「教室は勉強をする場所ではない」

「教室は情報伝達の場所に過ぎない」

「どう深めるかは、学ぶ人自身の問題」

『kotoba 独学の愉しみ 2022 winter issue no.46』(集英社)内のウスビ・サコさん(京都精華大学)の記事より



縁あってありがたいことに20年近く、たくさんの作業療法士等の養成校で非常勤講師を務める機会が続いている。

サコさんが、上記のとおり文章化されていることを念頭に置きながら、できるだけ一方向にならないように今まで講義をしてきた。

しかしながらどうしても情報伝達だけになってしまうことがあった。

ここ数年取り組んでいる社内向けオンライン研修でも、情報伝達のみの一方向な講義になってしまった。

オンライン講義の中でも、情報伝達の効率化を求め過ぎてはいないだろうか。

そうなると、対話型の両方向な講義にならないことが多くなる。

オンライン研修については、方法自体にまだまだ改善点や工夫できるところがあるはずだ。

しかし、それよりもっと悩ましいのが、働き方改革による「NO残業」、「業務時間内」という呪縛⁈である。

仕事の遂行に不可欠なスキルや知識を身に付けるための研修は、どこまで業務としてとらえるのか?全て業務時間内にすべきなのか?

法的な側面と個々のとらえ方や価値観でも大きく違うためどうしても複雑になってくる。

本当にこれでいいのかと、出口の見えない試行錯誤とジレンマが続いている。



先日、白鳳短大作業療法学科にて就労支援の講義を担当した。

2018年から地域リハ講義を担当している白鳳短大の学生さんは、何より素直で、学ぼう、知識を深めようというそれらを自ら求める基本姿勢があるように毎回毎回そう感じる。

その理由はきっといつも自然体な教員の方々の存在、あり方があるからかな。

あとは講師が適切な準備と情報提供さえすれば、学生さんが自分たちで考えて、与えられた情報を掘り下げるという行為が自然に行なえてしまう。

これはスゴい。そして自分で学ぶためには大切。はずせない。

学生さんに引っ張られて、より良い工夫や準備、伝え方にも自然と力がこもってくる。


講師の力を学生さんに引き出してもらっている感覚。



学生さん個々が、

これってどういうこと?

これでいいのか?

などなどの気になったことをそのままにせず。

いかにして自分のなかに問いを立ちあげ、それをもとに考え動くことができるか。



教える側はもちろんのこと、学ぶ側の姿勢で、知識の深まりは大きく変わってしまう。

教える側はアンラーンunlearnし、学び直して、常に変わり続ける姿勢が試されている。

得た情報から学びを深め活かすコーチアビリティは、学ぶ側が試されている。

学ぶ側の基本姿勢により、教える側の力も引き出される。

講師という立ち位置で、そんな場づくりのお手伝いができるのはとてもたのしい。


教えることは学ぶこと。

そのための工夫や準備、試行錯誤もたのしんでしまわないとね。


そんなことを思い出させてもらった今回の講義の仕事だった。