11・23「東京女子プロレスで感動させてよ!'23」に関して知っておいてほしいこと | KEN筆.txt

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BGM:Luis Miguel『Separados』

 

11月23日(木=祝)神奈川・鶴見青果市場にておこなわれる「東京女子プロレスで感動させてよ!'23」について、大会前に伝えなければならないことを書きます。通常興行とは異なり「有志の皆さんが主催者となって、東京女子プロレスを10年前の旗揚げから応援してくれた方に贈る、当時の雰囲気を織り交ぜたメモリアル特別興行として開催されます」とのリリースが、団体サイドからありました。

 



本大会が開催されるにあたり、一人の人物について知っていただきたく思います。名前は巴明日香(ともえあすか)さん。東京女子が小さなライブハウスでマットプロレスをやっていた頃から熱心に足を運び続けていたファンであり、私の友人でもあります。なので、ここからはいつも呼んでいた「あすかくん」で進めさせていただきます。

あすかくんは2020年4月4日、新型コロナウイルス感染により旅立ちました。世の中にその影響が及び始めたばかりの頃で、本人もまさかコロナだとは思わなかったと推測されます。

誰にもさよならを告げることなく、あすかくんは我々の前からいなくなりました。コロナの状況を鑑み、御仏前と対面できたのは半年後の10月でした。

 

そのさい、友人たちとともに東京女子の初期メンバーと甲田哲也代表、そして東京女子同様あすかくんが愛した地下セクシーアイドル、ベッド・インの益子寺かおりさんと中尊寺まいさんもマネジャーさんとともに手を合わせるべくあすかくんの自宅を訪れました。

あれから3年半が経過し、我々はあすかくんが望んでいたであろう声を出してプロレスを楽しみ、ライブに参加できる世の中を取り戻すことができています。そんな今だからこそ彼が愛したあの頃の情景を、ともに共有したファンの皆さんと楽しもうと友人有志…つまりは主催である「感動させてよ実行委員会」は動きました。

したがって追悼興行的なものではありません。東京女子が10周年を迎えたタイミングで、旗揚げの頃から応援してきたあすかくんのことを選手たちにも思い出してもらうメモリアルな一日とするのが主旨です。

突然の別れは東京女子勢も同じであり、だからこそどこかで気持ちの整理をつけられる場を持っていただきたい。そのような思いからまず、高木三四郎CyberFight社長に相談したところ、二つ返事で快諾していただきました。

 

▲大社長はあすかくんのことを「スカパー!の人」と認識しつつ、ファンとしてDDTに来てくれることをありがたがっていた

高木社長もあすかくんとは付き合いがあったので事情を理解し、東京女子とつないでくださいました。団体サイドも主催者の希望に対し真摯に向き合い、卒業を目前に控える坂崎ユカ選手の出場も認めていただけました。

ここからは、私とあすかくんが出逢った頃まで話をさかのぼらせていただきます。1989年9月、当時在籍していた週刊プロレスで「ファンのファンによるファンのための渾身討論会」という企画がありました。抽選で選ばれた読者がベースボール・マガジン社に集まり、一つの大会について激論を交わすというものです。

 

▲左列一番手前が私で右列手前から3人目があすかくん。ちなみに山根淳さんとも第3回のUWF東京ドーム大会討論会で知り合いました

 


▲17歳のあすかくん。「どの団体も見にいきます」の言葉通り、その後に訪れる多団体時代は彼の独壇場となった

ネットなどなかった時代、プロレスファンは自身の思いを出力する場を欲していました。第2次UWF8・13横浜アリーナ大会(前田日明vs藤原喜明、髙田延彦vs船木優治=現・誠勝の2大カードがおこなわれる)が第1回の議題で、そこで語られたことは誌面にも掲載。これが好評だったため、第2回として新日本プロレス9・21横浜文化体育館大会(橋本真也vsビッグバン・ベイダー2度目の一騎打ち、星野勘太郎と獣神ライガーのケンカマッチ=ノーTV)をお題とし、おこなわれました。

これに参加した13名の一人が17歳のあすかくん。私は誌面用の書記として出席したため、同じ場にいたこととなります。なぜあすかくんが選ばれたかというと、読者投稿ページ「あぶない木曜日」の常連投稿者で、その珍しい名前を憶えていたからです(ちなみに、この時期の同じ常連投稿者に甲田代表がいる)。

