コミュニティづくりや地域活動は、仕事のように理性的にするには無理がある。
言われてみればあたりまえのことだが、どこかでそう思っていた。
でも仕事のように地域活動を理性的にキッチリとやろうとされる方が多いのではないだろうか。
だからなのか、まだ何も参加してもないのに、すでに嫌になってしまっている人もいる。
苦手意識をもっている方々も。
やはり理性的かつ正しさだけではしんどい。
ただでさえめんどくさくい⁈と思ってるのに、いずれしんどくなって嫌になるのではないか。
やはり、どこかに何かしらのたのしさがないと。
以下は、
「ケアするまちのデザイン」山崎亮著、医学書院、2019年より
"ケアとデザインの源流は同じ"
"支援と意欲の喚起は両輪の関係"
"感性に働きかけるようなもの、たのしさ、おいしさ、かっこよさ、心地よさ、美しさ、かわいさ、誇らしさがないと地域包括ケアや住民活動も進みにくい"
"これは地域包括ケアの医療・介護・福祉専門職の連携も同じこと"
"たのしさがないとうまくいかないし、きっとより良くは続かない"
"ケアとデザインが混ざり合うところで、人々は主体的に動き出そそうと思えるのだろう"
トムソーヤーのペンキ塗りの話しのように。
仕事もしんどそうに、義務的にただこなしているだけでは、今のそれより良い仕事はできない。
やっぱりたのしくしないと、だれも地域活動やコミュニティには参加してくれないだろう。
だからケアとデザインはつながりあっている。
地域活動、コミュニティづくり…少しずつ少しずつわかってきたような気がしている。
なぜこんなにも自分自身が地域活動にコミットしているのか?
人とつながったり、つなぎ合わせたり…が、自分にとっては一番たのしいからかな…
その理由も含めて、まだまだわからないことだらけだ。
だからしばらく続けてみよう。