1人ラグビートレを継続中。




住んでいるマンションの今年度の自治会活動が新しい役員さんで始まって約半年。



ようやくそれぞれのカラーが出てきて、役員会で自ら話すこともなかった方々の発言や表情も出てきてええ感じ。


自分自身について、わからないことがある。



なぜ社会的なつながりの一つの自治会やコミュニティづくりに参画しようと思うのか?


これだ。


人に聞かれると、自分でもよくわかっていないから、いつも「自分の勉強のために」「仕事でもやってることなんで」とか適当に答えてしまう。


そんなわからないことを利他との関係性も含めて少し自問自答してみる。



なぜ社会的なつながりの一つの自治会やコミュニティづくりに参画しようと思うのか?



何がたのしいのか?

何に興味や関心があるのか?

だれのためにどんなことをしたいのか?


何が参画しようとしない人とは違うのか?

社会的なつながりと利他の関係性から、自分自身の自治会やコミュニティづくりへの参画動機は何なのか?
どういったところからやってくるのか?
何か読み解けそうにはないか?


自利利他、自分も深めて他も利する。

忘己利他、自分も忘れ無になって他を利する。

人の喜びを自分の喜びとする。そんな面があるためか?


だれかを喜ばせたいのか?


だれかに良い影響や気づきを与えたいのか?何かカタチにしたくなるのか?そんな欲求(説明伝達欲、構成欲、など?)なのか?


人は人をケアするという本来的な能力を備え持っているから?それが人より大きいのか?

ただの世話好き?





資本主義的な等価交換とは異なる目には見えない、カタチには残らない人とのつながりという果実のためなのか?



"めぐりめぐって"というようなジャック・アタリのいう自分への恩恵が前提にある西洋的な利他主義(支配や統御になりうる利己的な利他⁈、究極の個人主義⁈)や間接互恵システムとはまた違う。





自治会やコミュニティづくりで、未来は良くなるかどうなるかなんてわからないけど、子どもたちのためにも自分たちのためにもやった方が良さそうと思うところもある。


なので間接互恵システムのようなところも完全には排除できない。



いずれにしても、きっとわたしの場合は、良かれと思って見返りなどは期待せずに、自分本位でやりたいからやってるだけのことで、ついつい自然にやってる、やってしまうこと。なのかな。



それは、利己的な利他ではないその人のチカラを信じて、チカラを引き出すようなうつわ的な利他なのか?



利他とは人のうつわ、余白、他者を受けとめる許容力のようなことなのか?



人のチカラを引き出すというところに、自分の現在のリハや人材開発、広報の仕事と親和性を感じる。


ケアを通して、人のチカラを引き出しリカバリーや成長を後押しするところは、通ずるところではないか。


そこに自治会やコミュニティづくりは学びや気づきがあり、喜び、愉しさ、難しさがある。



自治会やコミュニティづくりの様々な地域活動には、誰もはっきりとした正解がわからない。


でもやった方が良さそうなことがたくさんある。


どうなるかわからない予測できなさや不確実性の高いところが、何かチャレンジしたくなるおもしろさを感じる。



だから参画してしまうのか。


とはいえ、人との急な深いつながりは、ちょっとめんどくさいけど。


ほど良い距離感のあるゆるやかつながりなら大丈夫、イイ感じかな。




自治会の活動に参画しようとしない人の理由は、ほんとに人それぞれだ。


各家々を廻ってあらためて感じたことだ。



介護や育児、共働きなどの家庭の事情や家庭内や職場内での個々の役割の変化も大きく関わってくるだろう。


画一的な昭和時代からすると、世の中や世間、価値観、働き方、家事、家族の持つ意味などが、とても複雑になっていることも確か。



自治会の活動は、もっと常に開かられていて、個々が参画できる時に、困った時に、いつでも待ってますよ、というようなうつわ的な場になれたらいいのになと、心からそうおもう。


少し余白を残したようなゆるやかな場になれたら。


めちゃくちゃ難しいことやろうけど。


自分を開いておくという文化人類学の作法も大いに参考になるはずだ。




でもそんなことが得意な人ばかりではない。


人と関わるのが苦手な人が、自治会やコミュニティづくりでやれることはないのか、というと全くそんなことはない。


その場に居てくれるだけでいい。


一緒に何か手伝ってくれるだけでいい。


半年、1年、もっとかかってもいいから、少し笑顔であいさつしてくださったらそれだけで、ありがたい。



自分が暮らしている地域をわざわざ悪くしたいと思ってる人はいないはず。

少しでも良くしようと思う人たちが、少しずつ自分ができる時に、たのしくできることをやっていけるような開かれた場がゆるやかつながりを育むには必要だ。



いいことをするのが一番楽しいという意味の台湾の言葉「為善最楽」の心持ちで、自分たちが楽しくてやりたいこと、マンション、地域の方々にとって善いことを細々とやっていこうと思う。

自問自答の解はまだわかりそうにはない。

やりながらわかることもわからなくなることあるはず。


また考え動きながら自問自答していけばいいか。


テストで100点取るための勉強(死に学)は苦手やけど、自分で学んで考えて動く(生き学)のは大好物だ。


だから自治会やコミュニティづくりに向かおうとするのかな。



みなさんでランジ運動に集中しているところ。