村上春樹の大学時代・結婚 | カノミの部屋

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ブログ・481「村上春樹の大学時代・結婚」2019・2・19

 

 村上春樹が早稲田大学に入学した1968年は、大学紛争真っ盛りの年である。3月28日には東大安田講堂が学生に占拠されて卒業式が中止となった。

5月27日には日大全学共闘会議が結成され、神田の街頭で警官隊と衝突した。全学連が新宿駅を占拠したのは10月21日であり、大学は全共闘連に占拠された。早稲田でも授業どころではなかった。

 学生たちは何に反対したのだろう。1968・1969の2年間、学生たちは全共闘の闘士たちによって占拠された校舎でアジ演説を聞き、共感したり、疑問を持ったり、デモに参加したり、おおむね彼らの反対するものに共感の感覚を持つことが、春樹自身を含め多かったようだ。大人社会の矛盾、不公平、欺瞞。ところがこの言葉の意味することとは反対に、内ゲバが始まり、ノンポリの学生が殺されて、はっきり「言葉の虚しさ」を感じるようになった。

 翌年になって政府の、機動隊動員によって大学から全共闘の大学占拠は終わらせた。村上春樹はアルバイトと映画を見ることに多くの時間を使った。大学1年、2年は、このように終わった。

 確か1年の最初の授業の時、同じクラスの女の子が隣に座った。結局その人とのちに結婚することになるのだが、その時は革マルが前に出て「アメリカ帝国主義のアジア侵略」についての討論をやっていて、彼女は「帝国主義って何?」とかいろいろ質問をしてくるのに、教えたりして、だんだん親しくなった。カトリックの女子高から来た人で、そういうことは何も知らない人だった。2年生くらいまでは普通に友達として付き合っていた」。このことはイラストレーターの安西水丸と共著の「村上朝日堂」に書いてあった。この本は村上のコラム・安西の挿絵で「日刊アルバイトニュース」に連載した文を集めたもので、この二人は実に気があって、他にも「週刊朝日」や、SINRA誌に連載したこのコンビの面白い文庫本が出ている。

 春樹は早く結婚したいという願望があった。前提本に、「僕は一人っ子でしょう。家にはいつも親とか、そういう人しかいなくて、常に従属的でしょう。早く自分の世界を持ちたいと思っていた」。

 春樹の両親は仰天したのではないか? そのことを匂わせる記載は一切目にしていない。結婚式をしたともしないとも書かれたものは見ていない。しかし、多分入籍だけしたのではないかと思う。