元旦からの地震、飛行機の衝突事故と
衝撃的な事が立て続けにあって、
心が痛む年明け‥

被害に遭われた皆様に
心からお見舞いを申し上げます。

どうか心穏やかに過ごせる日が
1日でも早く来ますように。


今日はあっという間に七草粥の日。
毎年お正月にリクエストを頂き
載せる記事がある。


元旦に食べたお節が
毎食ごとに少なくなって、
お鍋から足したりしながら
段々小さな器に収まっていく。

その行程が大好きで。
どの瞬間も完璧な美しさの中に。

来年の参考になるように
今年も写真を載せておこう。










今年初めて作った(?)
ラディッシュの飾り切り、
鞠のようでとっても可愛かった。

ぶっつけ本番で切り込みをしたから、
最初の方に作った飾り切りは
実は失敗しちゃってるけど、
失敗なんて本当はないんだから、
勿論お節に飾った。

最後の5個目、
やっと形になった。
これも可愛い。

ハムに添えられて
ちょこんと乗っている
真ん中の鞠。

また来年も飾り切りを飾ろう。

今度は1個目から
きっと上手くいくね。

昨日は半日仕事に行き、
夕方はモコの帰りを待ちながら
久しぶりに
本当に久しぶりに
庭のブランコに座った。

西日が沈む赤い光が背後から届いて
ブランコに乗っている私の影を
遠くへ映し出す。

よくモコとブランコに乗ったっけ。
グレープフルーツの木陰に揺れながら。
私の癒しの時間だったな。

色々ありすぎて
そんなゆとりもないままに、
いつの間にか沢山の時間が過ぎてた、

また来よう。
ゆとりの時間に会いに。

気持ちをリセットして整える、
殺伐とした毎日に忘れないように。


明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。




ブログを久しぶりに覗いてみたら
ほぼ1年間、更新していなかった。

2023年は5月まで
PTA会長の任務があったから、
めちゃくちゃ楽しすぎて
ブログの更新もそんなに出来ないかな
と思ってた。

任期が終わったらちゃんと総括して、
楽しかった思い出を記事にしておこう
と思ってた。

無事に任期が終わって
充実感に浸ってたその矢先、
身内に不幸があって、
バタバタと日が経っていった
その数日後、
予期せぬ事が起こって。

それは、
それまでの波瀾万丈の人生の中でも
1番衝撃的でショックな出来事だった。

その日から。
狂ってる歯車に乗っかりながら。
無駄な抵抗はせず、直すこともせず。
ただ目の前の時間だけを過ごす日々を
送ってた。

綴ることは出来ないまま。

きっと色んな事が限界だったのだろう。
そう感じざるを得なかった。
痛感した、というのが正しい。

そこから、
モコの通院も始めた。
投薬も始めた。

きっかけがなければ、
何も変わらない。

ギリギリの選択の中で。

そんな訳で
色々ありすぎた1年が過ぎて、
また新たな年を迎えた。

辰年、私の生まれた年。

色々あったけど、
とりあえず、生きてます。

なんとか今年もお節を作ることが出来て
通常のお正月が迎えられた事に
ほっとしてる。

今までの人生は
ジェットコースターのような
波瀾万丈を楽しんで生きてきたから、

「穏やかな一年になりますように」

って祈った事は一度もなかったけど、
穏やかなのが1番なのかも、と思えた。

昨日は七草粥を
お正月はお節を
毎日の暮らしもそう
お弁当やご飯を作りながら、

食材をまな板にのせる時も
ぐつぐつお鍋を煮る時も
じゅわじゅわっと炒める時も
使い終わった調理器具や食器を
洗う時も

それは、特別な時間。

まな板の上は神聖な場所。
食材以外のものは置きたくなくて
食材以外のものを置いたら
まな板に失礼な気がして。

いつも使っている菜箸も
お玉もターナーも
どうか優しく扱って。
丁寧に。

洗う時もそう。
お箸もお椀も器も
