世界史コンテンツなどの政治談議が盛り上がっていたその頃、2ちゃんねるでは日韓WC以来の嫌韓の広まりはますます加速していた。
こうした嫌韓熱にいささか倦怠感を持っていたのは、初期から北朝鮮や韓国の情勢を眺めていたコリアンウォッチャーたちであった。
彼らにしてみれば、2002年以降に急速に増えた「嫌韓厨」に代表されるネット壮士たちの大部分は「うるさい新人さんたち」に過ぎず、「嫌韓」論といっても、自分たちが過去にしていた雑談の延長以上のものは見出せなかった。
これはもともと議論好きな暇人が集まっていた彼らとすれば不満だったのである。
そうした中、彼らが新たな遊び場所として注目していたのが当時オープンしたばかりの日韓交流掲示板エンジョイ・コリア、通称「エンリコ」だった。
エンリコはもともと日韓ワールドカップを契機に、日本と韓国の交流をネット上でも盛り上げようと、韓国最大のインターネット検索サイトNAVER(ネイバー)が開設した翻訳機能付きの
掲示板であり、韓国では「エンジョイジャパン」という名称で運営されていた。
そのため本来は日韓のネットユーザー同士の「心温まる交流」が想定されていたのだが、サービスが開始されると途端に日本では韓国ユーザーの数々の奇妙な発言が話題となり、
それを見に連日多くのコリアン・ウォッチャーたちが集まるようになっていた。
この当時のエンリコでの日韓ユーザーのやり取りを記録的に描い作品には、当時嫌韓厨とコリアンウォチャーたちの双方から支持を集めていた「コリアンジェノサイダー・nayuki」という
サイトがある。
http://www.getemono.com/contents/nayuki/KGtop.htm
ジェノサイダー(殺戮者)といえばいささか物騒だが、サイトの内容は人気ゲーム「KANON」のキャラクターを使った二次創作小説でありながら、中身はNAVER掲示板での日本側ユーザーと韓国ユーザーとのやり取りを忠実に再現しており、エンリコに出入りをしていた人間なら「ああ、あのことか」とすぐにわかるものが多かったという。
ようするに実際にあったやり取りをモデルにした「半フィクション」であった。
このnayukiで描かれている韓国人ユーザーと主人公たちのやり取りは以下のようなものである。
大好きな「けろぴー」というキャラクターについて外国の人たちと話そうとする主人公の名雪は、友人の香里とともに翻訳交流サイトを探していた。
すると、見つかったのが日韓の翻訳交流掲示板であった。
そこで名雪は早速「けろぴーについて語りましょう」という趣旨のトピックを掲示板に立てるが、そこへやってきた韓国人ユーザーから「けろぴーとは韓国のけろぴーのことか?」とたずねられる。
日本のキャラクターだと思っていたけろぴーを、いきなり韓国のキャラクターといわれたことに名雪は困惑するが、ネットで検索してみるとやはり日本の会社が版権をもっていることになっている。
さらに調べてみると、過去に韓国の文具会社がけろぴーの版権を無断使用したことで日本企業と裁判になり、このとき韓国企業が「もともと自分の会社が商標登録したものだと」と主張していたことが判明する(裁判は日本企業の勝訴に終わっている)。
名雪たちは、おそらく相手はその裁判の結果を知らないのだろうと考え、相手に経緯を説明した上で「誤解だったみたいですよ」と書き込むが、今度はその裁判の記録や、名雪の主張を「捏造だ!」といって韓国ユーザーが怒り出してしまった。
その後、さらに「日本はなんでもかんでも韓国のものを奪う!」と、激しい批難をしてくる相手にとうとう見かねた友人の香里が反論して論戦になるというのがその流れであった。
やや物語としての誇張も含まれているかも知れないが、こうしたやり取りは実際に初期のNAVERではよく見られた光景だったという。
韓国では90年代の民主化以前には、日本のアニメなどは基本的に放送していはいけないとされていたため、日本のキャラクターやアニメを韓国のものとして放送したり、日本の漫画の海賊版を韓国人作者の作品として販売していたことも多かった。
そのため日本のキャラクターをほぼそのまま流用した製品を販売したり、勝手に韓国企業がアニメやキャラクターの名前を自社の製品に使用したケースもあったことから、韓国人にしてみれば本当に日本のものだと知らず、韓国が発祥だと信じているユーザーが多かったのだ。
週刊ポスト2014年3月28日号の「日本の番組丸パクリ横行の韓国TV局『似たアイデアです』と反論」によれば。
