インターネット政治運動の歴史10 ――元祖世界史コンテンツ、または季節外れの福沢諭吉論―― | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

 安倍政権の標榜する「戦後レジーム」からの脱却という言葉が、最近ではようやく「戦前回帰」ではないということが世間にも理解されてきたようだ。

 私はこの言葉には「戦後を脱却」するという意味ではなく、「本来あるべき日本史の連続の中にもう一度戻ろうとする」という思想が込められていると見ていた。

 

 では、その本来あるべき日本史の連続性とは何か。
 それは明治からはじまった「近代日本」の路線に他ならない。

 

 戦前、日本はアジアの一小国から西洋列強と並ぶ大国を目指しながら、その夢は太平洋戦争の勃発によって潰えてしまった。

 

 つまり、戦後レジームからの脱却とは、もう一度日本が当時果たすことのできなかった「大国」を目指すという意志の標榜と見るのが自然なのである。

 

 若い世代の安倍政権を支持する層に、今もなお福沢の思想と通じるものが感じられるのは、実はこの点と大きく関係しているように思う。
 では、その思想とは何か。


 それは一言でいえば極めて冷たい態度の合理主義であった。

 

 例えば日本の近代化について元祖世界史コンテンツは次のようにいう。

 

 「さて、こうして明治の日本人は白人たちに侵略されない為に革命とも言える明治維新を成し遂げました。身分制度の廃止、議会の導入、西洋文化への感化。
 ここで誤解して欲しくないのは、日本は望んで従来の日本文化を捨てたわけではないということです。全ては欧米に侵略されないため、日本は欧米にも勝るとも劣らない国ということを
白人にわからせたかったのです。さもなければ国が滅びるのですから。何せ当時の白人の価値観は白人に非ずんば人にあらずですから、彼らにしてみれば黄色人種の日本人はサル同然だったのです」

 

 「――外交が相手と仲良くすることだと思ってる人は明らかに間違ってます。表面では友好を唱えても、外交の本質は相手を利用することです。
 日本人が外交ヘタと言われるのは、『こっちが仲良くする気があれば、向こうも仲良くしてくれるだろう』と思い込んでしまう国民の体質にあります。
 その気持ちはわからなくもありませんが、国家間の付き合いと、個人の付き合いとを同レベルで考えるのはただの馬鹿です。
 そーいう人間が多い国は結局利用されてお終いなのは歴史が証明してます。
 だから、国家に真の友人はいないとか言われるわけです。こうしてはじまったこの日露戦争は、国家の存亡を賭けた日本始まって以来の大戦争でした。

 なにせ負けたら即滅亡なのです。」

 

 このように見ても、「元祖世界史コンテンツ」とは明治の福沢諭吉の「学問のすすめ」をネットの要素をふんだんに盛り込みながら現代風に読み解いた、壮大なパロディ作品だということがよくわかるだろう。

 

 それに多くのネット壮士たちが共感したのは、結局この福沢の時代から人類の意識がほとんど変化していない以上、日本もまた同じように、これからの時代を生き残ろうという貪欲さを持たなければならない、という思想に共感したからに他ならなかった。

 

 当時の日本がアジアというまったくの「蛮族の地」でありながら、西洋文明を受け入れることは当然並大抵の努力ではない。
 福沢がそこで、いまだに自国を世界の中心と考えている清朝が「井の中の蛙」に過ぎず、返ってそのプライドのために西洋諸国の半ば植民地のようにになっている現状を「悪い見本」としたことなどは、古来より中国の文化に長く親しんできた日本人にはなかなか受け入れることができないものであり、現代でも「福沢はアジア人を蔑視していた」と主張する人々がいる理由でもある。

 けれども、そうした批判はそもそも福沢にはあまり意味がない。

 

 もともと福沢自身、幕臣でありながらそれを打倒した宿敵ともいえるの明治政府を評価し、その時代の論理的な支柱になったことや、優秀な儒学者であったにも拘わらず、儒学の権威的なものをあっさりと捨て去り、洋学を率先して学んでいったことなどは、いずれも彼の思想の根幹にあるものが一途な「合理主義」であったことをよく示すものといえるだろう。

 

 彼の理念を現代に活用すれば「今の民主制日本が生き残るためならばアメリカにでもどこにでも頭を下げ、敵対する相手には徹底して勝つための算段をするしかない」ということになるのはごく自然である。

