大阪のFMココロ。

8月のピックアップアーティストの

Feature of the Month

は、玉置浩二。

そのうた声から思い出すのは、

「ほんまええ声やなぁ」

という母の声。

うた声から何十年も前の当時がよみがえる。


今月9月21日が母の命日。

今年で2回目。

このうた声から母が好んで聴いた曲や歌手の数々を思い出した。


隣人愛を貫いた母の人生。

人の喜びを自分の喜びとするような自利利他を体現し続けた人だった。

それでいて、その利他的行為が偽善的でも利己的でもなく、相手の人にも押しつけがましくなかった。

ごく自然と起動するその行為が、相手の方との深いつながりを生んでいたようだった。

母の利他的行為を受け取った相手の方々には、負債感もさほど与えていなかったのでないか。



45歳を超えて看護師となった母は、68歳から2年半の間、すい臓がんにより仕事と過酷な抗がん剤治療を両立させ、70歳で亡くなる最期までがんと共存した。

そんななか、母の姉妹と新幹線での東京、横浜旅行の車中で聞いた急病人の車内アナウンス。

母は姉妹が止める間もなく席を立って、急病人の所に駆け出して必要な処置を施したとのこと。

その時のことを母に聴くと、
「こんな時は勝手にカラダが動けるんやわ。普段はもうヨレヨレやけどな」

そして、
「こんなんもらったんやで」
と、笑顔で見せてくれたJRからの感謝状とペン。


看取りとなった自宅でも、最期まで生ききったその姿は、何年経とうが目に焼きついて離れることはない。


「人間は死ぬ瞬間まで成長し続けることができる」
故アルフォンス・デーケン上智大名誉教授(死生学)

母の生き終え方のまんまの言葉。


今年も母の命日が近づいている。

母から教えてもらったこと。
『生きているその時を、その日、その時間を大切によく生きること。そして自分らしく、自分自身が生ききること』

毎年毎年、自分が今どんなふうに生きているのか?自分のあり方を振り返る機会にもなっている。


そして、いつもお墓に参っていただいたり、心で母のことを喪ってくださっているみなさんに感謝。




9月初め。

妻の故郷、沖縄にて。



沖縄の父が今夏に旅立った。


いつもオープンで心が大きな大きな父だった。


20数年前、結婚の契りの報告とご挨拶に実家へ行った時も、やさしく包んでくれた。


そのおかげでいつもの自分でいられたこと。


そのお礼を伝えるのがついにできなかった。


10数年、沖縄で暮らしていたのに。


よく実家の庭でした家族大勢のBBQで、泡盛やビールを酌み交わしたのに。


母ちゃんが作った中身汁も一緒に食べたのに。


ウージートォーシー(さとうきびの収穫)の手伝いもしたのに。


カフェメニューの名前も考えてくれたのに。


父のことを喪いながら、きっとわかってくれてるだろうと、勝手にそう思うようにしている。


父ちゃん。ありがとう。