏まえれば、概ね当時のサッカーファンの憤りは正しいものだったといえる。

 

 さらに海外でもこれらの試合に関する批判は根強く、2015年にFIFAのワールドカップにおける汚職が相次いで発覚すると、イタリアのスポーツ紙があらためて2002年のワールドカップで不正行為があったのも調査すべきだと当時の試合に再び言及し、元スペイン代表監督のカマーチョ氏もワールドカップの試合がFIFAによってコントロールされていたと批判している。
 
 さらに試合の内容もさることながら、日本で「嫌韓」を広めたのは韓国サポーターたちの態度にもあった。
 とくに、準決勝のドイツ戦では、対戦相手国のエース選手を名指しして韓国人サポーターたちが「死んでください」と書いたプラカードを掲げるなど、試合の内容以前に韓国人の民族性を疑う声が強まっていった。
 
 また、予選でもポーランド代表の宿泊先のホテル前で、韓国人サポーターが深夜に騒いで選手たちの睡眠を妨害するなどしていたことが判明し、自国が大会を開催するホスト国だという自覚がないか、何か勘違いしているのではないかという批判がネット上では相次ぐようになる。

 

 こうして急速に増えた「嫌韓」は、従来のネット壮士たちがハングル板で行っていたような北朝鮮批判や、嫌韓が拡大したものではなく、もともとスポーツ観戦が好きな層や、試合を見ていたネットユーザーが一気に「嫌韓に傾いた」という性質のものであっただけに、ここから一気に2ちゃんねるの全体にまで拡大していくことになる。


 しかも彼らの批判は韓国だけにとどまらず、こうした韓国の行動を批判しない国内のマスコミへも向けられた。

 とくに韓国が三位決定戦でトルコに敗れた後、トルコ代表の表彰式の様子などが放送でカットされたことから、試合を中継していたフジテレビへの批判が相次いだ。

 

 そうして誰からともなく生まれた「もしかするとマスコミは韓国とつながって擁護しているんじゃないだろうか?」という疑問は次第に大きなものとなっていった。

 そんな中、彼らの思いを代弁するように、ひとりマスコミの姿勢と韓国のサポーターの態度を批判したのが人気タレントの飯島愛氏だった。


 飯島氏は出演したテレビ番組で韓国の態度を問題にした後、同席していたサッカー解説者の奥寺康彦氏に今回のワールドカップに対するコメントを求め、言葉に詰まる奥平氏に向かって

 

 「黙ってないで、言いたいこといって! 私が守ってあげるから」と強い口調で迫り
 「今回は(判定が)ひどすぎる」というコメントを引き出すことに成功し、2ちゃんねるでは「よくやった!」と飯島氏を賞賛する声が溢れた。
 
 参考: http://corn.2ch.net/test/read.cgi/news/1024794793/

 

 このため2ちゃんねるのサッカー関係や、韓国関係の話題を扱う板では一時期日韓ワールドカップをめぐるの芸能界の良心として飯島愛を称えることが多かったという。

 

 ここから生まれた「嫌マスコミ」というこの感情は、後に「嫌韓」とともに、ネット壮士たちの思考を形成する大きな要因となっていくことになる。

 

 (続く)