激しくぶつからないように。

泡に包まれて
気持ち良さそうにしている
この子たちに
丁寧に、心を込めて。

そこにいる
100均のスプーンも
ちょっと高めのお箸も
シンクの中ではみんな同じ。


きっと誰でも、
高価なものを扱う時は
丁寧に丁寧に扱うだろう。

高価だから
大切にしたり、
使うと気持ちが高揚したり、
幸せな気分になれたりする。

でもきっと
100均のスプーンも
同じ。

何も変わらない、
と思ったんだ。

たとえ100円だとしても、
高価なものと同じように
丁寧に、丁寧に
大切に、大切に
扱ってみたら。

この100均のスプーンも
高価なものと遜色ないくらい
愛おしくなる。

きっとそれは、
値段なんかじゃ
図れるものではなくて。


気づけばそこにある
白菜もそう。

私はオーガニックの野菜を
定期的に購入するけど、
それは最高に大好きだけど、
スーパーの野菜も
地元の畑で採れた野菜も
この白菜だって、好き。

どんな風に育ったか
分からなくても
なんだか愛おしく可愛く見えて。

「ようこそ、地球へ」って
心の中で話しかけてみたら、
地球歴は人間よりずっと長い
この子たちに、

新参者の人間の方こそ
「ようこそ、地球へ」と
言われているみたいに。

可笑しく思えた。


100均で売られていても
高価なものでも、
オーガニックの野菜も
スーパーの野菜も、

きっとみんな同じ。

100均だから、とか
高価だから、とか、
その判断基準は
なにか違う。

すべてが大切なもの。

日々の生活を彩る
必要不可欠なものだったり、
生活を少し豊かにするものだったり、
私たちの身体をつくるものだったり。

そこにもう垣根はなくて
大切なもの。
大切な仲間。

“大切”であることは
何も変わらないよね。

どちらが
優れているとかいないとか、
価値があるとかないとか、
この大きな地球の中では
どうでもいい事なのかも。


そしてこれは
人間もそう。

地位とか名誉とか
学歴とか職歴とか
役職とか年収とか
そんなので図れるものではなくて

働いているとかいないとか
障害があるとかないとか
関係なく

この大きな地球の中で
生きている私たちの魂は、
小さくて逞しくて
みんな同じに輝いていて。

儚くて
尊くて
愛しくて。

毎日を平等に
生きている。

誰が
優れているとかいないとか、
価値があるとかないとか、
この大きな地球の中では
どうでもいい事なのかも。





毎年リクエストが多い
「進化するお節と思考」

今年も元旦のお節は、
その時々で姿を変えていった。




少なくなったお節を
小さな器に移し替えていく工程が
私はたまらなく好きだ。




毎食ごとに姿を変えて。




それは別に誰も
望んでいないかもしれないけど、
私の目が楽しみたいから、
私だけの為に、整える。


“整える”

今年は何故かこの言葉が
1番しっくり納まった。

それは何だろ、
自分に与える最高のご褒美みたいに。

その“整える”時間が、
私はたまらなく好きだ。




元旦のお節が
段々小さくなっていく。

そうそうこの重箱の中に
収まった煮しめの入った丸い器は、
支援学校の授業参観で購入したもの。
陶芸班の作品。

重箱のサイズにピッタリで
なんだか可愛らしい。


そして小さくなったお節は、
(正式にはお節の材料)
今年は最後は鍋に納まった。
根菜たっぷりの。




煮しめに使った根菜や蒟蒻が
少しずつ余っていたので、
贅沢にも全部放り込んで。

手についた根菜の匂いも
ぐつぐつ煮立つ姿も
美味しい匂いを漂わせて。

ただただここにいる、
愛しいくらいに。
ブログでは
新年最初の投稿!

いつも読んでくださる皆さまへ
たまたま目にしてくださった皆さまへ
新年明けましておめでとうございます。

いつも読んでくださり&
たまたまご訪問くださり、
ありがとうございます!