もっともそこで友人になったわけではなく、その後はなんの接点もないまま10年ほどが過ぎていきます。ただ、彼の存在は否応なく認識していました。

というのもかなりの頻度で、試合会場で姿を見かけたから。しかもあすかくんは声援にしてもリアクションにしても目立つ観客だったのです。当時で言うなら“百田男系”、今でたとえると俄然さんやハトえもんさん的ポジションと言ったら、わかる人には伝わると思われます。本人にその気はなくとも、たったひとことの声援で一瞬にしてその場を持っていってしまうタイプのファン。

▲2008年8月15日、G1クライマックス両国国技館大会場内にいたパンダ(映画『カンフー・パンダ』のプロモーションか何か)と嬉しそうに記念撮影。まだ世にアンドレザ・ジャイアントパンダが出現する遥か前にパンダとのツーショットをいいトシして実現させていた

入場してきた金村キンタローの後ろでブリブラダンスを踊る姿を見る時があれば、漏れすぎだろと突っ込みたくなるような心の声が後楽園ホールのバルコニーから聞こえることも。ただ、いわゆる悪質ファンではなく場内の雰囲気を悪くするような野次や行動はなかったと思います。

だから記者席から微笑ましく見られたものでした。そんなあすかくんとの距離が縮まったのは、1998年ぐらいだったと記憶しています。共通の知り合いと場をともにしたのがきっかけだったか…細かくは憶えていないのですが、とにかく彼のプロレスの見方や楽しむスタンスが面白かった。

それまでの私は「プロレスマスコミという仕事に携わる限りは、ファンとの距離が近すぎてはならない」という凝り固まった考えでいました。もちろん誌面を作る上で最重視していたのはファンの気持ちや思いでしたがその一方、特定の人とナアナアになってしまうことで他の読者から共感されなくなることを警戒していたのです。

あすかくんは、こちらの“身構え”を取っ払ってくれました。ユニバーサルプロレス時代から見ているザ・グレート・サスケの大ファンということで、まずはそこから話が盛り上がったのだと思われます。もちろんみちのくプロレスになってからも応援し続け、ムーの太陽が出現するよりも遥かに前からサスケ信者でした。

 

▲どんなに親しい関係になってもサスケとはファンと選手の関係でいた。大会後のマスターの売店にも律義に並び、念を入れてもらっていた(2014年10月16日、新木場1stRING。列前から3人目)

私がみちのく担当として石川一雄カメラマンと毎週末のように東北へ通っていた頃、あすかくんとその仲間たちも車に相乗りし東京から遠征していました。時たまそこへ同乗させてもらうことで、プロレス観戦における旅の醍醐味を味わわせてもらったのです。大会の取材が終わると、盛岡駅前にあった牛たん屋さんで彼らとゲハゲハやるのが本当に楽しかった。

もうひとつ、私があすかくんから教わったのがアメリカンプロレスの面白さ。時はWWF(当時)で“ストーンコールド”スティーブ・オースチンが大ブレイクし、日本国内でもアメプロファンが激増していた頃。週プロにはフミ・サイトーさんというその筋の第一人者がいたこともあり、自分が関わらなくても…と興味を持っていませんでした。

それが、あすかくんが語るアメプロ話が抜群に面白くてもっと知りたいと思うようになり、ついには2001年の「レッスルマニア17」の現地取材に手をあげるまでになったのです。まだWWFのなんたるかもわからぬままにいったためチンプンカンプンでしたが、その時に味わった自分の至らなさをバネに学んでいきました。

ザ・ロックが初来日し、WWF(WWE)日本公演が定着するようになったのはその1年後、ギリギリのところで“対応”できるまでになれたのは彼のおかげでした。翌年1月には一緒に韓国公演へ。初めていく国でも行動派のあすかくんが一緒だと不安がなかったです。

 

▲2006年2月5日、横浜アリーナにおけるWWE日本公演でジ・アンダーテイカーに恐れをなして客席まで逃亡するJBLとともに墓掘り人へ向かって「やめろ!」というポーズを見せ、絶妙な表情で写り込むあすかくん

気がつけばあすかくんは、いつの間にか放送業界の人になっていました。サムライTVを放送するスカパー!の社員でありながら、部署としてはプロレス担当ではなかったため変わらずチケットを買い、客席から見ていました。一度、その筋の人間として入ろうと思えばできるのでは?と言ったところ「それじゃコールもできないし、一緒にポーズもとれない」と、関係者ヅラすることを拒みました。