 

 またそうであるのなら、日本は今置かれている自国の立場を改めて顧みなくてはならない。

 

 これまでの日本は、その根底にある反米感情から、同じアジアの隣国というだけで、中国や韓国、あるいは北朝鮮に対して過剰な期待を抱いてはいなかっただろうか。

 

 あるいはアメリカの軍事力に頼りながら、それを批判することで満足し、自国の国防をおろそかにしてはいなかっただろうか、と。

 

 もしもそうした考えがあったとすれば、それは文明開化を「堕落」として捉え、世界の変化を認めなかった一部の儒学者たちと変わるものではない。
 まして平和主義を唱えていれば紛争や戦争から逃れられるなどという考えにいたっては、生臭坊主の念仏にも等しいものと思うべきなのである。

 

 これほどつまらないながらも、わかりやすい思想が他にあるだろうか?

 

 こうした福沢諭吉の再評価の動きが、ネットの中で誰ともわからない個人の集まりの中ではじまったことは、当時のネット壮士たちの特徴をよく表しているといえる。

 

 彼らは自分たちの上に特定の論理的な指導者というものを基本的に持ってはいなかった。

それはかつてハングル板の中で「ぢぢ様」という人物の登場が議論を深めることにはなっても、そこからの資料集積や、まとめサイトの構築などがまったくネット上の有志たちによって行われたのと同じであった。


 彼らはあくまでもまとまりのない集団であり、そのときどきの思い付きで行動する。
 そこにこそ彼らネット住民の最大の強みがある。
 だがしかし、それはひとつの社会運動としてみればあまりにも不一致なものだったのも事実だろう。

 

 事実、こうした「元祖」に見られる福沢の思想は、そこから派生した他の世界史コンテンツの作者たちにもそのままの形で受け継がれていったわけではなかった。

 

 その後の「世界史コンテンツ」では、元祖のアニメのアイコンを使っての掛け合いという手法や、わかりやすく歴史や社会問題を語るという部分は大いに歓迎されたものの、元祖に見られたこの強烈なまでの主張は結局その後あらわれることはなかったのである。

 

 これはまた多くのネット壮士たち(とくに嫌韓厨)にしても同じことで、彼らもまたここで語られている合理主義の性質を受け入れたわけではなかった。

 

 そのため、彼らが当時盛んに論じていた「南京事件」にせよ、「従軍慰安婦問題」であるにせよ、そもそも事実がどうであったかを議論するのではなくて、国としては「もう過去のことであり終わっていることだ」と断固として突っぱね続けることだけが唯一の解決方法であることに気づいてはいなかった。


 これはある種の逆説ではあるが、理屈で正当性を示すことはできない。

 むしろ「日本の主張の正統性」を示そうとすれば、それだけ終わりのない議論にはまっていくことになる。

 

 こうした終わりのない議論の無意味さを現実の世界情勢の中に見るのは極めて単純だろう。
 ロシアはクリミア半島の「併合」にしても、クリミアが歴史的にロシアとウクライナのどちらに帰属すべきかなどは二の次の問題であって、ロシアが「クリミアはロシアのものだ」といえばそれ以上は
 どんな反論も受けつけず、あくまでも欧米の批判に対しても強硬に振る舞っている。

 このとき「核兵器の使用をも準備していた」と発言したプーチン大統領に被爆者団体が抗議文を出したときでさえも「それは日本に原爆を落としたアメリカにいえばいいことだろう」と実に淡々としてたものだった。


 これはもちろん国際法上の観点からすれば大いに問題はあろう。
 しかし、日本が考えなければならないのは、こうした考えを持つ隣国がある中で、自国生き残る道を探さなければならないという宿命にあるということのはずなのだ。

 

 だがそんな「品格」などない国際情勢の現実を受け入れることはネット壮士たちでさえもけして簡単なことではなかった。
 そのために彼らは返って自分の国を守るには「愛国心」が不可欠であるといった、ある種の情緒へと流れていくようになる。

 

 元来、福沢はこうした情緒としての愛国心とけして相性のいい思想を説いてはいない。
 なぜなら、それはむしろ儒学の「忠孝」に近いものであり、相互利益によって結びついた近代のそれとは相容れないものだからである。

 

