暮らしている大阪のマンション自治会の活動にて。

クリスマス🎄に、サンタさんの格好で、寒いなかクリスマスプレゼントを入れた白い袋を持ち、
「メリークリスマス!」と、
マンション自治会員各宅にプレゼントを配り歩くのが、とても清々しくて気持ちいい。
何か誇らしい。
そしてどこか懐かしさもある。


これこそまさに見返りを求めない贈与だ。

と、人類学者デヴィッド・グレーバーのアナキズムと贈与の視座を思い出した。

グレーバーは、平等な贈与関係では、見返りを求めない、計算を拒否する振る舞いがあるとしている。


クリスマスプレゼントの各宅への配り歩きは、自由、平等、相互扶助のアナキズム的な実践ではないか…とも思った。

この清々しさと気持ちよさ、懐かしさは、一体どこからやってくるのか?

それは、ひと昔前の農村部の生産者同志という関係性の中にあったであろう事象と似たようなものなのではないか。

現代の都市社会の地域コミュニティづくりに、自分たちも少ないながらも貢献していると感じられる、自己効力感からなのか…


アナキズムと贈与、利他との関係性から考えてみた。


地理学者のピョートル・クロポトキンは、1900年初頭にアナキズムという言葉を初めて用いた。

アナキズムは変革に向けて、自由、平等、相互扶助の理念を反映した実践を求められる。

アナキズムは、自由かつ平等に相互に結びつき、各人の能力と欲求の範囲の中でお互いに助け合う社会を作りだそうとする一つの理念や思想、態度である。


1925年に社会学、文化人類学者マルセル・モースの贈与論において、人は①与える②受け取る③送り返す、の三つの義務を課されるとしている。 

この三つの義務は、人間の意識的な自発性ではない。

意思の外部で機動している交換システムである。

社会的なつながりや連帯が、物の循環、すなわち贈与によって成り立っているシステムは、近代社会やマーケットによって失われている、とした。


グレーバーがいう平等な贈与関係の中の見返りを求めない、計算を拒否する振る舞い。

これらのベースになってくるのが、利他なのだろう。

人の喜びを自分の喜びとする利他。

利他が起動することで、各々がうつわのようになり、自発的に互いを助け合う相互扶助的な関係性の源泉になるのではないか。


「災害ユートピア」といわれるように、コロナ禍のロックダウン時や災害などの非日常時には、助け合いたいという人間の欲求がはじける。

非常時には、相互扶助をしたい人であふれかえる。

しかしながら平時になるとそれはすぐに元に戻る。


だからこそ、今の時代には利他が必要なのか。

コロナ禍での大切な人に思うように会えないという経験から痛感した。

何らかの病気で病院に入院してしまうと、いまだに家族と自由に会えない状況が続いている。

だれかにケアしてもらいたいけど、してくれる相手がいない。

だれかをケアしたいけど、する相手がいない。

"どちらがケアされているのか?"

と、ケアをする側、される側の境界があいまいになるという、ケアが持つ双方向性が築けない。



見返りを求めない贈与と自由に平等に互いにつながり合い助け合うアナキズム。

見返りを求めず、
己れを忘れて他を利する忘己利他。

己れを深めつつ他を利する自利利他。

利他的になろうとする作為によってこそ、利他は遠ざかっていく。


めぐりめぐって…という見返りを求める利己的な利他とは、やはり違う。

利他は思いがけない。


アナキズムと贈与、利他との関係性。

それぞれがつながりあっていて、そして深い。


なかなか考えがまとまらずにここまできて、今ふと思い出した。

コロナ禍のなか自治会で行なった防災訓練。

マンション公園の一角にかまどベンチを住民のみなさんと作った。

次はそれを使っての炊き出し訓練。

かまどベンチを作るまでも、作る時も、作ってからも、見返りを求めずに、みなさんをひっぱってくれる人がいて、顔が見える関係があり、何気なくごく自然に互いを助け合う人たちの存在があった。

このときも、クリスマスプレゼントの各宅への配り歩きの時と同じような清々しさや気持ちよさ、懐かしさがあったよなぁ。


オキナワでの10数年の暮らしのなかで、感じた"ゆいまーる"にも近いのかな。

すぐに思い出すのは、家族総出で行なったキビトーシー(さとうきびの収穫作業)などの農作物の収穫と出荷作業だ。

みんながそれぞれの受け皿になっていて、だれかが困っていたら、だれかがそこにいてくれ、そしてみんなで助けてくれる。

各々が各々のために在るうつわのように。

それが家族内だけでなく、地域のなかにもあった。


参加のハードルがきわめて低い空気感とゆるい関係性が、町会やPTAなどの地域活動だけでなく日頃の暮らしのなかにもあったのを思い出した。

開かれた場がたくさんあった。

特に地区運動会の参加者数の多さや幅広い年齢層からの参加があった。


わたしのような新参者(しかも越境参加)にもオープンで、何より盛り上がり方がすごかったなぁ。



自治会や町会の活動は、現代の日常では感じたり、知ったりできないような、地域で今まで生きてきた人たちが、綿々と大切にしてきたことに出会える場所なのかもしれない。

地域学でいわれるように、地域を知ることは、自分を知ることにもなり、自分を知ることは、地域を知ることにきっとつながる。

まだまだ知らないことだらけのわたしだから、今日もマンション自治会の活動に参画しようとするのかな。



マンション住民と小学校区まちづくり協議会の方々と、マンション公園内にかまどベンチづくりにて


マンション自治会と管理組合共催のかまどベンチを使った炊き出し訓練にて


参考文献)
『Lexicon 現代人類学』奥野克己、石倉敏明編、以文社、2018年
『はみだしの人類学』松村圭一郎著、NHK出版、2020年
『料理と利他』土井善晴、中島岳志著、ミシマ社、2020年
『利他とは何か』伊藤亜紗編、集英社新書、2021年
『思いがけず利他』中島岳志著、ミシマ社、2021年
『はじめての利他学』若松英輔著、NHK出版、2022年
『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディみかこ著、文藝春秋、2021年年
『地域学入門』山下祐介著、ちくま新書、2021年
『コミュニティを問いなおす』広井良典著、ちくま新書、2009年