「『韓国のテレビ界にはかつて≪釜山に出張する≫という隠語があった。昔は釜山に行くと福岡の電波が受信できたので、≪日本の番組を真似る≫という意味の隠語です。パクリが半ば公然と行なわれていたことがよくわかる』(前出の在韓国ジャーナリスト)
アニメや漫画でもそうした例は枚挙に暇がない。『鉄腕アトム』が『稲妻アトム』、『ドラえもん』が『トンチャモン』、『らんま2分の1』が『ラムバ3分の1』といった具合。
いずれも原作者の許可などない。1998年まで韓国では日本の大衆文化流入を禁止していたため、韓国人は本気で『韓国オリジナルの作品だ』と信じていた。日本で活動していた女優ユンソナが『ドラえもんは韓国のものだと思っていた』と語ったのは有名な話だ。」
http://megalodon.jp/2015-0226-1939-24/www.news-postseven.com/archives/20140320_246335.html
とある。
このためNAVERのやり取りの中でも「~は韓国の作品だ!」という主張を韓国側ユーザーがしたのは別におかしくはないものであった。
当初、日本側のユーザーは韓国側ユーザーの主張に困惑しながらも「いや、ちゃんと商標登録してあるから」、「日本の作品の方が早いから」と説明していたのだが、韓国側はなかなか信じようとはせず、nayukiにあるように「韓国のものを日本が奪った!」と言い張る韓国人ユーザーも多く、次第に呆れ出していた。
そのため次第に「なんでもパクって自分のものだというのが韓国人」という認識がネットユーザーの中には共有されていくようになってしまう。
こうした討論をリアルに描いていた「nayuki」はネットでの評価も高く、一時期はタイトルもそのままで書籍化されるという話もあったようだが、やはりタイトルのコリアン「ジェノサイダー」という言葉がさすがに物騒だったためか、まだ嫌韓というものが今ほど世間に認知されていなかったこともあり、このときは実現されず、後に別のタイトルにあらためられた上で刊行されることとなった。
参考: http://blog.livedoor.jp/hitkot/archives/33158205.html
こうした韓国人ユーザーたちの行動を見て、NAVERの日本人ユーザーたちは次第に思いはじめたのである。
「韓国人を相手にするとかなり面白いぞ」と。
世間では日韓の歴史認識がどうのと騒がれていた時期だが、そもそも韓国人がどんな歴史認識を持っているかを知る人も少ない。
さらにネットは発言がストレートである分、テレビやマスコミのように「フィルター」もなく、議論では感情や民族的な性格が出やすかった。
つまり韓国人の本音がこちらでは直接見えるのだ。
そして、この韓国人の本音に一度踏み込んでみると、そこには日本国内で壊れたスピーカーのように相変わらず小泉内閣の批判と「平和」を連呼している左派のマスコミや文化人を相手にするよりも、はるかに面白い世界が広がっていることにコリアンウォッチャーたちは気づいてしまった。
こうして次々と暇を持て余していたネットユーザーたちはエンジョイコリアに参戦していったのであった。
当時エンジョイコリアに参加していた日本側ユーザーの有志たちが作った「NAVER総督府」の記録によれば、この時期は日本に過去の謝罪と賠償を求めてくるユーザーと、nayukiのけろぴーのケースのように「~は韓国のものだ!」という韓国起源説を主張するユーザーが韓国側の主流だったという。
これらの韓国ユーザーに対して日本側はユーザー全員が「1」という共通のハンドルネームを使い論戦(という名の遊び)に応じていた。
日本側ユーザーの中身はハングル板の住民や、嫌韓厨まで様々であり、全体としてのまとまりがあったわけではないが、彼らはそれでも十分に韓国人ユーザーとのコミュニケーションを楽しんでいたようだ。
こうした共通ハンドルの日本側ユーザーたちと韓国人ユーザーとの討論はその後しばらくの間続けられたようだが、やがて日本側ユーザーの中から数人が、双方の討論の舞台となっていた歴史議論板などで固定のハンドルネームを使用するようになると、それまでの雑多な議論から、次第に少人数による「討論」の方法が確立されていくようになる。
とはいえ、それは議論というよりもある種の「対処」といった方がよかったかも知れない。
すでにこれまでの議論を通して、韓国側の弱点は日本側に明らかとなっていた。