いいね!も、とっても嬉しいです。
本年もよろしくお願い致します。


さて恒例のお節から。
今年はこんな風になりました(^^)
お節写真を投稿すると、
もう長年見てくれている友人が
「かんさんのお節が
歳時記のような存在になってる」
と言ってくれました。

楽しみにしててくれる人がいること
なんだか嬉しいです(*^^*)


私は過去記事は殆ど見ないのだけど、
たまたまFacebookの機能で
1年前のお節の記事が
あがってきていて。

そこには、
“毎年お節に飾っている金柑が
今年は枯れてしまって、
飾り付けに試行錯誤した”

と、書かれていた。


ああ‥。
1年前のことだったんだ‥。
もうなんだか金柑がなくなって、
それから数年はお節を
作っているような気がした。

お節の最後の仕上げを
元旦の朝に残した大晦日の夜、

明日の朝のお節の飾り付け
(飾り物の緑の野菜などを
バランスよく添えて整える工程)を
頭の中で構想している時、
「そういえば金柑はないから‥」
と、金柑のことが一瞬過ぎったけど。

でも
「絶対あった方が良かった」とか、
「ないと困る」とか、
「せめて金柑があったら」とか、
そんな風には思わなかった。

「ない」ものは「ない」として
「あった」時の過去に拘ることはない。

「ない」ものは
最初から「ない」ものとして。

ゼロからスタートするだけだ。

昨年は「ない」が初めてだったから
飾り付けにも試行錯誤したけれど、
今年は「ない」が当たり前で。
もう数年も「ない」ような気がして
飾り付けに迷う事なくスムーズに。

感性だけが自然に動く。
この時間がすごく好きだ。


こうして日常は
「当たり前」になっていき、
いつかあったことの記憶すら
忘れられていくのだろう。

それはそれで
少し悲しい。


昨年、寒さのためか
金柑の木と一緒に枯れた
柑橘系の木は、
柚子もグレープフルーツも
見事に復活をした。

たわわな実を重そうに
その枝にぶら下げている。

重そうだけど、
嬉しそうに。

大きくなった吾子を
嬉しそうにおんぶする母か
祖母の背中のように。

そこには愛があって。

金柑の木もいつか
新しい命が芽吹いてくれる奇跡が
あったらいいなと思うけど。

それはこの場所じゃなくても
いいんだ。

地球上の大きな大地の中で上で、
命はずっと繋がっていくから。





今年も残すところもう僅か。
振り返ると今年は怒涛の1年だった。
(昨年もそうだった気がする笑)