 

▲唯一立場の特権を利用するのはサムライTV収録スタジオに訪れて親交のある選手とわちゃわちゃするぐらい。サスケもあすかくんのことを「兄弟!」と呼んでいた

彼にとってのプロレスは、仕事としてお金を払わずに見るものではなく、チケットを買ってその分思いっきり楽しむものだったのです。そうですね…あすかくんから受けた一番大きな影響はそこかな。全力で楽しむという姿勢。

 

▲2010年9月10日、マッスル最終公演記者会見がスカパー!本社でおこなわれたため、社員というだけで当日に進行役を押しつけられたあすかくん。今林久弥、血圧タカシ氏(現・大日本プロレス映像班)、大家健、今野利明サムライTVプロデューサー、坂井、高木大社長と、そうそうたる出役の中に入ってもそん色がないのはさすが

2006年4月30日、新潟フェイズでサスケと佐藤秀(のちのバラモンシュウ)によるチェーンデスマッチがおこなわれ、当たり前のようにあすかくんも来ていました。この試合、会場外に出て隣の信濃川にかかる萬代橋上まで移動し乱闘は繰り広げられたのですが、映像を見るとなぜか調子の狂ったブブセラの音が外で鳴っております。

そのためだけに、わざわざ東京からブブセラを持ってくるあすかくん。ヨネ原人のコスプレで本人…いや、本原人と記念撮影をしたり、サスケがSASUKEとして頭に鰯(弱い魚とスペル・デルフィンを揶揄するための所業)をつけたのにならい、自作の魚を頭に乗っけたりするような人ですから、要は独自性に富んだ参加型のファンだったわけです。

 

▲こちらは2006年10月8日、盛岡・岩手県営体育館までザ・グレート・サスケvsスペル・デルフィンの決着戦を見にいった時のあすかくん。この一戦はおそらく彼にとって生涯のベストバウトの一つ。サスケとデルフィンが歴史的な握手を交わす現場にしっかりいるあたり引きが強い

あすかくんのツイッター(現・X)のヘッダーには2019年8月4日、鶴見青果市場でおこなわれた辰巳リカvsデモニオ戦で「ゴートゥジャスコ!」(現在はイオンですが)を嬉しそうに追いかけていく自分の写真が使われています(ただし顔は隠している)。今大会では同会場で、同一カードがおこなわれます。もう一度、あすかくんに辰巳選手を追っかけてもらうためです。

 

▲公式サイトの試合結果にも思いっきりさらされる(でも本人は大喜び)

いいトシになって体そのものが膨張し、より目立つようになってもあすかくんは17歳の頃に見た時と変わらぬスタンスでプロレス会場へいました。スカパー!社員ということでみちのくやDDTの選手・スタッフと仕事上の結びつきができても、です。そうした中で出逢ったのが、東京女子プロレスでした――。

 


▲本大会で一日復活を遂げる桃知みなみリングアナウンサーと(2014年4月27日、幕張メッセ)


2020年6月、世界中がコロナの影響に苦しむ真っ只中、一冊の本が出版されました。『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』は、普通の毎日が一変した2020年4月に、各仕事へ就く人々は何をしていたかをまとめたものでパン屋、タクシー運転手、ミュージシャン、ホストクラブ経営者など多岐に渡る職業の中、女子プロレスラーとして執筆したのがハイパーミサヲ選手でした。

そこでミサヲ選手は、名前を伏せつつあすかくんについて触れました。その点に関し、私はミサヲ選手に対し感謝の思いがあります。また、昨年3月26日、大手町三井ホールで現役を引退した天満のどか選手は、セレモニーの中で同じく個人名を出すことなくあすかくんへの思いを口にしました。

「もうすぐ2年ぐらい経つんですけど、コロナが流行り始めた頃、東京女子プロレスをずっと応援してくれているファンの方が突然なくなっちゃいました。その人が私とか(小橋)マリカとか、もう一人の同期で優宇…私たちのこともずっと練習生の頃から応援してくれていて。人一倍声援を出して会場を盛り上げてくれる人でした。今でもその人が、こういう時だったらこういうふうに声出してくれるんだろうなとか、選手のみんなの頭の中に流れるように…そんな体になっているんです」

