「○○をしたからバチがあたったんだ」
「○○をしなかったからバチがあたったんだ」
と時々、そう言う人がいるけど、
私はそうは思わない。

神様はそんな小さな人間じゃない。
(そもそも人間ではないけど)


困難な事が与えられた人を見て、
「普段の行いが悪いから」と
他人に理由付けしてくる人は、
無意識に人を裁いて非難している
自分の心に気付こう。


他人に対して思う以外に
「何かの罰かもしれない」と
自分自身で自分のことを
思う事もあるだろう。

因果応報で捉えると、
思い当たる事も
出てくるかもしれない。
その時は、素直に改めよう。


困難な事が起きる
それは試練であるけど、
罰ではない。

神様は、
その人に必要なことを
必要なタイミングで与えているだけ。
学びになることを与えているだけ。


時々、
障害を持って生まれた事や
障害を持った子が生まれた事までも、
「バチが当たった」なんて言う
心ない人がいる。

私の経験の中では
割とご年配の方に多かったと
記憶している。
そういう時代に
みんなが普通に持っていた
価値観だったのかもしれない。

そう思えたら
不要に傷つくこともなく、
そんな時代だったんだな、で
流すことができるだろう。


その古い価値観は、
今はもう、
採用する必要はない。


罰として送り込まれる命が
罰として生まれてくる命が
あるわけがない。
(自ら負ってくるのとは違う)

そんな失礼な神様なんて
いるわけなくて、
全ての命は、等しく平等に。

神様は、全ての
光り輝く存在である魂に
いつもどんな時も平等に、
無条件の愛を注いでいるのだから。