大阪の自然食品店 健康ストア健友館の店長ブログ -250ページ目

ローフードのお話

文、川内 聡一朗


こんにちは、少しづつ春の暖かさが本格的になってきましたねー。


皆さんいかがお過ごしでしょうか?

さて、健友館では今年の2月頃よりローフードという食事の仕方に関係する商品を充実させる様に、商品の入れ替えを行っています。

きっかけは上瀧の書いた記事にあるアメリカのオーガニックマーケット視察旅行なのですが、何より僕が乗り気なった理由は僕自身の体感によります。


以前より健友館に置いてある雑誌【ベジィ・ステディ・ゴー!】を見てローフードを知ったお客様の間で話題になっておりましたが


「ほんまなんかなー?野菜ばっかりって体が冷えるんじゃないかー?」


と疑問を持っておりました。ですが、その雑誌に載られるローフードを実践される方やヴェジタリアンの方々は見るからに元気そうやし肌が美しい!

以前より、美しいお肌に憧れていた僕は重い腰を上げて試してみる事にしたのです。

ジューサーやミキサーを持っていなかったので、旬の野菜を刻んで醤油、オリーブオイル、塩、玄米粉、昆布粉末、胡椒、ゴマ、亜麻の実、味噌、チーズ、卵、唐辛子、蜂蜜等、様々な調味料を駆使して日々味を変え具沢山なサラダを日々の食事に取り入れる事にしたのです。


1日目、よく噛まなかったせいかお腹が少し痛いけど、なんだか体が軽い。

調子に乗って次の日はサラダのみ。

やっぱりお腹が痛いけど体は抜群に軽い!こうして日々、体が軽くなり、だるさも無くなっていきました。

お腹が痛かったのは好転反応だったようです。



 ちなみに僕は持病があった事もあり20の頃より食事には気を付けていました。

2番目の息子がアトピーっぽかった事もあり、かなり厳格な玄米菜食の一汁一菜生活を2年ほど続けた事もあります。

おかげでとっても健康に息子ともどもなったのですが、なんといっても続けるのが辛かったのです。

油断するとすぐ食べ過ぎますし、あかんあかんと思いつつもお菓子も食べたくなって食べてしまってたのですが、生野菜を中心に食べるようになってからは一切そうゆう事が無くなっていきました。


子供と一緒にお菓子を食べることもあるのですが、一口でもう充分となる様になったのです。

「今まで足りないものを補うために食べすぎたり、お菓子やジャンクな物を食べたい気持ちになってたんかなー?」とおぼろげながらに思う、今日この頃です。


長々と書いてまいりましたが結局ローフードってなんやねんと思っておられる事かと思いますので説明させていただきますと、ローフードとは?



●読んで字のごとく 生の食材を食べる。加熱によって壊れてしまうビタミン、ミネラル、酵素を最大限に吸収できる様に加熱していない食品を食べます。

酵素が壊れてしまう温度47~8以下なら加熱しても大丈夫。


●生きている食品を食べる。
漬物、生味噌、生醤油等、作る途中に加熱されていても酵素がたっぷり生きている発酵食品、水に浸けて発芽させたナッツ類や穀物、生野菜を食べます。


細かい決まりはたくさんあるようですが、ざっくりと説明すると上記の2点を踏まえた食事法がローフードになると思います。

生きた食べ物から酵素とエネルギーをいただく事で、体の負担を減らし、限りある体の中の消化酵素、代謝酵素に最大限に体の中の事だけに頑張ってもらおう!

と同時に野菜の食物繊維によってデトックスもできてしまう!

一石二鳥の食事法です。


あれはダメこれはダメと否定するのではなく、日々の生活に本来食材が持っているパワーを取り入れていきましょう、と言った様な肯定的な優しい感じがとても魅力的に思います。


毎食にサラダ、朝食に野菜とフルーツのミックスジュースを取り入れるだけでもとても体が軽くなります。


お肌の悩みをお持ちの方、体調がイマイチ、疲れやすいと言う方は試してみてはいかがでしょうか?

体が冷えるのが心配な方は、ジュースにしてもサラダにしても具沢山にして、いい塩でしっかり味付けすれば大丈夫だと思います。



自由報道協会主催 孫 正義 記者会見

この記者会見をリアルタイムで見た。

このことで自由報道協会 というものがあることも知った。



日本の報道は既得権益に縛られまくられているということも以前から聞いてはいたが、

この協会のことがわかれば、それもわかる気がした。








感謝


自然エネルギーへの転換

ソフトバンクの孫社長の提案。


民主党復興ビジョンチームの会合で講演された内容が見れます。(50分)











孫社長自身の個人資産で、「自然エネルギー財団」を設置し、


世界中の科学者ら約100人に参加を促し、政府への政策提言を行うという。





目からうろこです。


日本が世界に誇れる素晴らしい国でありますように。






早速、内閣府 原子力委員会に意見を出しました。


http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/tyoki_oubo.htm





感謝



大豆および亜麻のチェルノブイリ放射能汚染地域での成長調査

大豆とフラックスの放射線に対して調査を行っていた

スロバキア科学アカデミー のMartin Hajduch博士より返事をいただいた。


メールには論文と「チェルノブイリ地域で育つ植物について」の新聞の資料が添付されており、

その内容はものすごく膨大で、かつ英語。

もちろん専門用語もあり、私には読解が出来ないので、友人にヘルプを要請しました。


また、Martin Hajduch博士は親切に日本のご友人の小松博士も紹介していただいた。


内容もそこそこに、早速その小松博士に電話を入れ、本日の朝に私の質問のお返事をいただけるようになっている。


なんだかすごい!