会場でその姿を見届けた界隈で高名な山根淳さんより、のどかねえさんは東京女子へ入団する前からあすかくんと顔見知りだったことを聞きました。それはもう、心の底から応援したでしょう。今年に入り、妹の愛野ユキ選手にそのお礼を伝えると「させてよさんには、本当に私たちのみんなが応援してもらいました。落ち込んでいる時も売店に来て、とにかく『大丈夫だから、○○は大丈夫だから!』って励ましてくれた。みんな、それによって頑張れたんです」と言っていました。

そうか、東京女子の選手の間では「させてよ」と呼ばれていたのか。これは、あすかくんのツイッター上の名前です。元ネタが、週プロ・宍倉清則次長(当時)の人気連載コラム「感動させてよ!」であるのは言うまでもありませんが、それを知らずに呼ぶ選手もいたと思われます。あすかくんは週プロ読者というより宍倉さんの大ファンで、おそらく本人よりも書いたことや文章の一節を細かく憶えていました。


mixi全盛期には宍倉さんのコミュニティを立ち上げ管理人を務めただけでなく、返す刀で“次長主義”と記されたTシャツを作り、宍倉さんが退社した時に有志を集めて「宍倉顧問(当時)を囲む会」を催し、本人から「選りすぐりのシッシーマニア」の称号も頂戴したほど。実行委員会が今回の大会名を「感動させてよ!」にしたのは至極当然なのです。

 

▲こちらにおられる皆様が「選りすぐりのシッシーマニア」

 


▲自作の次長主義Tシャツを着てマッスル坂井と戯れる。確かこのTシャツはご本尊様(宍倉さん)にも渡したはず


もっともっと東京女子を応援して、団体が大きくなっていく姿を見て感動したかった。あの日から約2年後、彼女たちは夢の両国国技館進出を果たしました。初期メンの木場千景さん、KANNAさんがオープニングに姿を見せ、あすかくんがイチ押しだったという中島翔子選手がメインイベントを務める…まさに“させてよ得”なあの空間に、彼の姿はなかった。

もちろん、姿はなくてもあすかくんはあの場にいて彼女たちの晴れ姿を見守っていたのだと思います。私は「ねっ、俺が言った通り東京女子はみんな大丈夫だっただろ? 俺は昔からいつか両国にいけると信じていたから!」という彼のドヤ顔を思い浮かべながらリング上を見ていました――。

 


▲2010年4月30日、私と共通の友人の結婚披露パーティーに出席。結婚式プロレスをおこなうべく登場した男色ディーノによって、嬉しそうに凌辱される。自分がやられることで笑いを生むことを理解していた


全4試合、東京女子勢以外に組まれたスーパー・ササダンゴ・マシンvs今成夢人vsアントーニオ本多の3WAY戦は「マッスル」が好きだった、そして結果的に最後の現地観戦となった「まっする」にゆかりある3人が出場します。そして、東京女子とともにその関係性をお伝えしなければならないのが、スペシャルライブに出演するベッド・インです。

 


▲放送関係者と映像スタッフのつながりで今成夢人とも交流があった。市屋苑にて安生洋二をはさみスリーショット


東京女子同様、あすかくんはベッド・インがまだ無名の地下アイドルだった頃からライブに足を運んでいました。その存在は、メンバーとスタッフにとっても特別なものでした。

 

あすかくんは体のサイズがXXLのためベッド・インのTシャツが欲しくても買えませんでした。それを知ったメンバーとスタッフは毎回、彼のために特注で製作した世の中でたった一枚のアイテムを渡していました。一人のファンのために、そこまでやってくれるアーティストがどれほどいることか。

 

▲あすかくんの大きなお腹へ面白がってサインするかおりさんとちゃんまいさん。ライブにとどまらずこうしたインストアイベントも皆勤級の出席率

2020年5月、ベッド・インはツアーファイナルの渋谷TSUTAYA O-EASTライブをDVD化するためクラウドファンディングを実施。あすかくんはステージ上で「メンバーと一緒にジュリ扇を振れる権」を選びました。

ベッド・インを応援し続けてきた者が、二人と同じステージに上がれるなど夢以外の何ものでもありません。ところがコロナの影響でライブそのものが延期となり、あすかくんも…。

