こんにちは、2年の堀口です。



メアリーさんの金言、しかと頂きました。

特に


一人でいすぎると「にわかソフィスト」がエゴイストになるかも


というところ。自分のこれまでの人生を振り返ってみると、わたくしはこの考え方にと~っても共感するのです。



高校に入学した僕は、中学まで続けてきた野球を辞め、柔道部に入部することにしました。格闘技が好きだったのと、野球に飽きたからというのが理由でしたが、今考えれば大学でプロレス同好会に入るためのバックボーンにしたい、といういささか不純な理由が主に僕を柔道へ突き動かしたような気もします。


そんな不純な動機のせいか結局僕は2、3ヶ月ほどで厳しい柔道部の活動がイヤになり、英語部(事実上の受験勉強部)という週2回(のち週1回)活動で当時部員数4名の部へ転部しました。


転部した当初は「俺は運動部に耐えられなかった負け犬だ」と暇すぎる日々を鬱々と送っていました。しかし、次第にそんな環境にも慣れていった僕はロクにクラスメイトともつるまずに勉強と音楽鑑賞に没頭する道を進んでいくようになりました。

一人で過ごす時間が増えたのに加え、英語部に所属していた僕の学校の成績は、当然のことながらぐんぐん伸びていきました。すると運動部に所属していた時の自分にはなかったヘンな自信のようなものがついてきました。

いつしかその自信は僕を「にわかソフィスト」に仕立て上げ、「勉学&芸術第一、人間関係&部活はオマケ」が自分自身の信条となります。これくらいならまだカワイイですが、高校2年生の頃にはどういうわけか「運動部の連中はアホ」とか「俺がこのクラスで一番の雑草魂」だとかワケがわからない方向へ考えが暴走していったのであります。もはやこれでは単なるエゴイストです。



今自分自身の高校時代を振り返ってみると、家の中一人でいた時の思い出には胸の内が暗くなるような感覚が蘇りますが、なぜか英語部の人達との思い出には楽しい気分にさせられます。ファミレスで新入部員歓迎トランプやって店員さんに注意されたなあ、とか。英語の語彙クイズに不正解していつまでも悔し泣きしてる先輩をシカトして3人でトランプやったなあ、とか。

思い出の内容はさておき、要するに高校時代の自分は、自分一人だけの世界にこもるだけでなく実は誰かと楽しく過ごしたがっていたというガキでも分かるようなことに気づいていなかったというわけです。言ってしまえば、学校の成績だって英語部の人に教えてもらわなければそんなに伸びなかっただろうし。結局のところ、人は色々な人の言動、存在によって形作られてゆく部分が大きいのだと思います。



とまあ、グダグダと自身の過去を述べさせていただきました。退屈でしたでしょうが、メアリーさんの金言を裏付けるものと思っていただければこれ幸い。



こんにゃくジャーキーを高崎駅で発見して嬉しさのあまり大量買い食いしたら以前ほどの感動が無くなってしまい少々ガッカリしてる堀口でした。