「あんた、コロナ禍の前にワールドカップ2019日本大会、ナマで観れてホンマよかったなー」
何度も何度も生前の母に言われたのを、9月に開幕したラグビーワールドカップ2023で思い出す
ラグビー愛好家のわたしは、母の生前に家族でラグビーワールドカップをテレビ画面で長く観てきた
母とも夜中に絶叫しながら応援した2015年大会の南アフリカ戦の歴史的勝利が忘れられない
母が亡くなって3年が過ぎようとしている
シンガー・ソングライター宇多田ヒカルさんがX(旧ツイッター)にて、
「人が亡くなっても、その人との関係はそこで終わらない。自分との対話を続けていれば、故人との関係も変化し続ける」と綴ったとの記事(2023年8月22日)があった
https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/202308220000261_m.html?mode=all
この言葉には、ストンと腹落ちした
"ほんまそのとおりや"と
ことあるごとに母との関係性が続いているのを実感している
毎日の通勤時に通りかかる寺社の前や、学校での講義の資料づくりをしている時、1人暮らしを続ける父と接している時、電車の帰り道にふと…などなど
今年に入ってから母を看取って2年以上経過し、実家の部屋整理を意を決して妻と始めた
古い写真や遺品を目にすると、いろんなことを思い出す
その都度、涙で視界がなくなる
"母は布団やシーツが好きで集めては、もらっていた"
"自動車のテールランプが好きで、車種名を暗記していたなぁ"
"モロゾフのプリンが好きやったな
お食い締めは「モロゾフのプリンが食べたい」と少しだけ口に含んで味わっていた"
"俳優は橋爪功さんが大好きやった"
"寿司はホタテの貝柱が好きやったなぁ"
"沢田研二さんも好きやったなぁ"
部屋もきっともう少し片付けたかったやろうに…
でも手をつける時間と余力はなかったね
父が40歳頃に脳腫瘍の大病を患い、大手術後に母が父の日常生活と社会復帰をサポートした
そんな経験もあって、45歳過ぎてから看護学校入学に向けた猛勉強の末、看護師となり亡くなる1ヶ月前まで経験を積んだ母
わたしたち子どもの世話と大病後の父のサポートをしていた母が、その頃にたまたま会ったある人に、
「夫の病いの経験から看護師を目指してますねん」と、あっけらかんと笑って話していたそうだ
置かれた場所で花を咲かせるひと
どんなこともたのしめるひと
潔いひと
覚悟を示すひと
そんな母だった
看取りのなかで、最後の最期まで生きようとする力を見せた母
まさにレジリエンスの塊
治療法において万策尽きたあの時まで、生きようとしていた
最期まで生きようとしていたんだ
と、下記の書籍の一節を読んでそう思いなおした
いつものとおり、潔くよく"死"を受け入れて、"生"に執着しないようにしていたのかと思っていたが、最期の最期まで"生"にしがみつき、そしてあがいていたのかもしれない
ホンマに最期まで"よく"生きようとしたんやね
自分との対話を繰り返すなかで、上記のようなことを思いなおすようになった
そんなふうにわたしと亡くなった母との関係性が今も変わり続けている
毎年恒例になっている母の命日に綴る自分との対話の経過
これからも続けるつもりだ