もし今日が、
地球最後の日だとしても、
満足だ♡


ある日の会社帰り、
沈んでいく夕焼けの空を見ながら、
ふとそう思ったんだ。

その理由はきっと、
あまりにも夕焼けが綺麗だったから。

と、言いたいところだけど、
今日より綺麗な夕焼け空は
何度だって見たことあって、
今日だけが特別ってわけではない。

それはもちろん、
完全な一期一会のこの自然の世界は、
いつだって完璧な美しさの中だけど。

例えて言うと、
賞を取れるような
そんな特別な1枚ではない。


このいつもの夕焼け空に
「今日が最後の日だって構わない」
って思ったこの感情は、
当たり前の日常の中にあって。



例えば今日、

片思いしているイケメンの彼に
頭をポンポンされたら。
それはもう、大興奮で、
「もう今日死んでもいい!」
って幸せ一杯に思う日もあるだろう。


例えば今日、

ずっと会えなかった遠距離中の彼に
やっとやっと会えて、
ぎゅってしてもらえたら。
「もうなんて今日は幸せな日で、
もう今日が地球最後でもいい!」
って幸せ一杯に思う日もあるだろう。


例えば今日、
仕事でめっちゃ成果出して、
みんなから大絶賛されたら。
自己肯定感も急上昇、
「もうなんて満足な1日!
今日地球が終わってもいいかな♫」
って思うくらい
充実した日もあるだろう。

そういう日は
過去に何度もあったけど。


それは目に見える称賛だったり、
与えてもらった形がある。


でも今日は、
何か与えられたものじゃなくて、
称賛や条件付きの幸せじゃなくて。

そう思った10分後には
会社に忘れ物した事に気付いて
半分まで帰った道を10キロの距離
また戻ったくらいに、
どちらかというとツイてない日。


でもそれでも、
変化する夕焼け空を
また戻る道のりを
なんだかそれもそれで
最高だと思えた。


何にもない
何にも成果がない
何にも与えられない
褒められてもいない
認められてもいない
そんな日常が、
「満足」って思えたんだ。

どのくらいの「満足」かと言うと、
ここで終わっても、いいくらいな。

足りないものを
埋められた世界じゃなくて、
もう既にそこに全部、
全部ある。

褒められたものが
何もなくても、
誰からも、その存在すら、
気付かれなくても。



どこで切り取られても「満足」な、
そんな平穏な心の状態に
いつの間にかこの領域に、
私は居たんだ。


この幸せは、
周りの評価や
与えられるものによって
左右されるものではないから、
絶対に揺るぐことがなくて。


なんで穏やかなんだろう。