めっちゃ頑張ったことも
めっちゃ楽しんだことも
たくさんあったけど、

同時に、
足掻いてもどうにもならない事も
ものすごくたくさんあった。

これまでの人生で
後悔してる事はないけど、
後悔して生きるって
こういうことか‥‥
と、初めて思った。

それもまた、
人生の味わいになるなら、
この経験も、人としての
深みになっていくのだろう。



今までその時々で
色々なものに例えてきた人生も、

「人生はジェットコースター」の時も
「人生はギャンブル」な時も
「人生は壮大なドラマ」だった時も
「人生はお笑い」に進化した時も。

色んな例えがその時々で
しっくりきていたけど、

今年の人生を例えるなら、
「人生は、サイコロ」かも。

サイコロが出る目は
自分では決められなくて、
出た目の数だけ
進まなければならない。

そこに書いてあることを
ただただ静かに受け入れる。

もうそれは運命だから。
そこに書いてあることは、
「体験せよ」という啓示。
必要な学びがそこにあるだけだから。


でもこのサイコロは、
普通のサイコロとは
ちょっと違う。

このサイコロは
人より大きい。
両手を広げて
やっと持てるくらいな。

1人に1つ与えられていて、
この大きなサイコロに
しがみつきながら、
一緒に振られる事になっている。

サイコロが転がされる度に
一緒に転ぶものだから、
振り落とされないように
みんな必死に
しがみつかなければならない。

そして出た目の所に
書かれた啓示は必ずやり遂げる。
その啓示をクリアしたら、
またサイコロが振られていく。


とても過酷な
人生のサイコロゲーム。


そして
1つ1つクリアして
充分に経験値が貯まり
一定の条件を満たした時、
ある事が出来るようになる。

それは、
“サイコロを手離せる”
こと。

ただその事は
事前にも教えられてなければ、
そのレベルに達した時でさえ、
教えられる事はない。

知らなければ
永遠にサイコロに
しがみつく人生を
終わりにする事はできない。

必死にサイコロゲームを
していく中で、
ある時、気づく。

「このサイコロを
手離せばいいんだ。」

出来るかどうかも分からなければ、
それをやってみる勇気も必要だ。


でも、

いつまでも
サイコロの側面にしがみついて
執着して離さなかったら、
一緒に回転して
振り回されるだけだけど、

手離して
それを俯瞰して見ていれば、
振り回されている状況を
ただじっと見ているだけ。

もう充分にそのレベルに達していて
いつでも手離すことは出来たのに、
気付いて行動に移した時が
ゴールの時。

それは同時に
次のステージのスタートでもある。


立ち位置を変えていく。
視点を変える。


もう振り回されることはしない。

ちょっと覚悟も必要だけど、
受けて立とうじゃないの。

サイコロの示す啓示は
きっといいことしか、
起こらないから。

いいこと、とは、
表面だけの良し悪しじゃなくて。
いい経験と学び、ということ。

2023年も、
サイコロのゲームの中に。

俯瞰して見よ。
決して振り回されるな。

出た目で勝負、
その先に。

経験と学びを経て、
成長した私に会える日を
楽しみに。






前回8月末、

モコと揃ってコロナ陽性になってから

ようやく3ヶ月が経つ頃‥。


※前回の療養期間の記録はこちら

https://ameblo.jp/kantarou26/entry-12763112449.html


この時書いたこれ↓


⭐︎

コロナになるなら、
今このタイミングなら
仕事的にも影響は少ない、
と思っていた矢先のコロナ。

それとは別にここ1ヶ月くらい
望んでいたことが2つあった。

1つ目は
毎日5時30分に鳴る目指し時計を
セットしない日々を送ってみたいこと。

2つ目は
水曜日の午後はテレワークをしたいこと。

この2つの望みが
今回のコロナ騒動で
1ミリの狂いもなく叶ってしまった。
⭐︎

今回の待機期間は4日間。
利用している事業所で
陽性者が出たとの事で、
モコが濃厚接触者に。

学校も事業所も
モコは全部お休みになったので、
私も必然的に、
また仕事を休む事になった。
(有給が厳しい‥泣)

これまた大事な仕事を
全て納めた後のこと。
やり切った感があった
次の日直後、
濃厚接触者の連絡があった。

本当によく出来ているものだ。
締切前に仕上げておいて
本当に良かった。

私はまたもや、きっと、
強制休暇が欲しかったんだね。

そういうことにしておくと、
気持ちが緩む。

完全降参を受け入れると
もう委ねるしかない現状が
楽しくなる。

そうは言っても、
この地獄の4日間には変わりない。笑
今回はどう乗り切る⁈
と戦々恐々していたけど。

まあ、心配していた事は
起きるけど、それはそれで
仕方ない。

それでも比較的平和に
お陰でモコとゴロゴロ過ごす。

休暇に入った時、先生からは
「知恵で乗り切ってください!」
と激励の言葉をもらい、

あ、そっか。
見た目も大きさも小学生であっても
力、体力は高校男子。

まともに体力で勝負しようものなら、
やられてしまうのか。
母さんは「知恵」で乗り切る術を
身につけることが得策か。

目から鱗!のナイスなアドバイス。

でも私の中に「知恵」はなくて、
ケラケラ楽しそうに笑うモコに
潰されながら、
今日も楽しく生きている。

それでいいかな!








成澤俊輔さんの講演会に
行って来ました!

成澤俊輔さんは
“世界一明るい視覚障がい者”です。
様々な企業の経営者の伴走者として、
障害者就労やコンサルタント業を主に
日本各地、世界各国を飛び回ってます!

本当にパワフル!!

