僕のみたうみねこ(右代宮縁寿と右代宮戦人) | うみねこのなく頃に 回答用ブログ

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07th-expansionのノベルゲーム「うみねこのなく頃に」の考察を書いていくブログ。真相なんてものではありませんが、一つの解として成立するようにしています。全ページネタばれ満載なのでご注意ください。もちろん私のネタばれや回答が正しいという保証はありませんが。

前回「安田紗音と右代宮戦人」編で、六軒島で起こったと考えられるいきさつから、
安田紗代によるノート片2本と、八城十八による偽書2本(EP3,4)、
そして、絵羽の日記らが生みだされ、縁寿の手元にわたった想定経緯を説明しました。

ここではその後に起こった話、
つまり、12年後に右代宮縁寿がそれらのテキストを手に入れた後に起こった話について、
纏めていきます。


なお、EP5『End of the golden witch』と
EP6『Dawn of the golden witch』とについては、
「八城幾子というキャラクターについて」、
(http://ameblo.jp/ken-write/entry-11266957620.html)
でも書いたように、

魔法エンド前提の場合は、
縁寿がビルから飛び降りた後、
つまり彼女の空想内で登場したエピソードになります。

そのため、元になった偽書自体が実在していない可能性もありますが、
そうではなく、実在している偽書に対して、
縁寿自身が、“八城の家で手に入れた”と設定を付加している可能性もあります。

断定の難しい範疇になりますが、
個人的に古戸エリカのファンとしては、
せめて偽書としては存在していてほしい、となんとなく思います。

とはいえ、エピソード中の“古戸ヱリカ”が、
自身が駒であることを認識していたり、
途中で探偵を降りたりするなどの、
単なる駒を超えたやりたい放題っぷりを観ていると、
他のキャラクターと同じような、単なる偽書内の登場人物ではなく、
縁寿自身の空想の中のキャラクターだと考えた方が自然な部分も多いですね。
また、EP5以降の偽書は実在しないとすると、
「うみねこのなく頃に散」については、
ほぼ丸ごと、縁寿の思索の旅ということになって、構成上キレイではあります。

とはいえ、そこまでを想定した世界観の作品ということもあり得る訳で、
どちらかを断定することは出来ないと思います。
手品エンド前提の場合は、実在していることになりますしね。


ともあれ、EP5『End of the golden witch』と
EP6『Dawn of the golden witch』とが、偽書として存在するにせよ、
そうでないにせよ、
プレイヤーがみていたうみねこの世界は、
“縁寿”がこれらのテキストを読み、
六軒島について調べ、思索しながら構成した世界、として理解することができます。

その世界があれほどまでに、現実離れをし、
魔法や悪魔が跳梁跋扈しているのかといえば、
その要因としては、縁寿時自身の読み方の癖と、
真里亞の日記(魔導書)にあります。


まず、過去の私のブログ記事でも触れましたが、
縁寿がテキストを読むときに、かなり特殊な読み方をしていることは、
EP4で触れられています。
(http://ameblo.jp/ken-write/entry-11080811276.html )

真里亞の日記から真里亞本人や七杭を“呼び出した”ように、
彼女がテキストを読む際は、単純にそれを言葉として認識するのではなく、
一種の映像イメージのような形で読んでいます。

まして、
真里亞の日記の中のベアトリーチェのサインと
ノート片のサインの筆跡が一致したことからも分かるように、
安田紗代作品の中での、魔術や悪魔の設定は、この日記を出典としているわけですから、
なおさら、縁寿は、真実味を持って、情景をイメージしたことでしょう。

安田紗代にとっては、テキストを著すことが“魔法”でありましたが、
右代宮縁寿に取っては、テキストを読むことが“魔法”であった。
そういうふうにもいえると思います。

このようにして、我々、プレイヤーがモニターを通して見てきた、
“うみねこのなく頃に”の世界が出来上がっていたと考えられます。


以上のように、
うみねこのなく頃に、は、“右代宮縁寿の世界”として理解することが可能です。
EP5-8すなわち、「うみねこのなく頃に散」の大部分は、
縁寿の思索の旅をあらわしており、その長大さ、壮大さは、
縁寿が死を思いとどまり、
幸せに生きていくことを決意するのに要した“魔法”の巨大さを伺わせます。

うみねこのなく頃に、でいわれる魔法とは、いわば「解釈」のことでした。
同じ出来事でも、手品だと解釈するか、魔法だと解釈するかで、
その人にとっての“現実”が変わる。そんなものでした。
カップのあめ玉を誰かがこっそりと入れたものか、
それとも魔法によってそこに出現したものか、
誰も証拠を提出しないなら、どちらも真実。
魔法とは、ここで後者を選ぶことだといえます。

もし、縁寿が、思索を途中でやめていれば、彼女も自覚していた通り、
本当にビルから飛び降りてしまい、ひき肉のような死体になっていたでしょう。
縁寿を救ったのは、彼女の中の“右代宮戦人”のイメージだったといえます。

そしてさらには、縁寿にとっての最高のナイト“右代宮戦人”への敵役を引き受けた、
運命(偶然、奇跡、可能性)の擬人化“魔女ベルンカステル”に、
彼女と彼女のキャラクター達の絶対の意思に応えた“魔女ラムダデルタ”、
その他の登場キャラクター達。
彼らすべてが、縁寿自身を救ったといえます。

その救いの過程は、一種の神話、ファンタジーで良い訳です。
作中作であり、作品内に作者が存在する、ゲームの盤上部分を切り取れば、それはミステリー。
縁寿が自分の生きる意味を見いだすために作った物語部分を切り取れば、それはファンタジー。
この世界の現実に生きる、右代宮縁寿、という少女について考えれば、
それはアンチミステリーでアンチファンタジー。
それが、うみねこのなく頃に、という物語です。

以上、僕の読んだ、「うみねこのなく頃に」という作品は、
右代宮縁寿、という一人の“読者”が主役の物語でした。