後半はほとんど走れ(ら)なかったので1月は318㎞でした。
せめて最低でも400は踏んでおきたかったので情けないやら悔しいやら。
勝田も走れませんでしたし、今月は残念月間となってしまいました。
なにゆえこんな結果となってしまったのか。
その理由は「サキコ」でした。
さきこと言えば、「死ぬ死ぬ詐欺」で有名なさきこ嬢ですが、実はもう一人、刈り上げのそばにはサキコがおりました。
ばーちゃんです。
昭和一桁生まれで戦前・中・後の激動の時代を生き抜いた逞しい女性、私は彼女の初孫にあたります。
物心ついた時から働くのは当たり前、働いて働いて働き続けた体力妖怪のばーちゃんも年には勝てず、80を後半になった頃から施設で暮らしていました。
すっかり記憶もぶっ飛んでしまったばーちゃん。
それでも気がつけば90を越え、大台も見えてきたねーなどと言っていた矢先、施設から連絡がありました。
あぶないかも知れない・・・
それが今月の中旬でしょうか。
私自身も体調を崩してはいましたが、最悪に備えできる限り自宅に帰るようにしました。
会社の人々は良い人です。事情を話せば有給がなくとも考慮してくれたかも知れません。ですが必ずしも良い人が味方とは限らないのが世の常です。
ばーちゃんは私にとって、良いばーちゃんとは言えないかも知れませんでしたが、私の味方でした。
私は決して良い孫ではなく、良き隣人ですらなかったのにばーちゃんは味方でした。
何故、もっと心を開かなかったのか。
相撲を見ようと誘われて、おやつは食べてもどうして一緒に見てあげなかったのか。
もっときちんと話をしておけば良かったと思ってももう遅いのです。
そして今月の下旬、勝田の前々日に、ばーちゃんは復活しました。
こっちのサキコも「死ぬ死ぬ詐欺」が得意なんだよと言うお話。
ちゃんちゃん。
後ね、ばーちゃん本当は「サキコ」って名前じゃ無かったんだよ!
戦後の混乱に乗じて自分で勝手に名前変えて名乗ってると言う事実が・・・
そう言えばさきこ嬢も本当は・・・
ちゃんちゃん。