成澤さんの講演会は今回で3回目。
1回目はお友達が企画した講演会で
お会いしたのが、初めまして。

2回目は今回主催の
NPO法人ぽかぽかさんが
まだサークルだった頃に
一緒に講演会を企画させて頂いた。

そして今回は、
ぽかぽかさんが主催してくださった。

毎回聴く度に、
また今回も楽しかった!
パワーを沢山もらった!

この3回を通して、
明らかに社会は変わっている。

世の中がどんどん変わっていって、
障がいがあっても働きやすい社会に
確実になっている現実を、
たくさん聴く事ができた。


今回も刺さった言葉は
沢山あるけど、
特に心に刺さったのは、

人は、
強みで必要とされ
弱さで愛される

成澤さん自身も、
たくさんの方に出会って、

その中で
経営者でも健常者でも障がい者でも
人生を楽しく生きている人は
弱さや恐れ、苦手を
表現できている人だと
感じているとのお話でした。


例えばその人の強みは、
今、社会で必要とされるけども、
その強みがなくなった時、

「私」だけになった時、
社会から必要とされなくなったら、
それは寂しい。

その強みがなくなった「私」でも
丸ごと愛されていたら、
そこは安心して居られる場所。

すごく刺さった。

これってきっと、
肩書きにも似てる。
肩書きがなくなった時、
「私」に何が残るのか。

あ、そうか。
その人の「人間性」
だけが残るんだ。

きっと沢山の経験が
その人を深くさせる。

弱さとか悲しみとか
恐れとか苦手とか
全部曝け出して、

それでもいいと
自分で自分を許した時、
きっと周りからも
その弱さ含めて、
愛されるんじゃないかと、

という事か。


その人の苦手は
誰かの得意なこと。

「夢中」になれる事は、好きなこと。
「集中」出来る事は、得意なこと。

私は仕事をしている時、
時間を忘れるほど集中できるけど、
それは「得意なこと」だから。か。

小さい頃はみんな
何かに夢中になっていても、
大人になって
「夢中」になる事って、
果たしてあるだろうか?

もしかして、
「夢中」になるという事を
遠い昔に置いてきてないだろうか?

考えさせられた「問い」は
これから時間をかけて
答えを見つけていこう。


様々な特性を
得意として働ける場所も会社も、
今はたくさんある。

色んなことを掛け合わせて
可能性は無限にあること。
それがどれも1つ1つ
ワクワクすることばかりで、
本当に面白い!!

仕事っていっぱいあるんだな
誰もが必要とされて
働く場所って
いっぱいいっぱいあるんだなって、
それを感じて帰ってきた。

今日のお話は、
是非たくさんの人に
聴いてほしい。

成澤さん、秘書の涌井さん、
ワクワクするお話を
ありがとうございました!

NPO法人ぽかぽかさん、
素敵な講演会を企画してくださり、
ありがとうございました!




成澤俊輔さんの講演会のお知らせです!
【埼玉県鴻巣市】

以前成澤さんの講演会を一緒に
企画させていただいた井上さんが、
この度NPO法人ぽかぽかさん主催で
講演会を企画してくださいました✨

成澤さんのパワフルで
爽快なトーク炸裂!!
講演を聴いたら
とっても元気が出ます!!

以下NPO法人ぽかぽかさん
サイトより引用

★成澤 俊輔さん講演会
「誰もが働ける社会を目指して〜障がいを越えて、存在価値を知る〜」
 この度、NPO法人ぽかぽか主催もと、成澤 俊輔さんの講演会を開催させていただく形となりご案内させていただきます。
 成澤俊輔さんは3歳の時に網膜色素変性症という難病であると診断され、徐々に視力を失い現在は光のみ感じることができる状態です。
 自身の障がい以外にも姉の小児がんによる死別や、海外渡航経験•普通学校での教育の壁、7年間にわたる大学での苦悩など様々な社会課題に遭遇しています。
 一方で、大学在籍時から経営コンサルティング会社での勤務や独立を経験し、障がい者雇用で、経済産業省など様々な官公庁などからも表彰されるIT優良企業「アイエスエフネットグループ」へ参画し、現在は、障がい者やうつやひきこもり支援を行うNPO法人FDA理事長として活躍されております。
 障がいを持つお子様、親御様の将来への不安や心配事をご自身の経験を踏まえ明るく、パワーのあるお言葉でご指導していただき、『誰もが働ける社会を目指して』をコンセプトにした講演会になります。