 しかし、それでいながら結局、この不徹底な合理主義の埋め合わせを、ネット壮士たちも「伝統」という形に求めるしかなかったのはなぜだろうか。

 それは自国の防衛を日本人だけで行うべきという旧来の保守的な考え方を、半ば不可能なことだとはわかっていながらも、諦めてしまうことができなかったからである。


 彼らはここで日本が「特別な国であって欲しい」という理想を簡単に捨て去ることできなかった。

 ネット壮士たちもその意味では「伝統を重んじる保守的な右派」などとはまったく異なる「近代と現代の狭間で苦悩する戦後人」だったのは間違いないだろう。

 

 こうして彼らの思考はあくまでも日米同盟を主体としながらも、世界史コンテンツに見られるような「明治」に倣おうとする富国強兵路線を念頭に置いたものとなっていった。

 

 しかもそれは強硬な改革や、革命ではなくて、少しずつでも選挙で自分たちに近い候補者を選ぶことで変えていこうという、極めて民主主義の手順を重んじる方法であり、それによって変革が行えると信じていた。

 

 そのため当初の彼らはかつての学生運動のような急進的なデモや革命による改革という可能性をまったく考えてもいなかったのである。


 それはネットユーザーの多くが、そうした活動家のタイプではなくて、学生としても、社会人としても、むしろ社会の中に順応していた「一般人」のそれにはるかに近いものだったことも大きい。
 だからこそ、自分たちの考えに近い政治家、政党を選んでいくという方法においてのみ、政治に関わることがもっともいいだろうと彼らの多くは考えていた。

 

 こうしたネット壮士たちの政治信条(それは一種の諦めではあるが)を、元祖世界史コンテンツでは次のように日本の政界の現状を切り捨てることであらわしている。

 

 「さらに困ったことに、自民党は間違いなくアホですが、その他の連中も同レベルのアホばかり。外交だけで見れば、一番世界情勢を理解しているのが自民党というどうしようもない状況です。
 ひょっとしたら一番マシな馬鹿は自民党かもしれないという最悪な状況が今の日本なのです。わたしとしては、現実的に見て、この状況を打破するには民主党に政権を取らせ、自民党の持つコネを自然消滅させるのが最善策と思ってます。政権を取り続けることで維持されているコネを潰し、それによって賄賂贈賄を減らす。イギリスのように、政権を取る党がコロコロ代われば、確実に賄賂経路は潰れるでしょう。
 全ての賄賂を潰すことは不可能でしょうが、10%の賄賂を5%に減らすことは可能なはずです」

 

 意外にもここで元祖世界史コンテンツから提案されているのは一度自民党を政権から下野させ、野党第一党にある民主党に政権交代をさせた上で、自民党が長年築いてきた「コネ」を潰すという方法であった。

 

 後年、この言葉の通り民主党が政権をとることになるが、結果からいえばそれは「同レベルのアホ」という評価さえもあまりにも過大と思えるほどのものでしかなく、自民党のコネを破壊するどころか、危うく外交が破たんしかけるような状況を生み、結局三年足らずで下野することになってしまう。

 

 もっともこの点では、多くのネット壮士たちの考えと「元祖」のそれは大きく違っていた。

 

 以前にも述べたようにネット壮士たちの多くは「小泉政権」の路線を概ね肯定していたため、民主党への政権交代を望む声はほとんど見られなかったからである。


 このように「元祖世界史コンテンツ」はあくまでもネット壮士たちの当時の思想をよく代弁したとはいえ、やはり作者テッタ総統という作者個人の思想がすべて支持されたわけでもなかった。


 むしろ、それは水がひとつの方向へと流れていく中で、やがてなだらかな河川となり、風景という全体画の中にあらわれていくように、ネットの混濁した人々の思考がたまたま集まってできた小さな小川のようなものだったのかも知れない。

 

 だが、元祖世界史コンテンツによってもたらされた福沢の再評価は、その後もネット壮士たちの中に大きな影響を与えたことはやはり重要な出来事だったのは間違いなく、さらにこうしたネットユーザーの好みにあった「遊び心」はその後のネット文化の中でも形を変えて受け継がれていくようになる。
 そして福沢の思想の間接的な継承者も、こうしたネット文化の影響を受けた「より若い世代」から後にあらわれるのであった。

 

 ――続く