エクアドルマラソン250キロ完走記 その22 | カザマカズマが赤道直下250キロを走る

カザマカズマが赤道直下250キロを走る

2016年7月にエクアドルマラソン250キロレースにチーム戦で出場し、世界一を目指します。



第22話 旅の終わりに



難のある道は、
有難い道であるらしい、


大抵の人が、そうであるかも
知れないが、


何か困難なことに直面したとき、
僕は迷わず難の無い道、
無難な道を選んできた。


特に努力することもなく、
積み重ねることもなく、
今を楽することばかり考えていた。



それで特に困ることもなかったし、
夢も目標も叶わなかったが、


人生なんてそんなものだろうと、
あっさりとしたものだった。


難の無い道を選んだつもりだったが、
気がつけば、


難が無いのではなく、


何も無い道を選んでいた。


大学4回生になって就職活動をした。
なんとなくやりたいことはあったが、


情熱も努力も足りない僕は、
就職先が決まらず、
大学を卒業することになる。


半年後には、営業職に就職するが、
1年後には退職をする。



25歳の時に、友達4人と
4LDKのマンションをシェアして、
住むことになった。


各々目標を持って生活をしていた。
僕は法律資格取得のため勉強に励んだ。


法律家になりたかったわけではない。
大学が法学部ということと、
就職をしない、体の良い理由が
欲しかっただけだ。


アルバイトで生計を立てて、
後は時間を惜しんで勉強をする、
そんな自分を想像していたが、


現実は、相変わらずだった。


1年目、2年目と試験に落ち、
3年目には受験を辞めていた。


わずかな日銭を稼ぎ、
楽して、お金を稼ぎたいために、
ギャンブルに手を出し、


収入以上の金額を
ギャンブルに捨てた。


消費者金融に手を出したのは、
その頃だ。




29歳の時、だったと思う。
少しずつ、目標に近づき輝いていく友達や、結婚をし家庭を持つ友達と、


今の自分を重ねたときに、
あまりにもかけ離れていることを、
恥ずかしく、惨めに思った。


そして、
そのストレスからか病気にかかる。


痙性斜頸(けいせいしゃけい)
という病気だ。


馴染みが無い方も多いと思うが、
症状としては、首が自分の意志と関係なく、まっすぐ向けることができず、
無理やり、あらぬ方向に
傾いてしまう症状だ。



僕は自宅に逃げこみ、
通院生活を送る。


少しずつ回復してきたが、
何もできない、何もしようとしない僕は、


働こうともせず、
部屋に引きこもり、
ほとんど出ることはなくなった。


部屋の雨戸は閉めたままだった。
時折、言いようのない不安が自分を襲い、
そのたびに布団に包まって
大声で叫んだ。



自分にも、人生にも失望していた。
楽しいことなんて、
何も無いと思っていた。


それが10年前の僕だ。


あいつは、どう思うのだろう。


10年後のお前は、


エクアドルという異国で、
250キロという途方もない距離を走る
マラソンに挑戦するんやぞ!


と言った時、


あいつは、どう思うのだろう。







泣きながら笑ったり、
笑いながら泣いたり、


自分が笑っているのか、
泣いているのかわからないくらい


くしゃくしゃになった感情の中で、


たった一言、



ありがとう


と言える自分を、


あいつは、どう思うのだろう。







感情を感動を、感謝を、
友にしがみつくことで伝える自分を


あいつは、どう思うのだろう。






その意味を知るのは、10年後の話だ。


目標を持つことの大切さ、
積み重ねることの大切さ、
友達のいることの大切さ、


それらを合わせて、
拳を突き上げる幸せは、





全部、10年後、襲ってくる。







チーム戦績


チームHENTAI



失格



次が最終話です。