【開催日】11月12日(土)
【場所】エルミこうのすアネックス 4F 
こうのすシネマ 多目的ホール
【時間】10:00-11:30 受付開始9:30〜
【料金】中学生以上1,500円 小学生以下無料 

〜お子様縁日開催〜
年少から小学生までが遊べるお子様縁日ブースをご用意!
子連れ参加でも講演中は楽しく待っていられます。
障がいのあるお子様も安心してお預かりできる有料託児もございます。
詳細は下記よりご確認お願い致します。




専用サイト


※前半から続く

でも不思議とこの件に関しては、
何故か冷静な私がいた。
こういう時は
「なるようにしかならない」
事を数々の経験から知っている。

最悪の場合はもう毎日、
午後はテレワーク。という裏技が
多分使える。という最終手段を
最後の保険に。

まず閉所期間に
代わりに預かってもらえる
放課後デイを探す。
と言っても急に今から
何処かに新規契約して
慣らしから始めるのは得策ではない。

モコは平日以外に
利用しているデイが1ヶ所ある。
学校のエリアは管轄外だけど
最初で最後の綱は、ここしかない。

色々相談してみて
なんとか策を見出してみる。
学校までのお迎えは時間の都合で
どうしても無理だけど、
スクールバスで自宅近くまで来れば
そこからの送迎は
どうやら行けそうとの事。

一抹の望みが繋がった。

但し水曜日だけは下校時間の関係で
預かる事が出来ないとの事で、
水曜日の午後だけは私がテレワークを
することで対応できそうだ。

難なくクリア。

いや、各所本当に色々と
イレギュラーをやりくりしてくれての
ギリギリの所での対応である事は
知っている。

本当に頭が下がる思いだ。
本当に良かった。

ただモコにとっては
もう10年間毎日通っていた
ルーティーンが急に変更になり、
スクールバスで帰る事も
土曜日の事業所さんが迎えに来て
そこで過ごすことも、
最初は戸惑うことが予想できる。

そこも何とか乗り切ってくれたら
学校が始まったという安心感が
一つの望みである。

当たり前の日常が
いかに脆く、いかに儚く、
いかに綱渡りであるかが、
常に頭の片隅にはあったけど
こうも簡単に
崩れていくものだと実感。

そしてまた、
立て直していくのも
立て直す手を差し伸べてくれるのも
やっぱり「人」であるし、
もう全てに感謝しかない。



コロナになるなら、
今このタイミングなら
仕事的にも影響は少ない、
と思っていた矢先のコロナ。

それとは別にここ1ヶ月くらい
望んでいたことが2つあった。

1つ目は
毎日5時30分に鳴る目指し時計を
セットしない日々を送ってみたいこと。

2つ目は
水曜日の午後はテレワークをしたいこと。

この2つの望みが
今回のコロナ騒動で
1ミリの狂いもなく叶ってしまった。

コロナ療養中、
モコは本当によく寝てた。

この10日間は、19時頃から8時頃まで!
いつもは3日完徹も
当たり前の日常だったから、
朝、時間を気にしないで
泥のように眠る日々を叶えたかった。

更に
毎週水曜日の午後のテレワークは、
1週間のうち何処かで半日できるなら、
水曜日の午後がピンポイントだった。

そして今回、
事業所の都合がつかなったのが
水曜日の午後、ピッタリと一致した。

不幸中の幸いと言うべきか、
鳥肌立つくらいに。


手荒い手段ではあったけど、
“望みは全て叶えてあげたぞな”
と。

きっと見えない大きな力の中では
これもまた全てが完璧なんだろう。