あいりーんことaikoです❤️
初めましてのかた、ようこそ
このページに辿り着いて下さり
ありがとうございます😊
“Hygge"とは、
デンマークの言葉で
「居心地の良さで幸せを感じること」
なんだそうです。
“ヒュッゲ"はスローで穏やかで
安らぎを感じること。
例えば、お気に入りのソファーに座ってゆっくりコーヒーを飲むこと、ひだまりで猫が気持ちよさそうに日向ぼっこしている様子や、そんな猫を見て癒される私…。
心がホッと安らぐそんな存在の
ブログになればと思います
いつもみてくださる方は今日も見ていただきありがとうございます。
前回から随分空いてしまってごめんなさい💦
初めてみて下さる方は過去の記事も今後書いていく内容ともリンクしますのでぜひご覧くださいね
今回も前回の「私が母に抱いていた感情が根本原因だった」の続きです。
今回のお話とつながるので、是非前回までの投稿も見てくださいね😌

向き合ってわかった思い込み
全ての感情をありのままに
私が向き合うために取り組んだ「鏡のワーク」は良いも悪いも全て書き出して、自分の思っていることを可視化していきます。
自分の思っていることだから、分かっていそうなもんなんですが、これが実はそうでもないんです。
自分と向き合うとか、深掘りするとか言いますが、まず何をどう向き合うのか、深掘りするのかなんて、本当に全くわからないんですよ。私もそうでした。
だからこそ、まずはモヤモヤしてること、全部書き出してみるんです。
時には悲しくて、苦しくて、腹立たしくて色んな感情や涙が溢れてきます。
なので結構エネルギーがいるんです💦
そして、自覚しているつもりの感情でも、
言葉にしてみることで、その奥の蓋されていた感情にも気がつけるのです。
やっと気付いた感情
一通り、感情を感じ切ったあとに冷静になって、当時の母の気持ちを想像してみました。
すると…
私が思ってたことのほとんどは
勝手な思い込み、思い違いだったのかもしれない…ということ。
「母は自分を抑えていて可哀想な人」
ではなくて、
母にとっては全てではないにしても
それが喜びだったこともあっただろうし、
当時はそうせざるを得なかった様々な事情もあっただろう…
「お友達が少なくて寂しそう」
そもそも同世代じゃない人と、仲良くなるのって今ならまだ普通かもしれんけど、
ジェネレーションギャップもあるよね?
それに、私の同年代のお母さんとは確かに仲良い人は少なかったかもしれんけど、
お姉ちゃんやお兄ちゃんの保護者には仲良い人いたよな🧐
ほんで、お母さんにはお母さんのコミュニティがあって、そこの人たちとは仲良く楽しそうにしてたよな😳
え、ちょっと考えたらわかることばっかやん😳
え、ちょっ…ほんまごめんお母さん😭
それを私の勝手な解釈や思い込みが勝手に母を「可哀想な人」と見て、
「ああはなりたくない」と見下す感情になっていた。
母は母なりに、精一杯の愛を持って接してくれてたのに。
当時の私では未熟過ぎてそこまで想いが及ばなかっただけ、
そして、母だって今の私がそうであるようにどこにでもいる普通のおばさん🥲
私だっていまだに未熟なとこがいっぱいあるように母だって、時には間違いをしてまうことも当然あって。
子供って勝手に親のことを「立派な大人」と定義してたり、そうであってほしいなんで思ってしまうけど、
いくつになっても完璧な人間なんていないんです。
そう思えたら感謝と、ごめんねの気持ちが
溢れてきました🥺
亡き母への手紙
色んな感情を書き出して、気付いたあと、溢れる想いで亡き母へ手紙を書きました。
涙が止まらず、ごめんねとありがとうが溢れて、自分の中のドロドロしたものがやっとすーっと抜け落ちたような感覚でした。
頭で考えて思う感謝やごめんとは全く違う感覚です。
感動する映画をみた時の感覚がわかりやすいかもしれませんね。
それの自分版。
映画で感動することって所詮他人ごと。
自分ごとなので、その感覚の何倍も何十倍も溢れる思いが出てきました。
亡き母へ綴った手紙の一部です。
こんなこと出すのでどうかとも思ったけど、体験は違えど何かしら通じるもの、感じるものがあればと思って。
誰かの向き合うキッカケやヒントになりますように。
お母さんへ
私はずっとお母さんをバカにしてた。見下してた。
いつも自分を抑えてるって私が勝手に思い込んでることで、バカにしたような気持ちに変わって大人になってもなお反抗してた。
もっと違う表現をできたらよかった。本当にごめん。
本当は大好きで大切なはずなのに、勝手に理想を押し付けて、理想通りじゃないことに不満を持って怒りの感情でぶつけてしまった。優しくなかったね。本当にごめん。今ならその時のお母さんの気持ちが痛いほどよくわかるよ。今の私と一緒。
いつも、私もどこかパパにも遠慮もしてるし、いい親でいようとして自分で自分を窮屈にしてる。でも子供はそんなこと望んでないよね。もっとワクワク楽しそうにしてるお母さんがいいんよね。自由に私らしく幸せにしてたらいいんよね。
そのことに気付かせてくれてありがとう。
体が動かなくなっても、私のことがわからない時があっても、最後まで私たちの母として気付きや愛を与えてくれてありがとう。
私の母に対する見方が変わるということは
私が私をどう見るかも変わるということ。
私がかわるということは、映し出される外側が変わるということ。
その後、私の周りに色んな嬉しい変化が起こり始めました。
それは今もなお続いています。
起こる出来事もだけど大嫌いだった自分が現れなくなったそんな感覚です。
どんな変化だったのかは、またエピソードを交えて少しずつお伝えしていきたいと思います😊
最後まで読んで頂きありがとうございました♪
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