まず、韓国側の主張には基本的に根拠となる情報ソースが韓国で使用されている「国定教科書」などしかない場合が多いということである(これは韓国側ユーザーたちも認めていた)。
そのため日本側のユーザーがネットから外交文書や当時の記録資料などを探してきて相手に突きつけるようになると、日本側から出される資料の攻勢に韓国側はすぐに押されるようになったわけである。
この際に日本側ユーザーたちがよく活用していたのが、ネット上で外交文書を閲覧することができる「アジア歴史資料センター」であった。
アジア歴史資料センターは日本の機関や公共図書館などが保管するアジア近隣諸国との外交等に関わる歴史資料を提供するサービスを行っている電子資料センターであり、インターネット上でも明治期から第二次世界大戦終結までの期間に関する資料の一部を閲覧することができるため重宝されていた。
このため、日韓討論とはいっても、多くの議論では日本側が一方的に優勢に立つ場面のが多かったという。
ただ、ネットの議論のためにわざわざ論文や当時の記録資料、外交文書まで読むような人間は必ずしも大勢いたわけではなく、日本側の優勢を支えていたのは全体からすれば
ほんのわずかな真面目なユーザーたちに過ぎなかった。
彼らは後に「NAVERの論客勢」などといわれるようになるが、必要があれば図書館にも出向き、関係論文を調べ、ネット上の議論を大真面目にやることを何よりも楽しみにしていたという、一種変わった人々であった。
こうした議論の姿勢に加えて、韓国側にはさらにいくつかの問題があった。
それは韓国側ユーザーのほとんどがあまり漢字を読めないということである。
韓国では1970年代に学校での漢字教育を一度廃止してしまったことがあった。
このときは一時的なもので、間もなく漢字教育は復活したが、その後も漢字文化の衰退は止まらず、とくに80年代には急速に漢字の使用頻度が減ったとされる。
このため現在では漢字で「大韓民国」と書くことのできない学生が4分の1にものぼるという調査が韓国の新聞でも発表されており、しばしば韓国国内でも問題となっている。
朝鮮日報の「キャンパスにあふれる漢字を読めない歴史学徒たち」という記事では複数の研究者の話を引用して。
『高麗大学漢文学科のキム・オンジョン教授は「漢字を漢文の授業だけで教えている現行の教育課程では、 全科目の教科書で語彙(ごい)のほとんどを占める漢字語を、英単語を覚えるのと同様、表音文字と意味を結び付けて覚えるしかない』と話す(アルファベットもハングルも表音文字であるため、文字を見て読むことはできるが、意味までは分からない)。
仁済大学のチン・テハ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は『そのほとんどが漢字語からなる知識用語を、ハングルで表記して学習するだけでは、耳学問による聞きかじりの知識になってしまう。その結果、話すときも自信が持てないし、文章を書いても正確さに欠ける』と指摘した。」
と教育者たちからも不安の声が上がっていると伝えている。
参考: http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1403437334/-100
韓国側ユーザーたちはこのため、日本側に出された資料を読むのに相当に苦労していたようだ(一方日本側にはハングルを読めるユーザーも相当数いた)。
これはもともと朝鮮半島が歴史的に日本以上に漢字を重んじていたことを考えれば皮肉な話といえよう。
だが、かつては漢字を重んじていた韓国が、なぜ漢字を廃止してしまったのだろうか。
実はここに戦後韓国のナショナリズムの弊害ともいうべきある現象が潜んでいた。
もともと、朝鮮半島では日本の統治時代になり、はじめて本格的な学校教育が行われようになると、日本語に加えて、ハングルと漢字の混ざった文章が併用されて教えられていた期間が長かった。
ところがそれが戦後「漢字教育は統治時代の残滓」だという主張が見られるようになり、一気に漢字廃止論が高まってしまった。
これを助長したのが、「ナショナリズムによるハングルの偏重」と「日本がハングルを弾圧した」という主張であった。
このうち日本がハングルを弾圧したという主張に関しては、太平洋戦争の前後(1938年以降)に皇民化教育の強化が図られたため、教育の中で日本語を推奨する動きが強まったものの、ハングルや朝鮮語を朝鮮総督府が禁止したことはなかったようである。