こんな展開になるなんて想像もしていませんでした。

結果がどうであれ、世界の博士たちが協力をしていただいている。


英語力のない私は決してすごい内容でメールしたわけではないです。


私がMartin Hajduch博士に書いたメールの内容は

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Dear Martin Hajduch,


My name is Tatsuya Jotaki.

I am an Organic Foods shop owner in Japan.


I saw your advertisement of a lecture meeting on PDF that was at Tsukuba Office, Agriculture, Forestry and Fisheries Research Council Secretariat on the 27th March 2009.


Then I asked the Tsukuba Officer "Do you have some detailed report about

Chernobyl's soybean and flax seed not growing radioactive?" but, they didn't have any information.


If you do have some of those detailed reports, please let me know.

Because, I know some farmers in the disaster area.

I want to talk them about your investigative report.


I'm looking forward your reply.

Tatsuya Jotaki

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こんな私のような馬の骨とも分からないような者に、

今まで積み上げてきた研究内容を惜しみなく教えてくれ、

また、日本語で出来る先生まで紹介いただけるとは

本当にMartin Hajduch博士に感謝です!




感謝



被爆をしてしまった場合の食事の方法(医学博士秋月辰一郎氏の体験談)


健康ストア健友館


1916 年~2005 年。長崎市万才町生まれ。
当時の浦上第一病院医長。
'52 年に聖フランシスコ病院医長、'86 年顧問。

爆心地から1.4km で被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。

吉川英治文化賞、ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他。著書に長崎原爆記、死の同心円。

(プロフィールと写真・図表は長崎放送HP より)



(以下秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊より引用)


秋月医師は昭和20年、長崎原爆で病院勤務中被爆した。

その病院がたまたまミソとショウユとワカメが大量に保存してあった。

食糧不足のおり毎日ワカメの味噌汁を飲んでいたためか、患者と医師、従業員に原爆症が出なかったことが評判となり、たちまち近隣諸国に広まった。


チェルノブイリ原発事故前後のミソの輸出量の比較をすると明らかに、ベルギ-・ドイツ・オランダ・イギリス・フランスなど欧州で増加。

特にベルギ-は39トンから150トンと輸出量が増加している。


秋月博士は長崎市の聖フランシス医院の内科部長であった。
1945 年8月、長崎に原爆が投下されたとき、同病院は爆心地からほぼ1キロ半余り離れたところにあった。

同病院のほとんどの患者は、原子爆弾の第一撃からは生き残ったが、まもなく爆弾から飛散した放射性物質による放射能疾患に取りつかれてしまったのである。


このような状況において、秋月博士の行った処置は、患者ならびに医療スタッフに、玄米ご飯、味噌汁、醤油汁、ワカメなどの海草、食塩などの食事を厳格に守ることを命じた。


このような食事を患者と病院スタッフに守らせ、そして砂糖の禁止と、甘いお菓子を絶対食べないように命じたのである。
このような措置のおかげで、他では被爆者が放射能被曝障害で次々と死亡したが、同博士のところの患者とスタッフは、一人として被曝による犠牲者を出さずにすんだのである。


◎秋月博士の指示「塩分を多くし、甘いものはやめなさい」


同博士は、次のように命じた。

「私が、炊事に携わる人々と医療スタッフに厳しく命じたことは、塩を少しまぶした玄米のお握りと、それに味噌を多めにいれた濃い味噌汁でした。砂糖は一切使わないよう指示しました」


また、同博士は

「この指示に従わない者は、砂糖は血液を駄目にするので砂糖はやめなさいと、情け容赦なくしかりつけました」という。

秋月博士は、このような指示の結果を、次のように明らかにしている。


「このような食事によって、わたし自身、放射能障害をまぬがれ、医者としてきつい仕事をこなすことができたのです」


「放射能は致命的な量でなかったかもしれないが、岩永修道士、野口牧師、村井看護婦婦長もそうですが、その他の病院スタッフ、入院患者とわたしを含めて、みな大変危険な放射能塵の中で生きながらえたのも、このような食事法によってなのです。

疲労や原爆症を克服して、毎日無事に働くことができたのも、また放射能障害を免れたのも、この様な食事のおかげです」


◎秋月博士の被爆体験
1945 年8 月9 日、長崎に原爆が投下された。

その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。


健康ストア健友館


(中略)


さらに博士は、次のように職員に命令したという。


「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」


(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)



「放射線宿酔」と呼ばれる。

レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。

みそ汁の具は、カボチャであった。

のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。


砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。

すると、どうであろう。

そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。

ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。
このことは、私にとって大きなショックであった。

食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの重い価値を知り驚嘆した。

ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。
博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。
「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」


(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊より引用)



※上記記載の塩は、伝統的製法で作られたものです。(いわゆる自然塩)



感謝