過去に触れる、ということ。 | Dawn After Down

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ついに、一日さぼってしまいました←
岩手から帰ったら、すぐに意識が飛びました。
なんたる、言い訳。←



過去に触れる事。
僕は、これをやってしまいます。
本当はやらない方が良いのです。

過去は生ゴミである。

嬉しかったり、気持ちよかったり、幸せだったり。
だけど、そんな都合のいい事ばかりではないはずです。
悲しかったり、悔しかったり、吐きそうになったり。
楽しい事と苦しい事は、比例して起きているのです。

それがあっての今なのです。

だから、一概に生ゴミだ!!!
とは、言いたくないのですが、気がついたんです。

その思い出に、善くも悪くも、しがみついてしまう事に。

例えばの話ですが
去年の給与明細。
去年、これだけ稼いでいたんだ、という証明書です。
この証明書、ある意味、過去の栄光である事が、わかりますね。
これにしがみつくという事はつまり、給料に、お金に、中毒性を持たせているということです。

依存になります。

過去に獲得した賞や資格なんかも、この類いです。
今の現状とは、全く違った世界にいた頃の自分に、栄光を与える。
しかし、その過去と現状が、結びつかなければ、栄光でもなんでもないのです。

社長は、会社の外では、社長じゃないんです。

わかりますよね。
会社の外で偉ぶってても、なんだこいつ、ってなってしまう事。
つまりは、こういう事だと思うんですね。

だから、過去は捨てた方が良いんです。

なにが大切かと言うと
たまに振り返る事。
嬉しかった事、気持ちよかった事、幸せだった事、楽しかった事だけでいい。
故人を思い出す時、嫌な事は、思い出さないですよね。
それと、同じだと思うんです。

だから、大切になるんです。
思い出が大切になって、その手から離れていきます。
そしたら、いつの間にか、日常的に思い出さなくなってきます。

自分に変化が現れます。
毎日新しい事が、自分の中に入ってくるようになるんです。

常に変化していく事とは
常に新しい自分や他人を見つけて
磨き合う事にあるのかな、と思います。





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