「ギリシャ・ローマで小説を書く 2 | カノミの部屋

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ブログ・494「ギリシャ・ローマで小説を書く 1」2019・3・30

 

 村上春樹は40歳になる前に、2冊の長編小説を、ぜひ書きたいと思った。40歳というものは一つの重大な転換点で、それまでの時間を無駄にダラダラ過ごしたくなかった。

 今、「純文学ではない」など不快な扱いが続く一方、新しい小説家として人気がたかまり、「広告」にでろ、「講演」をしろ、「コメント」をくれ、「何かの審査員」になれ、「都会小説」を書いてくれなど、人気作家としての注文が降りかかってくる。彼は疲れすぎてしまった。「そうだ、旅に出よう」。それで、村上夫妻は家を人に貸し、猫を預け、荷物をまとめてローマ行きの飛行機に乗った。その日は陽子夫人の38歳の誕生日。とりあえずローマにいる知人を頼り「住むところ」を探すつもりだった。

 ギリシャで紹介されたスペッツェス島のサマーハウスに、ひとまず落ち着く。

10月半ばの、ちょうどシーズンの終わりにあたる。観光客は去り、シーズン中開かれていたレストラン、土産物屋、ホテルなども営業をやめ、寒くて泳ぐこともできない。雨風激しく、猛烈な嵐が数日続くこともあった。夏のための家では秋、冬を凌ぐ備えがない。

 ここで、彼はまず「旅行スケッチ」を書き、日本で書き始めていた翻訳2冊分を完成させる仕事を済ませようとしている。朝食の後「やるべき仕事」をやり、「走る」。ギリシャでは必要もないのに「走る人」はいないので、大いに珍しがられる。家で昼食を作って食べる。朝は春樹さんが作り、夕食は陽子夫人が作るが、昼は臨機応変ということらしい。

 買い物によく通ったアナルギロスのマーケットには、生活に必要な物が揃っている。この、アナルギロスとは春樹さんの流暢とは言えないギリシャ語と、かなりひどい英語で個人的親交をむすんだ。「突っ込んだ個人的親交を避ける」傾向の春樹さんには珍しく「わりに素直に接することができた」。

 それにしても、夏用に作られたサマーハウスにこれ以上長く住むことはできない。それで、村上夫妻はミコノス島に住まいを見つけて住むことにした。ミコノスもシーズンオフなので、観光客は少ないが、ギリシャの中の観光スポットなので、幾らかは観光客もいて、店も全部しまっているわけではない。家も居心地よく、仕事ははかどり、やりかけの翻訳、C・D・B・ブライアンの「グレートデスリフ」を仕上げた。