それにも関わらず、統治時代を根拠とした「漢字廃止論」が広まってしまったのには戦後日本統治による「功績」を否定し、日本による略奪や弾圧などがあったことを過度に強調しようとする教育が韓国政府の主導によって行われるようになったことが拍車をかけていたようだ。
このため、韓国ではある種のナショナリズムと結びつき「ハングルは優秀な文字だ」という主旨の記事を新聞社が掲載することがしばしば見られ、また海外にもハングルを普及させようとする運動も一時期盛んに行われていた。
その代表的な例として、一時期韓国で盛んに報道されたニュースが「チアチア族」であった。
これは文字を持たないインドネシアの少数民族チアチア族が、ハングル文字を自分たちの文字として導入したというもので、2009年8月の東亜日報の「インドネシアのチアチア族、ハングルを表記文字として導入」によれば。
「社団法人訓民正音学会とバウバウ市が昨年7月、ハングル普及に関する了解覚書(MOU)を締結し、この地域の少数民族であるチアチア族の言葉を表記する公式の文字としてハングルを導入することにしたことを受け、固有の言語はあったものの、文字がなかったチアチア族は先月からハングルを使用している。」
とある。
http://japanese.donga.com/List/3/all/27/308576/1 より
ところが後に、このハングル使用は、インドネシア政府がチアチア族にハングルを公式文字として使用することを認めたものではなかったことが判明し、さらに韓国側にもこれに絡んだ事業の資金問題が発生したことからハングルの輸出計画は半ば頓挫することになり、ネット壮士たちからの失笑を買うこととなった。
産経新聞の「ソウルからヨボセヨ『ハングル輸出』は虚報」によれば。
「先年、インドネシアの小さな島の部族がハングルを自分たちの「公式文字」に採択したというニュースがあり『ハングルの優秀性を世界に示した』として官民挙げて大喜びした。
教科書でも紹介されるまでになったのだが、最近、この話はマスコミが誇張したもので「公式文字採択」は虚報と分かった。政府も教科書や各種展示を手直しすることになったという。」
参考: http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1350677244/-100
とある。
こうした韓国人によるハングルへの思い入れには、裏を返せばある種のコンプレックスがあるのではないかとネット壮士たちは見ていた。
何より、NAVERの討論でも見られたように、もともと朝鮮半島は長く漢字を使用していたにも関わらず、ハングルを優遇することにはそれなりの弊害があるのは当然であった。
つまり「少し前の時代の資料を読み解くのが困難」なのである。
このため韓国ユーザーはエンジョイコリアでも「慰安婦の強制連行の資料を見つけた」といって「慰安婦の募集広告」を持ってくるなど、かなり面白いことをやらかしてしまう。
さらに韓国側にとって、当時日韓関係の文書が韓国側では十分に公開されていなかったことも不利であった。
このため日本と韓国との間での賠償請求に関する点では、韓国では2005年になりはじめて複数の協定関連文書が公開されたことにより、すでに韓国と日本の賠償では政府間での決着が行われていたことが判明し、「日韓基本条約において賠償は決着している」という事実が広く知られるようになるまで、日本側には賠償責任があると信じている韓国人ユーザーが多かったという。
そのため、日本側から条約の関連文書が提示されると、ちょっとしたパニックになったようだ。
参考: http://f17.aaacafe.ne.jp/~kasiwa/korea/readnp/k363.html
このように韓国側には、議論をする前にいくつもの不利な条件が揃い過ぎていた。
しかし、こうした劣勢の中にあっても韓国側のユーザーはくじけなかったのである。
韓国には例え資料が少なくとも、負けるわけにはいかない理由があった。
これこそ先ほどの「日本がハングルを弾圧した」という主張などにも見られた「統治時代の日本は徹底的に朝鮮人の弾圧を行ったが、これに対して韓国を後に建国することになる独立運動家たちは日本の圧制と戦い抜きついに勝利したのだ」という現代韓国の根幹にある「抗日史観」に絡む問題である。
これをめぐり日韓ユーザーの対決はいよいよ激しく拡大していくのであった。
――続く