半年後の11月22日、日を改めて開催されたそのライブでかおりさんは特に言及こそしなかったものの個人的な思いから、あすかくんに渡すはずだったXXLのTシャツをひっそりとステージ上に飾りました。その上で、終盤のMCタイムにて「今日は、本当なら大事MANな性徒諸クンの一人が踊ってくれるはずでした」と、涙を流しながら触れました。

 

▲あすかくんも支援したクラファンによりリリースされたDVD『ベッド・インSPECIAL BUBBLE NIGHT 2020』より、性徒諸クンとともにステージへ立つシーン。かおりさんの向かって右後方に、あすかくんへ渡すはずだったTシャツが掛けられている

非日常を提供するステージで「コロナ」というワードは出したくないという葛藤から詳細は語りませんでしたが、その思いの深さはオーディエンスに伝わっていました。常にベッド・インを全うする彼女が個の感情をステージでさらすのは、あとにも先にもこの日だけと思われます。

後日、かおりさんからあすかくんの代わりにステージ上へ立った特注のTシャツを託されました。それは、私にとってもっとも愛したヴォーカリストである中西俊夫さんが在籍したプラスチックスのTシャツとともに現在も、そしてこれからも自宅の壁に飾ってあります。

 



ただ、サイズが大きすぎてシャツ型の額に入らず、裏の押さえフタが盛り上がっており、あすかくんのデカさを物語っています。前述した通りかおりさんとまいさんは手を合わせるために自宅を訪れ、ひとり残されたお母様に何度もお礼を伝えていました。

闘道館におけるトークイベント「鈴木健.txt対決シリーズ」では2度、かおりさんに出演していただきました。いずれもあすかくんが楽しめるような内容を考え、当日はTシャツを最前席に置きました。

3年半が過ぎても、ベッド・インの中であすかくんはあすかくんのまま息づいています。今回オファーした段階で、まいさんのご懐妊と年内で産休に入ることが発表されました。イレギュラーのライブは避けてしかるべきという状況にも関わらず、出演してくださるのです。

ここまでの長文を読んでくださり、ありがとうございます。ゆかりのない皆さんにとっては無関係なことを連ねてきましたが、当日はあすかくんを知らない方々も楽しめるものになると確信しています。東京女子とベッド・インと、マッスル勢なんですから。

同時に、本大会へ参戦する選手たち、スタッフ、実行委員会の皆さんを突き動かすものが個人的な思いであったとしても、それが一つになればとてつもないパワーになりお集まりいただく皆様の心に刺さるはずです。11月23日、自分の中で芽生えた動機に対し正直な者たちの描く空間が、鶴見青果市場で現出します。

 

【関連記事】

朝日新聞デジタル「息子の30年、聞きたかった コロナに消えたある母の夢」(要登録)

※あすかくんとお母様のことが書かれたものです

 

「東京女子プロレスで感動させてよ'23」

★11月23日(木=祝)神奈川・鶴見青果市場(12:30開場/13:00開始)
〔入場料金〕感動シート完売、自由立見席4000円(サイン入りポスター付き)
〔販売場所〕公式チケット購入フォーム、チケットぴあ、ローソンチケット、イープラス
〔主催者〕感動させてよ実行委員会
〔問い合わせ〕saseteyo.forever@gmail.com

〔当日の対戦カード〕

▼山下実優&乃蒼ヒカリ&愛野ユキvs坂崎ユカ&瑞希&ハイパーミサヲ
▼中島翔子vs原宿ぽむ
▼辰巳リカvsデモニオ
▼3WAYマッチ◎スーパー・ササダンゴ・マシンvs今成夢人vsアントーニオ本多
・ゲストアイドルとして益子寺かおり&中尊寺まいの2人組セクシーアイドル「ベッド・イン」がリング上でミニライブをおこないます
・リングアナウンサーは初代リングアナの桃知みなみが一日復活します
・試合中、一眼レフなどレンズのついたカメラでの撮影は禁止とさせていただきます。カメラを持参された場合、お帰りになるまでカメラをお預かりさせていただきますのでご了承ください。なお、スマホやタブレットでの写真撮影やSNSへの投稿はOKです
・動画での撮影は通常の興行と同じルールとなります
・グッズ販売はおこないますが、試合後の特典会は開催しません
・自由立見席は自由席着席、または後方立見となります。購入した方には大会記念ポスターにランダムで1選手がサインを入れてプレゼントいたします