今このブログを

読んでくれている人の中で、

『ヨーガの哲学』って

何のことだかわかる人は

どれくらいいるんでしょ?

 

バガヴァットギーターお話会の

サブタイトルを、

『暮らしに役立つヨーガの哲学』

にしてるんですけど、

そもそも『ヨーガの哲学』がわからない

という人にも興味を持ってもらいたい。

 

そう思って、

今日はヨーガの哲学の中でも

私のお気にいりである

『サーンキヤ哲学』

について書くことにします。

 

 

ちょうど、

今日のバガヴァットギーターお話会で

びっしー先生から聞いたばかりの

『サーンキヤ哲学』の説明を

記憶がフレッシュなうちに文字にします。

 

 

*

 

私は哲学全般について詳しくないですが、

インドでは宗教と哲学が一体になっている

ところが特徴だと

書かれているのを読んだことがあります。

 

昨年びっしー先生から教わった

ヨーガの哲学についての話を一部引用。

 

びっしー先生の『暮らしに役立つヨーガ哲学のはなし』

 

*

 

ヨーガの哲学は、

「なぜ、生きる?」

「なぜ、働く?」

「私とは、何か?」

こういった問いかけ。

 

ヨーガの実践は、

これらヨーガの哲学の問いに対する答えを導き出し、

悩みや苦しみから解放されるためのもの。

 

西洋の哲学も学ばれたびっしー先生による、

西洋の哲学と東洋の哲学の違いは、

なるほど!納得でした。

 

西洋の哲学・・・

突き詰めて考えていくとニヒリズム(虚無主義)

=「人生は無意味だ」に陥ってしまうところ

哲学者のもの

 

東洋の哲学・・・

「生きるとは?」自分で答えを導き出す

→人生を肯定、生きやすくなる

生活者のもの

暮らしに役立てるもの

 

*

 

そしてこちらは、

伊藤武先生の講座後書いた感想ブログ。

少し参考になるかも?

 

ヨガの哲学 よくわからないままでいいのかも知れないですよね。

 

*

 

 

さて、今日とりあげる

サーンキヤ哲学の思想では、

 

この世界は

精神原理であるプルシャと

物質原理であるプラクリティの

2つの原理からなると考えます。

 

これが『二元論』です。

 

世界は、

精神原理(純粋精神)

プルシャ(見るもの)

の存在によって、

 

物質原理(根本原質)

プラクリティ(見られるもの)

が展開して生じると考えるんです。

 

 

プラクリティには、

サットヴァ(純質)、

ラジャス(激質)、

タマス(暗質)という

3つの構成要素があり、

 

最初の段階では平衡を保ち、

平衡状態にあるとき

プラクリティは変化しないけれども、

 

プルシャに見られることによって

平衡が崩れると、

プラクリティから様々な原理が

展開していきます。

 

 

プラクリティから

ブッディ(理性)が展開され、

さらにアハンカーラ(自我意識)が生じ、

アハンカーラから

マナス、

5感覚器官(鼻、舌、眼、身、耳)

5行為器官(手、足、発声器官、生殖器官、排泄器官)

5微細元素(香、味、色、触、声)

5大元素(地、水、火、風、空(虚空))が展開して生じる。

 

プルシャは、

このような展開を観察しているだけで

それ自体は動かないし

変化することがない。

 

これが、

精神原理であるプルシャと

物質原理であるプラクリティの

2つの原理の説明です。

 

 

プルシャ?

プラクリティ??

二元論??? 

 

何だか

よくわかんないですよね(^_^;)

 

*

 

インドの宗教では

生=苦という前提があります。

最終的に『業/カルマと輪廻から解脱』

することが苦しみから逃れる

唯一の方法です。

 

この世の展開の道筋を仮定し、

それを逆もどしして行けば

再び精神原理(純粋精神)=プルシャ

に還ることができる。

それが『業/カルマと輪廻からの解脱』。

 

逆もどししていくための方法が、

『ヨーガの修行』です。


 

やっぱりわからない???

 

 

いっぱい言葉が出てきて

チンプンカンプンですよね(^^;;

 

 

そんな私達のために、

ここでびっしー先生が

説明してくれています!

 

映画の例え話は、

とても分かり易かった。

 

精神原理であるプルシャ

→映画を見ている人

 

物質原理であるプラクリティ

から様々な原理が展開していく様子

→映画そのもの

 

つまり、

映画館で映画を見ている観客が本来の自分。

 

しかし、

その映画があまりにもよくできていて、

完全に自分のことを忘れて感情移入して

映画の世界に入り込み一体化してしまっている。

そのことに気がついていない。

 

それが、

今現在生きている私達の姿。

 

本来の自分は、

この物質的な身体ではなく、

それとは別である。

 

目の前で起こっている現象は、

単にスクリーンに

映し出されているだけのもの。

 

物質的な肉体や、

感情(心)の反応

本来の自分だと勘違い

してしまっているせいで、

苦しみが生まれていると考えるんです。

 

 

こんな話だけ聞くと、

さっぱりよくわからん!

て思うかも知れないんですが、

 

 

ヨーガはさておき

『自分はどんな時に苦しみを感じるか?』

 

について考えてみると

サーンキヤ哲学とヨーガの発想を

うまく暮らしに取り入れ生かすことが

できるのではないかと思います。

 

 

長くなりそうなので、

(すでに長いですが。。。)

続きはまたいずれ書こうと思います。

今日はこの辺で^^

 

 

*

 

 

最後に、

今日のバガヴァットギーターお話会に

参加して感じた私の率直な気持ち。

 

 

ヨーガの哲学への理解が

少しずつ深まれば深まるほど、

ヨーガへの執着がなくなると思いました。

 

 

ヨーガの哲学が育まれた頃とは、

時代も文化も宗教も、

全ての背景が異なります。

 

ヨーガの中に、

参考にできることは沢山あるけれど、

 

今の私が豊かに暮らし

幸せな人生を生きるためには

今の自分自身にしっかりと意識を

つないでおきたいと思うし、

 

そのためには

ヨーガでなくてもできることも

沢山あります。

 

 

自分の価値観をしっかり理解すること。

 

 

決して外側に答えはなく、

完全に自分自身を

『信頼』することが、

『流れに身を委ねる』

ことにもなるんやろうな。

 

 

 

*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*
Yogini Ai
ヨガスタジオFIVE ELEMENTS
*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*