前回の記事を書いたあとに、
また続きを書いてみた。




もし今日が
本当に地球最後の日だったとしたら。
あなたは、誰と何をしたいだろうか?


「今日が地球最後の日です」
それを知ったのは、
「その日の朝」だと仮定して、
シミュレーションをしてみる。
 

私はもし、
「あなたの余命はあと1ヶ月です」
と言われたとしても、
多分普通に毎日会社に行って、
死ぬ直前まで普段と変わらない生活を
するのではないかと思っているので、
「今日が地球最後の日」だと
当日の朝宣告されようとも、
多分普段通り、出勤してると思う。

ただきっとその日は
朝から様子が違う。

それは、
私1人が私1人の寿命を
宣告されたわけではなく、
地球上に生息している人
もれなく全員、
今日死ぬと決まっていて、
尚且つ一斉にそれを
その日の朝、宣告されたからだ。

恐らく大混乱だろう。
その様子がテレビ画面を
通じても伝わってくる。

「あれ?今日は会社
行かなくていいですよね??」
「休み取るって会社に
連絡した方がいいですか?」

なんて間抜けなラインや電話が
きっと6人くらいからかかってくる
と推測する。

「行かなくていいよ!
連絡もしなくていいでしょ!
だって今日が最後なんだから!」

なんて緩いことを言ってみて、
私は会社に向かってみる。

きっと社内には
それでもいつも通り、
3分の1くらいの社員は
出社している気がする。

「あれ?
結構みんな来てるんだね!?」

「伝票切らないとだから」
「今日の発注が」、、

「いやいや◯◯さん!
そんなのもうやる必要ないって!
今日で地球最後なんだから笑」

「そうだった!笑」

なんて爆笑しながら、
いつものように
他愛のない会話を楽しんで、
お昼前くらいになったら、

「もう帰った方がいいんじゃない??
今日で最後だから」

てみんな言い出して、
それもそうだ、と、
最後の別れの挨拶を交わすだろう。

「それじゃあ元気で!
また来世で会おうね!」
(私はもう来世ないけどね)

て、笑顔で手を振るだろう。

家に帰ったら、
家の中はきっといつも通り。

「今日地球最後だって!」
って言ったら、

「で?」と返してきそうな長男は、
この状況すべてを
運命として受け入れているようで、
呑気にスマホ片手に寝転んでいる。

「大変だーーー!
そしたらケーキ
1ホール食べなきゃ!!」
って騒ぐ長女に付き合って、
最後の晩餐になるケーキを探しに
ケーキ屋さんを長女と
はしごするだろう。

太るとかカロリーとか
気にしなくていいんだから、
もう死ぬほど食べていい!

ケーキのホールを5個くらい買って
家に帰ると、長男が
「なんでそんなに買ってきた?」
と、笑ってる。

モコはこの状況は
当然知る由もなくて、
新聞紙をひたすら破ってご機嫌だ。

そうかと思えば
音の出るオモチャの電池が切れて
音が出ないと怒ったり、
最近手にした超お気に入りの
携帯用扇風機の電源を入れろと
私の手を持って催促してる。

いつも通り母に
寄り掛かりながら、
時々怒られたり、寝転んだり。

それを眺めながら、
買ってきたケーキを
手当たり次第食べまくる。

「めっちゃ美味しい!!!
最高や!!!!」

美味しいものを食べて、
美味しい!と言う。
その感動を一緒に味わえる。


いつもの日常がそこにある。

「今日が地球最後の日」
だとしてもきっと関係なく。


大切な毎日が、
そこに流れている。


そんな風景を見ながら私は思う。

「今日も平常運転、
いつも通り、平和だ。」




「幸せ」は、
いつもそこにある。

「今日が地球最後の日」だとしたら、
あなたは誰と一緒にいて、
何をしたいだろう?

こうして
シミュレーションしてみると、
きっと大切なことに気づくだろう。