一斉休校を取り戻す為に
夏休みが短縮になる学校が多い中、
モコの通う支援学校は、
校舎のメンテナンスの都合で
いつも通り、夏休みに入りました。
(長女の高校は夏休み短縮、
長男の大学はオンライン授業)

先週、夏休みに入る直前、
担任の先生との面談がありました。

4月からモコは中学部2年生。
担任の先生は前年度から
同じ先生なので一切の不安なし。

更に今年度からは
新しい先生も入ってこられて、
若い女の先生に囲まれて
ご機嫌らしいです。笑

気を引かせようと、
わざと「イタズラをするよー」
と挑発して喜んでいるそう。

普段のモコが思い浮かんで、
なんとも微笑ましい。


そしてモコの癒しパワーは
学校でも発揮されてる模様。

他学部の先生までも
何の用もなくても
モコの教室に来て、
モコに構ってもらい、
癒されて帰って行くそうです。

それは直接その先生からも
伺ったことがあって、
仕事で嫌なことがあったり
ストレスを抱えてしまった時、
モコに会いに教室を
覗きに行くそうです。

モコに遊んでもらうと、
嫌なことも全部忘れて
癒されるそうで、
そのお話を聞いた時も
嬉しく思いました。

この笑顔と、
そのまんまの存在そのものに、
癒す力が宿っているのだろう。


学校での色んな様子を
話してくださった先生、

「そんな風に何処に行っても
誰からも可愛がられています。」

とおっしゃってくださり、
そしてこう付け加えてくださった。

「こんな風に育ったのは、
お母さんの育て方でしょうね。」


多分、絶対違うけど。笑

でもそうおっしゃって
くださった言葉は、
今までの道のりに
合格を貰えたようで、
やっぱり嬉しかった。

この言葉を
有り難く受け取った後に
客観的に見てみると、
私の功績でも何でもなく、
モコの癒しのパワーも
可愛がられる能力も、
100%、天性のものだろう。



あれ、
そっか。

側に居すぎて
気付かなかったけど、

その恩恵を
一番近くで

生まれた時からずっと
あずかり続けているのは、
100%、私だった。





今日は
あの痛ましい
やまゆり園事件があった日。

このブログ記事を書き終わる頃、
ちょうど4年が経ったことを
友達の投稿から知ったので、
意識して書いた文章ではないけれど、
リンクした。

障害がある人は
支援がなければ
生きていけなくて、
何かを与えているなんて考えは
もしかしたら、
なかなか及ばないかもしれない。

でもそんなことなくて。


なんの生産性がなくても、
話すことができなくても
笑うこともできなくても。

「生きている」
その存在そのものが
誰かに生きる力を
与えているんだと思う。

誰しも。



「誰もが、誰かの特別な人。」

事件で犠牲になった人も、
家族や関わった方にとって、
かけがえのない特別な人。

みんな誰かの特別な人。
誰かが愛情もって
生んでくれた命。
育ててくれた命。


加害者もまた、
誰かの特別な人だったはず。